第11話 聖女のお告げ

 クルックを制圧したノアの下には近隣諸国から次々とお祝いの使いが来ていた。


 来たばかりの新領主がクルック公を瞬殺した。


 この事件の政治的影響は計り知れないものだった。


 アークロイではいまだかつてこれほど鮮やかに隣国を征伐した試しはなかった。


 アークロイ周辺の誰もがノアのお伺いを立てずにはいられない。


 ある者は友好的な態度を取り、ある者は警戒心を露わに探りを入れ、ある者は自分の立ち位置を探ろうと接触をはかり、ある者は自身の政敵を倒さんがためにノアを利用せんとする。


 中には自分の主君から乗り換えてノアと繋がりを持とうとする騎士さえいた。


 いずれにせよこの彗星のように現れた新領主にアークロイ地方は上から下までひっくり返るような大騒ぎだった。


「まったく。また、使者か」


 ノアはひっきりなしに訪れる使者に凝り固まった肩をほぐす。


 一人一人に会っていてはキリがないため、今はノアの開催するパーティーにて一度に会えるように案内していた。


 今、ノアはそのパーティー会場で領主や有力騎士などに挨拶しているところである。


 彼らは列を作って順番にノアに挨拶にやってくる。


「ご主人様の勝利がよほど衝撃的だったのでしょう。皆、ご主人様を敵に回してしまわないかと戦々恐々としているのです」


 オフィーリアが言った。


「しかし、こうもいろんな奴に会っていると疲れるぞ」


 そんなことを話しているとパーティー会場の片隅で騒めきが起こった。


「ん? なんだ?」


「誰か飛び入りで来られたようですね」


 見ると錫杖と法衣に身を包んだ、清らかな女性が会場を横切って現れる。


 会場の騎士達は驚きに目を見開く。


「あれは……聖女アエミリア様」


「この辺り一帯の教会を統括するお方じゃないか」


「そのような方がいったいなぜこんな僻地に……」


「決まっているだろう」


「まさか、アークロイ公に会うために?」


 聖女アエミリアがノアの下まで足を進めると、会場に緊張が走った。


「これはこれは聖女様。このような僻地にお越しになるとはいったいどのようなご用向きで?」


「神の代理人として、そのお言葉を伝えに来ました」


 聖女は厳かに告げた。


「アークロイ領の新たな主人よ」


 騒めきが起こる。


此度こたびの戦役の勝利、ディアラ管轄区を代表する聖女としてお祝い申し上げます」


 アエミリアはノアに祈りを捧げた。


「ほう。神聖教会も私のクルック討伐を承認してくださると?」


「世は乱世。力ある者が求められる時代。神は求められておられます。あなたのようなまことの勇者を。神はあなたの罪をお許しになられるでしょう」


 聖女はノアに祈りを捧げた。


 会場にいる者達はアークロイ公の権勢に息を呑む。


「まさか聖女アエミリアが直々に来られるとは」


「こうなってはアークロイ公を止められる者はいないだろうな」


「アークロイ公がこの地域一帯の盟主となるのか」


 聖女アエミリアはノアの後ろ盾であるかのように隣に座った。


 そして、ノアと共に居並ぶ参列者達からお祝いの言葉を受け始める。


 オフィーリアは少しムッとする。


(なんだこいつは。あとからぽっと出のくせに。まるで自分がノア様を1番支えた功労者であるかのような顔をして)


 ノアも満更でもなさそうにしているのにオフィーリアはますます不満を募らせた。


 実際、アエミリアの輝くような金髪、庇護欲をそそるスラリとした細身の肢体、神秘的な雰囲気はオフィーリアにはない魅了を放っていた。


 オフィーリアは穿った見方をせずにはいられなかった。


(聖職者といっても俗っぽいものだな。乱世には僧侶も力に取り憑かれるんだ)


