第10話 突撃外交

 ユーベル大公領では、領主フリードが執事から来客の知らせを受けていた。


「ご主人様、クルックから使者が参っております」


「クルック? クルックといえば、アークロイの一国ではないか。そんな遠くの国が我が国に対していったい何の用だ?」


「どうもノア様のことのようです」


「ノア?」


「はい。ノア様が我が領に侵攻してきて大変迷惑している。どうか大公の力であのうつけをどうにかして欲しい、とのことです」


 ユーベル大公は額に手を当てながら深いため息を吐く。


「はぁー。あのうつけが。また問題を起こしているのか」


(ようやくあの目障りなうつけを領地から追い出したというのに。僻地に行かせたら行かせたで問題を起こしおって。せめて大人しくしておれんのか)


「仕方がない。対処しよう。その使者とやらを通せ」




 クルックの使者は、憂鬱な気分で大公の間の扉前に案内されていた。


(成功するわけがない。こんな交渉)


 ノアによって瞬殺。


 領土を切り取られ、逃亡を余儀なくされたクルック公。


 彼はあろうことかノアの父親に苦情を入れるよう使者に命じていた。


 そうしてどうにかノアに引き下がってもらい、自分の領土を返してもらえるよう大公に取り計らってもらえと、使者に言付けていた。


(返してくれるはずがない。ましてやあんな負け方をしておいて)


 誰もが侮っていたあのうつけ領主。


 ところが実際に戦争をしてみればどうだろう。


 まさしく瞬殺だった。


 あれほど鮮やかな手並みを使者はいまだかつて見たことかない。


 僻地の何もない土地、まとまらない地元住民、そして勘当されたうつけの領主。


 アークロイ周辺では、あの土地は誰もが蔑ろにして周辺の騎士団が遊び半分で略奪に行くような土地だった。


 それが一夜のうちにバラバラだった地元兵士集団をまとめ上げ、精強な軍団に鍛え上げ、アークロイ地方の雄と称されたクルック公を瞬殺したのだ。


 喧嘩の原因は売り言葉に買い言葉で、いかにも子供っぽいものではあった。


 どちらから仕掛けたとも言い難い。


 先に挑発したこちらが悪いとも言えるし、カッとなって宣戦布告から国境侵犯したノアの方が悪いとも言える。


 とはいえあんな負け方をして、しかもクルック公自身は一戦も交えず外国に逃亡しておいて、領土を返せなどと……。


(そんな戯言を聞いてくれる君主なんて。古今東西どこにもいやしない)


 使者は旧クルック公の無茶振りによって、突撃外交をさせられているところであった。


 どう考えても失敗すると決まっているのに、やらなければならないのは勤め人の辛いところであった。


「お待たせいたしました。ご主人様のご支度が整いました。どうぞお通りください」


 執事が声をかけて、扉が開く。


 旧クルック公の使者は憂鬱な気分で扉をくぐった。


 老いたとはいえなお威厳ある大公フリードの顔が見える。


 それは何年もこの大国を治めてきた者にしか出せない貫禄であった。


 使者はゴクリと唾を飲み込んで、大公の前に進み出る。




「私が大公様の下に参りましたのは他でもありません。ノア様とクルック公の係争についてのことです。大公はこの件についてご存知ですか?」


「うむ。聞き及んでおる」


「ご子息の我が領土への乱入により、我々は多大な迷惑を被っております。田畑は荒れ、人民の生活は脅かされ、無駄な流血を呼んでおります。これ以上は無益な争い。大公にあられては、即刻ご子息の我が領土への侵犯をやめさせていただきたい」


「痴れ者が!」


 そんな雷のような叱責と共に豪雨のような説教が我が身に降りかかることに使者は身構えた。


 しかし、大公から出てきたのは意外な言葉だった。


「うむ。そなたの言い分もっともなことだ。あの愚息に暴挙をやめさせるよう、ワシの方からも言っておこう」


「…………………………………………えっ?」


「我が息子が迷惑をかけてすまなんだな。この件、私が責任をもって仲裁する。クルックの領主にもどうかよろしく伝えてくれ。法王にも私の方から話を通しておこう」


(これはひょっとしていけるのでは?)


「詳しい経緯を聞かなくともわかる。どうせ我が息子が全面的に悪いのであろう。そなたの主人クルック公には謹んでお詫び申し上げる」


「しからば大公よ。ご子息は緒戦での不意打ちの勝利をいいことに我が領土を不法に占拠しております。この件についても、大公の方からご子息に手を引くよう圧力をかけていただきたい」


(流石にこれは無理か?)


 使者はチラッと重苦しく結ばれた大公の口元に目を配る。


「うむ。確かにその通りだな。息子には即刻、クルック領から自軍を引き上げるよう多方面から圧力をかけておこう」


(いよぉっしゃああああああ!!!!)


 使者は思わぬ棚ぼたな成果に心の中でガッツポーズする。


「ご、ご主人様。よいのですか、そのような約束をしてしまって」


 見かねた執事が割って入る。


「ノア様は紛いなりにもその力で領土を獲得されたのですよ。せめて事の仔細を調べて、ノア様の言い分を聞いてからでも……」


「痴れ者が! 貴様に戦の何がわかる! 使用人如きが口を挟むでない! 」


 大公は執事を一喝した。


「は。し、失礼しました」


「使者よ。お主の主人の計らいはわかっておる。なぜ、ノアが違法な領土侵犯をしているにもかかわらず、それを成敗せぬのか。またなぜ、自らの力で解決できるにもかかわらず、このような形でワシに仲裁を求めるのか」


「……」


「これはひとえにワシの顔を立てるため。そうだな?」


「……」


「クルック公の力をもってすれば、あのうつけを誅伐することなど造作もないことだ。だが、それではワシの顔に泥を塗ることになる。そこでクルック公はあのうつけの暴挙に耐え忍び、ワシに仲裁を求め、あのうつけに自ら兵を引かせることで、双方の体面を保ち、平和裏に事を解決しようとしているのだ」


「……」


 使者は黙秘を貫いた。


 苦悩に満ちた渋い表情をしながら大公の言っていることに賛同するともしないともとれる態度を取り続ける。


「ま、まさか、この外交交渉の裏にそのような高度な思惑があったとは。このセバスチャン、とんでもない思い違いを」


「ふん。貴様如きにこの高度な外交戦略はわからんのだ。これだから身の程を弁えぬ使用人は……」


「は。このセバスチャン。自らの不明に恥じ入るばかりでございます」


「……」


「使者よ。安心されるがよい。すぐにノアに向け一筆手紙を書いて、兵を引かせるよう取り図ろう。もし、それでもあのうつけが応じぬようなら、遠慮する必要はない。あのうつけを誅伐されるがよい。なんなら、我がユーベル大公領からも兵を出してあのドラ息子に制裁を加えることに協力しよう」


 大公フリードは書面を作成し、使者に渡した。


 クルックでは、すでにオフィーリアが旧クルック軍の兵力を自軍に組み込んで地獄の調練を済ませ、ノアへの忠誠を誓わせているところだった。

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