第23話 陸の孤島

 大公の館では、ノアがいなくなって寂しくなった部屋を、メイドは惰性で掃除し続けていた。


(はぁ。坊っちゃまのいなくなった部屋を掃除し続けて意味あるのかしら)


 最近、大公の館にはなんとも言えない閉塞感が漂っていた。


 もともと大公領には戦争の長期化に伴って、停滞感が漂っていたが、ノアが出ていって以来、重苦しい圧迫感に苛まれるようになった。


 大公はイライラして召使いに当たることが多くなり、当然、召使い達も下の者に当たることが多くなっていた。


 そうして、叱責は多くなるものの、一向にミスや無駄は減らず、みんな萎縮したり神経質になったりする一方で、仕事は進まないという有様だった。


 この閉塞感はなんだかんだきっちり仕事をしていたオフィーリアがいなくなったことが大きい。


 このメイドはそう考えていた。


(こんなことなら私もノア様について行くべきだったかな)


 アルベルトやイアン、ルドルフから声がかからなかったメイドは、ノアについて行くか大公の館に留まるかの二者択一を迫られた。


 ノアについて行くのは流石に先行きが不透明すぎて大公の館に留まることを選んだのだが、今思うと失敗だったかもしれない。


 窓の枠に頬杖をついて外を眺めていると、フワリとしたモスリンの衣服を着て、箒に跨った魔女が現れる。


 メイドはギョッとした。


「あ、あなたもしかしてルーシー? 帰ってきたの?」


「やっほー。久しぶり。ノア様、いる?」


「ノア様は僻地アークロイに旅立ったわ。成人の儀を終えられて」


「ありゃ。そうか。もう独立されたんだね」


「独立じゃないわ。勘当されて出て行ったのよ」


「ああ、そっか。そういえばそういう手筈になっていたね」


 ルーシーはくっくっと意味ありげに笑う。


 メイドはちょっとルーシーの態度に腹が立った。


 まるでずっと大公の館にいた自分よりも、彼女の方がノアの事情を分かっているみたいではないか。


「どうしてあなたがノア様を追っているの? あなた確かイアン様に仕えていて、追い出されたはずでしょう?」


「そうだよ。イアン様には嫌われちゃってね。今はノア様の騎士だよ」


「はぁ? 何それ。なんであなたが騎士なのよ」


「正確には騎士にしてもらう予定かな。まあ、とにかくノア様はアークロイに行ったってことだよね。それじゃあ私もそっちに行こっかな」


「ちょっとルーシー」


 メイドの呼び止める声も気にせず、魔女ルーシーは飛び立っていった。


「何よ。あれ」




 ノアが城から農地の方を眺めてみると、鬼人が牛や馬に跨って、すきを引かせているのが見える。


(だいぶ鬼人への迫害も減ってきたな)


 鬼人達が操っているのは、アークロイでよく見られるやや獰猛だが、馬力の高い牛、アークロイ牛である。


 その猛々しい気性から、家畜化は無理だと言われていたが、鬼人達が野生のアークロイ牛に乗って遊んでいるのを見て、ノアは思い付いた。


「鬼人達に牛を調教させ、棃を引く作業をしてもらってはどうだろうか?」


 この試みは思いの外上手くいった。


 普通の牛よりも馬力の高いアークロイ牛は爆速で田畑を深く掘り起こし、耕していた。


 ドレッセンでは鬼人達が野生のアークロイ牛を捕えて、田畑を耕しているようだ。


 それを見て、旧クルック領や旧ルーク領、ノアの領地でも鬼人達がアークロイ牛での耕作を請け負うようになる。


 今ではアークロイ牛を使っていない家の方が珍しかった。


 来年の収穫は倍増するだろう。


 ノアがそんなことを考えていると、庭の方から騒ぎが聞こえる。


 クルック城の庭を一頭の馬が駆け回っている。


 鞍にはまだ年端も行かない無邪気な角の生えた少女が乗っていた。


「お馬さんパカパカー」


「うわっ。ファウナ?」


「何やってんだ」


 どうやらファウナが馬に乗って門番達を困らせているようだ。


 城兵達が慌てて取り押さえようとするも馬は城兵達の頭の上をジャンプして、逃れてしまう。


 ファウナを乗せた馬はそのまま、ノアとオフィーリアの腰掛けている縁側まで乗り付けた。


「領主様ー、手紙持ってきたよー」


 ファウナは馬から降りると、ドレッセンの消印の付いた手紙をノアに渡す。


「ははは。ご苦労さん」


 ファウナはノアとオフィーリアのかける縁側までやってくると馬から降りて、ノアの膝の上に腰掛ける。


 これには城兵達もお手上げだった。


 ファウナ

 騎戦:A(↑4)


(やれやれ。もうAクラスの騎兵か。子供の飲み込みの早さは目を見張るものがあるな)


