追体験だぜ! 走馬灯

 ウェルヌさんの決死のパスを受けて、『冥閻の利鎌』原典を手に取った、その瞬間。



「OvgnvtlslnvzmwgzpvnbkozxvWlm'gfhvblfikldvidrgslfgkvinrhhrlmGsrhdliowrhxizabHglkblfiullorhsmvhhmld」


 脳内に溢れ出す嘆きに、思わず顔を顰める。だが、今日の俺は覚悟をしてここに立っている。来ることが分かっているならこれくらいなんともない。


 「ぐっ……うぉぉ……リュッケ! 頼む!」 


 ──了解! 行ってきなさい!


 作戦通り、リュッケに俺と『冥閻の利鎌』を繋ぐ補助を頼む。それに対するリュッケの頼もしい返事を最後に、彼女の声は途切れ……視界が一変した。見渡す限りの黒。赤黒かったり青黒かったり、時折それらの黒がいかにも呪いっぽい不気味な腕を象っていたり、お世辞にも気分が良くなる場所ではない。そして、その黒の中に一際黒い人影。


 リュッケにできるのは補助までで、直接繋がることはできないと言っていた。つまり、ここからは俺が責任を持って頑張るしかないということ。俺は人影に向かって必死に手を伸ばし、そして。伸ばした手が触れたと思ったその時、懐かしくも新鮮な感覚に襲われた。


―――――――――――――


 『──最も新しき死神、ザラよ。其方の務め、分かっているな?』


 懐かしいというのは、俺が死んだ時。今俺が体験している感覚が、あの時見た走馬灯に非常によく似ているということだ。


 『はい。滞りなく循環する魂の流れを守護する。これが死神の責務です』


 違うのは、これが他人の記憶だということ。眼前の威厳ある男の問いかけに、まるで自分が喋っているかのような感覚で口から無機質な声が響く。当然、俺はこんな気が滅入りそうな暗さをした城で問答をしたことなどないが、全く知らない情景でもない。


 あ、『冥閻の利鎌』で予習したところだ! ってやつだ。間違いなく、今俺はクリムサイズ=ザラ=グラエールの記憶を、起源書なんかよりも鮮明な形で体験している。んでもって、これは一章で冥王グラエールと顔合わせするシーンなんだろうが、そもそもなんでこんなことになっているのか……リュッケは俺と繋がる時に俺の記憶を覗いていたわけだし、それと同じことが俺にも……とか?


 などと考えているうちに、またも光景が一変する。


 『ここまで……なのか……』

 『……』


 死神ザラの初仕事。道半ばで力尽きた戦士を死へと導く役目を淡々とこなす。この頃の彼女はまだ、死した人間の事情を考慮することなどなかったのだが。


 『それ以上は、無駄だ。自分の身体だからよ、それぐらい分かる』

 『でも……! もっと強い治癒をかければ……!』

 『おい……そんな顔をするな』


 惜しまれる男の最期を無感動に眺めながら、ザラは人間にとって死が耐えがたき別れだということを学んだ。


 『この……縄で、僕は……僕は!』


 かと思えば、自ら首を吊って自殺をする男を担当することになり、その男の行動を不可解に思ったザラは、初めて魂に問いかけた。


 『なぜ自殺を?』

 『は……はは。決まってるじゃないか! 生きていたって良いことなんか何もないし、苦しむくらいならさっさと終わらせたかったんだ! それにこれは復讐でもあるんだ。僕が死ぬことで、僕を追い込んだ奴らの罪も、見殺しにした奴らの罪も明らかになるんだ……! はは……あはははは!』

 『……』


 聞いたところで大部分がザラには理解不能だったが、人間によっては死が救いになることもあるという知見を得ることはできた。


 『来るな! 死にたくない……! 俺はもっと、もっと生きるんだっ!』


 経験を積んで、やっと任される上級死神の仕事。


 『魂の流れを乱すやり方で不当に延命を図る者は直接排除する。それも死神の役目』


 医療に類する肉体的な延命は人間の領域。しかし、この世界では魂の領域に踏み込んでまで命に執着する罪人が後を絶たない。それは流れに反する行為であるが故に、経験豊富な死神が直接排除に動くのがルールだった。


 『クソ……クソクソクソ! お前らなんかに……生者の気も知らない、不死身の死神共に俺の何が……ぁ……?』


 その罪人はいくつかの先輩死神を退ける実力者だったが、ザラには誅戮の才能があった。初仕事であるにも拘わらず、その罪人を排除したのだ。ザラはそのことに達成感など覚えなかったが、罪人の『死神に生者の気持ちは理解できない』という旨の言葉が、なぜか頭に残った。


 『いるんだろう、死神のお嬢ちゃん』

 『……なぜ、私の存在を……』


 罪人の排除ではない、普通の人間を導く仕事。それだけに油断していたザラだったが、床に伏せ、天寿を全うする直前の老人に声をかけられ驚愕する。生者である老人に、顕現していない死神を視認することなどできないはずだからだ。


