第12話 大公の悔恨

 パーティーの参列者を帰した後、ノアはオフィーリアと2人きりになると本音を漏らし始めた。


「はぁー。親父のやつ、なんであんな余計なことするかな。せっかくこのアークロイの盟主になれそうだったのに。アエミリアもアエミリアだよ。都合のいい時だけ擦り寄ってきたかと思ったら、少し情勢が悪くなるだけでよそよそしくなってさ」


 ノアの愚痴は続く。


「クルックもニーグル大公領に身を寄せているみたいだし、周辺の領主共もあの様子だと素直に今回の領土替えを認めるとは思えんぞ。おまけに聖女もよそよそしいとなれば、法王が今回の件について俺に不利な裁定を下すことも……」


「弱気になってはなりません。大公が見当外れな命令をしてきたからといってなんだと言うのです。長兄アルベルトの率いる第一軍は、いまだアングリン相手に釘付けにされております。また、このアークロイはユーベル大公領とはいくつもの国を隔てており、いかに大公領が大陸有数の国力を誇るといえども、この僻地には何の影響も及ぼすことはできません」


 それを聞いてノアはハッとした。


(そうだ。そういえば、そういう趣旨でこの僻地アークロイに逃れてきたんだっけ)


「どれだけ大公が遠くから吠えようとも世は乱世。力がものをいう時代です。大公には我がアークロイ軍に対して何の影響力もありません。むしろ、大公が吠えれば吠えるほど、自身の無能を晒すばかり。やがてはノア様の地位を疑う者達も、その力に服することになるでしょう。あの聖女もノア様に縋らなければならないことが分かって、また擦り寄ってくるはずです。そうなれば不穏分子共の策動も収まるはず」


「うむ。オフィーリア、お前の言う通りだ。父上には堂々と反論しよう。この領地は俺が実力で手に入れたものであり、父上にとやかく言われる筋合いはない。法王にもそう言って、新たな領土を承認してもらおう」


「ご立派です。ご主人様」


「オフィーリア、頼りになるのは君だけだ。君の忠誠心だけが頼りだ」


「ああ。ご主人様」


 オフィーリアはノアの足に縋り付いて、頬擦りした。


 メイド時代からオフィーリアにだけ許されている甘え方だった。


 メイド仲間達から陰湿なイジメを受けた時、オフィーリアはこうしてノアの膝に顔を埋め咽び泣き、慰めてもらっていた。


 ノアはオフィーリアの頭を撫でる。


 オフィーリアは目をつぶって心地良さそうにそれを受け入れる。


 可愛かったが、ノアとしては自分より大きい虎や獅子にじゃれ付かれているような気がしないでもなかった。


(ご主人様のことは私が守らなければ)


 ノアが孤立すればするほど、オフィーリアの忠誠心はますます高まっていくのであった。




 僻地アークロイを後にした騎士ヴァーノンは、大公の館へと戻った。


 大公フリードは玉座に座りながら騎士ヴァーノンを迎え入れる。


 その日は折しもアルベルトやイアン、ルドルフも集まって、家臣達が一堂に介しているところだった。


「騎士ヴァーノン、ただいまアークロイより戻りました」


「おお。帰ってきたか。ヴァーノン。それであのうつけはどうしておった? お主からの伝言で少しは反省して、しおらしくなったかの?」


「それが大公様。私がノア様の領内に足を運んだところ、聞いていた状況とは少々異なる様子でした」


「何? どこがどう違うというのだ?」


「大公様。どうか驚かないでください。ノア様はクルックの領土を少々切り取ったどころではありません。クルック公の軍勢を完膚なきまでに破り、城を陥とし、その全土を手中に収めておりました」


 大公はキョトンとする。


 寝耳に水の報告に頭の理解が追いつかない。


「騎士ヴァーノン、お前までそんな戯言たわごとを言うのか。あのうつけにそのような真似できるはずがなかろう」


「いえ、確かな事実です。ノア様がクルック城の城主となり、かつてクルック公の家臣だった者達にさまざま下知して、万事取り仕切っているのを確かにこの目で見てきました。ノア様の命令にクルックの重臣や領民達はただただ平身低頭腰を低くして従うばかり。ここに重臣達によるノア様を領主と認める旨、連名書状の写しを控えております」


「……なるほど。確かにクルック領の者達が署名しているようだな」


「はい。ノア様がクルック領を服属させたのは紛うことなき事実です」


 そう言いつつも大公は現実を受け入れることができなかった。


 ノアが本当に戦場で敵を討ち、城を奪い、領土を2倍以上に増やしたと言うのか?