 ノアはファウナに馬を与えていた。


 ファウナも鬼人の娘として、その騎乗の才を余すことなく発揮しており、城内の馬を乗りこなすようになっていた。


 初めは仔馬を与えて、遊び相手にさせていたが、すぐに物足りなくなったのか大人の馬にも乗りたいとせがむようになり、いつの間にか城内でも屈指の馬乗りになっていた。


 今となっては大人でも制御するのに手を焼く気性の荒い馬でも乗りこなすことができるようになっていた。


 また、ファウナにはドレッセンへの郵便を行わせていた。


 城の庭内での乗馬に物足りなさを覚えていたようなので、ドレッセンまでの郵便を手伝わせてみたらすっかりこの仕事を気にいるようになった。


 今ではクルック城とドレッセンの間のやり取りをする郵便員である。


 毎日、馬で城内に駆け込んでくる様は名物になっていた。


 これには2つの意味で効果があった。


 1つはドレッセンにいる鬼人達への宣伝。


 新領主はファウナのような鬼人の娘でも家来にしてくれる。


 ファウナのような少女でも郵便ができるようであれば、自分達にもできるのではないか。


 そう考えた鬼人は多かった。


 彼女はドレッセンの鬼人達に勇気と希望を与えたのである。


 ドレッセンの鬼人達は馬を使った運び屋に志願した。


 今ではたくさんの鬼人がドレッセンから馬に乗ってやってくる姿が見られた。


 鬼人達は自分達で野生の馬を捕まえて、手懐けているようだ。


 やがて彼らの中から騎兵となる者も現れるだろう。


 2つ目の意味は領内の住民達の利便性向上のためである。


 郵便事業は単純に遠隔地に住む親戚に手紙を届けるのに便利だ。


 こういうインフラの利便性は領内の結束を固める作用をもたらす。


 郵便事業は瞬く間に領内に広がって、領民の結束を固めるネットワークとなるだろう。


 また、鬼人達が正確に素早く郵便物を伝達するようになって、鬼人に差別意識を持っていた住民達も彼らのことを見直すようになったのである。


 ドレッセンの鬼人達を労働力、兵力として運用する構想は軌道に乗りつつあった。


 ただ、ノアとオフィーリアの心中は決して穏やかではなかった。


 アークロイでは、ノアが相変わらず地域領主達と敵対していた。


 ルーク領を落として自領に組み込んだにもかかわらず、ファイネン公、キーゼル公、ヴィーク公の3領主はいまだに敵対姿勢を崩さない。


 むしろますますノアに対して敵対心を強めているまであった。


 どうも3国は共同してノアに当たるつもりのようだ。


 頻繁に使者や人質のやり取りをして結束を固め、また旧クルック領や旧ルーク領の重臣の亡命を受け入れているようだ。


 亡命者達はノアの元にいると身の危険を感じたとか、彼は侵略しようとしている乱暴者とか、圧政暴政をしきりに繰り返す暴君で、やがて他の国にも圧政を敷くことになるだろうとか、盛んにノア脅威論を唱えているようだった。


 また、3つの国は経済制裁も行っているようで、僻地であるノアの領地には塩や鉄が入りにくくなっていた。


 商人達には「アークロイ公は行商人を弾圧する暴君である。なので領地には近づかない方がいい」と吹き込み、アークロイ領への通行を禁じた。


 これらノアの体面を傷つける流言飛語の数々や敵対的な行動は、ノアとしても見過ごせない域に達しようとしていた。


 だが、宣戦布告するのは躊躇われた。


「長期戦は不利です」


 それがオフィーリアの意見だった。


「敵3国の本拠地はそれぞれバラバラです。城に立て篭もられれば、長期戦になるのは避けられません。また、我々の主力は半農半兵の兵士達。彼らは農作業にも従事しているため、長期的な従軍には耐えられません。よって早期決戦となるよう事を運ぶのがよろしいでしょう」


 しかし、3国は立て篭もる気満々のようだった。


 ルーク公の敗因が弓矢の威力によるものだと聞いて、弓矢を防御しやすいように城の防備を固め、自分達でも強化された弓を独自に入手し、弓兵を強化しているのだという。


 さらに半農半兵の制度も導入して、動員人数の底上げもしているそうだ。


 長期戦になると、年間通して従軍できる騎士階級の人数がモノを言うが、その点でいうと3国とアークロイ領の騎士の人数は、同数程度だった。


 騎士階級を増やすには、もっと経済力を上げて農作業しなくても食っていけるようにノアの宮廷財力を高める必要があった。


 しかし、現在、経済制裁を受けて、流通は停滞している。


 堂々巡りであった。


(一か八か仕掛けてみるか?)


 オフィーリアは進言するか迷っていた。


 実際に戦いが起これば3国がどう動くかは誰にも分からない。


 本当に足並み揃えて動けるかは怪しいものだ。


 本拠地がバラバラなのはこちらにとって有利な材料でもある。


 彼らが相互に連絡を取り合って、高い連携を取りながら動くのは至難の業だ。


 いざ、仕掛けられれば当初の予定を忘れて打って出て来るかもしれないし、逆にビビってすぐに降伏してくるかもしれない。


 一国でも降伏に追い込むことができれば、3国の共同戦線は瓦解する。


 また、たとえ兵の数、装備の質で互角だとしても、こちらにはノアの鑑定スキルで編み出し、育てた高ステータスの兵士達がいる。


 統率、武略、近接、射撃、野戦、攻城のステータスではこちらが圧倒しているはず。


 決して勝てない勝負ではない。


(ただ、ノア様にも決意を固めてもらわねばならない)


 オフィーリアは進言するかどうか迷っていた。


 一緒に食事をしながら、ノアの顔色を遠慮がちに窺う。


「そう心配そうな顔をするなオフィーリア。すでに手は打ってある」


「?」


「そうだな。そろそろ君には打ち明けておこうか。食事が終わったら出かけるぞ」




 オフィーリアが連れて行かれたのは教会だった。


(教会……。聖女様の力を借りるのかな?)


「オフィーリア、今こそ教えよう。クルック領に攻め入った理由を。それはこの教会を手に入れるためだ」


「この教会を?」


 オフィーリアはマジマジと教会を見た。


 立派な教会だった。


 重厚な石造りでできており、高い尖塔を備えている。


 間違いなくこのアークロイ一帯で最も大きな教会だろう。


 これほどの規模の教会施設は大公領にもなかなかない。


(確かに立派な教会だが、これが現在の窮地といったい何の関係が?)


「これはただの教会ではない」


「……と、言いますと?」


「この教会は我がアークロイ領の港だ」

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