「お楽しみのところ失礼します。アークロイ公」


 1人の騎士がノアの前に進み出る。


「クルックの逃亡先がわかりました」


「ほう。奴はどこに逃げたんだ?」


「どうもニーグル大公領に亡命したようです」


「ニーグル大公領か。それはちょっと簡単に手を出せないな」


 ノアは少し考えた後、聖女の方を顧みる。


「アエミリア。あなたはどう思われます?」


「簡単なことです」


 聖女が言った。


「ニーグル大公領はユーベル大公領と結び付きの強い国。あなたのお父様との関係もありますから、引き渡し要求をすればすんなり応じてくださるでしょう」


 聖女のこの言葉はクルックの命運が尽きたかのように人々に思わせた。


 来場者はますますノアのことを恐れ敬うようになる。


 が、そこに慌ただしく来場する者がいた。


 扉を乱暴に開けて、ズカズカとノアの前まで進み出ようとする。


「なんだ。あいつ」


「見慣れぬ者だな」


「誰だ。貴様!」


「我々を差し置いて、アークロイ公に挨拶をしようとは。無礼にも程があろう!」


 早くもノアの取り巻きづらをしている者達が、ここぞとばかりに突っかかる。


 突然現れた男は、意にも介さず彼らをジロリと一瞥する。


「私はユーベル大公の使い、騎士ヴァーノンである」


 それを聞いて、突っかかった男達は青ざめる。


「ユーベル大公の使い」


「あっ、これは失礼しました」


「どうぞどうぞ」


 彼らは愛想笑いをして、そそくさと道を譲った。


「ほう。親父の使者か」


「大公もあなたの功績をお認めになられたのでしょう」


 聖女は媚びるような笑みを浮かべる。


 騎士ヴァーノンはノアの前に進み出ると、聖女を見て気まずそうにするも、用件を告げる。


「ユーベル大公からアークロイ公へ。こたびの戦について申し伝えたいことがあるとのことです」


「いいだろう。話したまえ」


「この場ではいささかはばかられる内容かと」


「憚られる? 今回の戦についてのことが?」


「大公の使者よ」


 聖女アエミリアが割って入った。


「此度の戦の仔細は我々もよく知っています。神はあなた方の罪をお許しになられるでしょう。大公のお言葉をどうぞお話しなさい」


「そうですか。では、大公のお言葉を伝えさせていただきます。『此度のクルック領にまつわる戦争、アークロイ公の言い分は認め難く、その行為はとても受け入れられるものではない。アークロイ公は即刻、クルック公に土地を返還し、兵を引くように』とのことです」


 会場はシーンと冷え切った空気になる。


(((((…………………………は? 何言ってんだこいつ?)))))


「親父が……大公がそう言ったのか?」


「はい。確かにそう言いました」


「間違いないのか?」


「寸分違わず、間違いありません」


(親父ぃぃぃい。なぜっ、こんな俺の足を引っ張るような真似ばかりっ)


 ノアは咽び泣きたい気分になった。


「すでに法王様にも使者が送られているとのことです」


 法王と聞いて、アエミリアはギョッとする。


 それまでは落ち着き払っていたアエミリアも急に自分の座っている椅子が不安定になったように感じて、ソワソワし始める。


「わかった。もういい。下がれ。長旅ご苦労であった。彼に部屋を用意してやれ」


 ヴァーノンは一礼して、その場を後にした。


 会場は騒めき始める。


「どういうことだ? 大公はなぜあのようなことを」


「まったくわからん。何かの間違いじゃないのか?」


 聖女は慌ててノアに耳打ちした。


「ちょっと、どういうことです? なぜ、大公が今回の戦争に反対されているのです? それも法王様にまで使者を送るだなんて」


「何か誤解があったようだ。聖女様。あなたは私の勝利を認めてくださいますよね?」


 アエミリアは咳払いを一つしたかと思うと、急によそよそしい態度になる。


「私は神のお言葉を伝えるのみ。追って法王様からあなたの処分についてはお沙汰がくだされるでしょう」


 ノアは聖女の変わり身の速さに眉をしかめる。


 オフィーリアはそれを見てほくそ笑むのであった。


 ノアが聖女から少し椅子を離してオフィーリアに近づけるのを見ると、ますます恍惚とした。


 オフィーリアにとっては大公や法王よりもノアこそが世界の中心だった。


 大公の権威に動揺している連中に向かって言ってやりたかった。


 このお方はお前達の恐れている大公に見切りをつけて独立したんだぞ、と。


 大公によるノアへの退去命令を聞いて、パーティに参列した有力者達の中には、「実はアークロイ公の権力基盤は脆いんじゃね?」と早とちりしてヒソヒソと策謀を巡らせる者も現れる。


 すでに軍事の実権はオフィーリアが掌握していたため、旧クルック領重臣達もクーデターを起こすようなことはできなかったが、不穏分子同士でより集まって、ノア降ろしを画策し始める。


 アークロイに動乱が訪れようとしていた。

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