(……信じられん)


 その時、鈴の音と共に清らかな風が館に入ってきたかと思うと、凛とした声が響き渡った。


「大公フリード」


「あ、あなたは聖女イリス様?」


「法王様のお言葉を告げにきた。神妙にして聞け」


 聖女イリスの有無を言わさぬ一言に一同黙り込む。


「お主の法王様への進言。読ませてもらった。しかし、法王様は今回のお主の訴えについて聞き届けることはできぬ。なぜなら、クルックはすでに領主ではなくなっておる。故にお主の訴えは取り下げられる。またこの度のいくさ、アークロイ領主と旧クルック領主との戦いは俗世での諍いゆえ、法王がその裁定を下すことはできぬ。しかしながら、アークロイ領主が神の意思に背いた形跡はない。しかるに、法王としてはアークロイ領主が新たな領土のあるじとなることを認めざるを得ぬ。世は乱世、力ある者が領主となる時代じゃ。逆に力なき者は法王と領地の守護者にはなれぬ。よって、お主はアークロイ領主の新たな領地を認めねばならぬ。故にやはり、お主の訴えは取り下げられる。以上じゃ」


 静寂が部屋を支配する。


 大公は信じられない気分だった。


(本当にあのうつけがクルック領を征服しただと?)


「大公様。聖女様のお言葉、お聞きになられたでしょう。私が今、言ったことはすべて真実にございます」


「そうか。だが、解せぬな。あのうつけが僻地とはいえこうも手際よく戦争に勝つとは。クルック領には確かゴドルフィン将軍もいたはずだ。やや老いたとはいえ、ボルダ戦役にも参加したことのある歴戦の強者であろう?」


此度こたびの戦争、どうも主要な役割を果たしたのはオフィーリアと申す将軍のようです」


「オフィーリア?」


「父上。オフィーリアとはノアに付いていったあのメイドですよ。ほら。あのすこぶる背の高い」


 アルベルトが口を挟む。


 大公はしばし記憶を遡った後、ようやく思い出したように膝を打つ。


「ああ。あの娘か!」


「ノア様は彼女を将軍に抜擢し、全権を委任して、指揮させたそうです」


「なんと。あの娘が一軍の将を務めたと申すか」


「その用兵術はまさに神速。敵が集結する前に各個撃破する様は、古の名将スピメラに勝るとも劣らないようであったとか」


「しかし、速さならゴドルフィンも負けていないはず。奴の要所を見抜く戦略眼、少数精鋭で駆け付ける機動力は天下一品」


「オフィーリアは5倍の兵力で要所に先着し、後から来たゴドルフィンを瞬殺したとのことです」


「……」


「だから言ったでしょう、父上。あの娘は稀に見る剣の達人。この屋敷から追い出すには惜しい逸材だと」


「うむ。そうか」


 大公は難しい顔をした後、立ち上がった。


「父上?」


「少し考えねばならぬことができた。後のことは頼むぞ」


 大公は難しい顔をしながら奥の間へと下がっていった。


「どうしたんだ父上。あんなに難しそうな顔をして」


「大公も複雑なのでしょう。クルック公と将軍ゴドルフィンはボルダ戦役で共に戦った戦友。それが自分の息子によって討たれたとなれば……」


「そうか。父上……」




 奥の間へと下がった大公は、厳しい顔つきでベッドを睨んだ。


「おのれノア。あのうつけめ。クルック領主を討ち、クルック領を切り取るとは。なんて……、なんて羨ましいんだっ」


 大公はベッドの枕に顔を押し付けながらむせび泣く。


「ワシはっ……、ワシはいまだに自分の手で城を陥としたことなどないのにっ。ちくしょうめぇぇぇぇー」


 先祖代々の功績のおかげで着々と領土を広げて大国となったユーベル大公領だったが、現当主フリードは勢力を維持するだけで精一杯でいまだに城を1つも陥としたことがなかった。


 むしろわずかだが領土を失っている。


 大公フリードも貴族とはいえ、戦国乱世に生まれた男子の1人。


 自力で一国一城の主になれと教え育てられ、その志のままに諸城を落とし、戦場で華々しく活躍することを夢見てきたが、その器量の小ささからついぞ大きな戦での勝利を得ること叶わず、新たな城を切り取ることもできないまま齢を重ね、今や隠居も視野に入れねばならない年齢となってしまった。


 今頃、ノアが他人から奪った城で好き放題に命令したり、改造したりしていることを想像すると、悔しくて仕方がなかった。


「ワシだって、ワシだってもう少し時間と兵力と金さえあれば城の1つや2つっ。あああああぁ。くそぉ。あの娘もなんでよりによってあんなうつけに付いていったんだっ。こんなことならもっと強く引き留めて、愛人にでもしておけばよかったっ。ちくしょおおおおおお」


 大公フリードはどれだけ悔やんでももう戻らない過去について、いつまでもぐずぐずと涙を流しながら悔やみ続けるのであった。


 そうして息子に嫉妬してしまうあまり、自分の命令を撤回するのをすっかり忘れてしまったため、ノアはその後始末に追われるのであった。

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