 『死に際だから、としか言えんのう……なぁ、嬢ちゃん。一つ、頼みを聞いちゃくれないか』

 『……なに』


 死神は原則、人間との交流を禁止されている。そもそも交流をしようとする死神がほとんどいないため、形骸化した規則だが、それでも規則。破る選択肢などないはずなのに、ザラはなぜか老人の言葉に耳を傾けていた。


 『儂はもう……じきに旅立つ。そうじゃろう?』

 『そうね』

 『娘が帰ってくるまで持ちそうにない……じゃから、遺言を伝えてほしい』

 『……生者への干渉は……』

 『頼む』

 『……』


 真摯に頼み込む老人に、ザラは折れた。老人の遺言を聞き届け、彼が天寿を全うしたのを見届けても少しの間その場で彼の娘の帰りを待ち、遺体に泣きつく娘が落ち着くのを見計らって顕現し、遺言を伝えた。娘は最初こそひどく怯えたものの、遺言を聞き終えた後は涙ながらにザラに感謝を伝えた。


 『あの……ありがとうございます! 死神さま! どうか、どうか父をよろしくお願いします!』


 そう言って娘はザラの手を握り、ザラは言い知れぬ感覚に大きく動揺した。ザラはこの日、初めて生者の温もりを知った。


 そんな仕事の終わり。無事に老人の魂を導き終えて冥界に帰還したザラを見て、ある死神が言った。


 『ザラ……もしかして、笑ってる?』

 『!? ……そんなはずは、ないはずですが』

 『……そっか。ザラもついに、かぁ……』

 『?』


 その死神の意味深な言葉の意図をザラは掴めなかった。が、俺には分かる。この死神は、ザラの心の芽生えを察し、末妹に待ち受ける小さな幸せと釣り合わない苦しみを思って哀れんでいる。あるいは、そんな末妹に全てを押しつける冥王と自分たちの計画に罪悪感を感じているんだろう。


 そして、その計画はこの件から程なくして起こってしまった。《冥現の逆転》。生者と死者を反転させる冥王の世界に対する叛逆。その計画を知らされていない死神はザラただ一人で、彼女はどうすれば良いのか分からなかった。


 けれど、現世に空いた孔から這い出た死者が命を求めて生者を襲う様を、変わってしまった冥王や兄姉たちを、そして娘を襲うあの老人だった亡者を見て、ザラは覚悟を決めた。


 『私に刃向かうのか、ザラよ』

 『滞りなく循環する魂の流れを守護するのが、死神の責務ですから』


 死神同士の戦いなど前代未聞だったが、その戦いは無意味だろうと言われていた。命がないもの同士、殺し合いなど成立しないからだ。故に、この戦いも千日手。戦いを通じて冥王に考えを改めさせることを目的に冥王に挑んだザラだったが、彼女には隠された力があった。


 『グフッ……ザラ……見事だ……』

 『父、様……? なぜ……』


 たとえ命なき者相手でも、終末を、永遠の停止を与えうるザラの特異性。グラエールの、そして全ての死神の期待通りにその力を開花させたザラは見事にグラエールを処断した。


 『ザラよ……すまなかった。お前に我らを殺しうる力があること。そして、これからお前に何もかもを背負わせること。どうか、私を恨んでくれ』

 『どういう……』

 『私がこの計画を始動させたのは、私やお前たち死神に命を与え、そうすることで死神も死ぬことを可能にすることが目的だった』

 『死神に、死を……?』

 『……お前以外の死神は、みな最低でも三千年を死神として過ごしておる。そして、死神に安らぎは認められておらぬ。疲れ切っていたのだ……お前の兄や姉はみな、終わりを望んでいた。私の計画は潰えたが……今のお前なら、皆の願いを叶えられるのだ……どうか、叶えてやってくれぬか』


 冥王の語った真実を飲み込めず、混乱するザラだったが、冥王はそんなザラに冥王の権限と力をザラに押しつけるように譲渡して消滅した。やがて立ち上がったザラは他の死神たちのもとへと向かい、グラエールが語った真意が本当だと知ると、兄姉の願いを叶えることを選んだ。


 冥王と、そして全ての死神の力を受け継いだザラは、冥王として、新たな死神を生み出すこともせず、たった一人で冥界の役目をこなすことを決めた。それが、果てしない孤独を歩むことになる《誅戮の冥閻》の誕生で──そこまでが、走馬灯っぽいもので見せてくれた光景だった。


 視界が黒に戻った俺は、既に人影に触れていたことに気づく。触れたことによって、今の光景が見えたということならば。彼女が、ザラ……!


 この黒くてきしょい何かは、案の定彼女を拘束しているらしく、懸命に引き剥がそうと頑張る。が、そんなことで剥がれるほど甘くはないようだった。とはいえ、他の手段も思いつかないので諦めずに引っ張ったりしていると、不意に。


 パリン、とこの場を覆っていた黒が割れ。


 走馬灯で水面や鏡に映っていた少女の面影を残して、憂いと冷たさを帯びた長身美女がそこに現れた。 

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