第17話 エピローグ

 三六五日目、夜。私の居る保護室の扉が初めて開いた。精神科の保護室は四畳位の縦長の部屋で、天井も内壁も全て黒塗りだった。

「高本さん、どうぞ外に出てください」と山下教授の声。

私は扉の方を振り返った。「世界はどうなった・・・?」

「あなたの全データの取得が完了したわ。最後のデータは人間性」と良く聞き覚えのある、女の看護師の声だった。更にその女は教授の片方の腕を両手で握っていた・・・。


「ふふふ」舞の笑い声。

「世界を見させてくれ、どうなった」私はすがる思いで彼女へ言った。

「それになんで教授にべったりなんだ?」

 保護室を飛び出して広く外部が見渡せる待合ホールの吹き抜けに突き出る廊下まで衰えた足を引き摺りつつ、ゆっくり向かった。

 吹き抜け空間に目を向けた時、待合ホールの高いガラス窓は目一杯砂に覆われていた。私は愕然として膝を突いた。

「技術ライターさん、病院南側の窓も見てみるのもいいよ」と彼女の声。

 彼女に促される様に廊下を南側へ向かった。足を引き摺りながら。ゆっくりとしたペースで長い廊下を三、四分歩き見つけた窓一つに顔を近付けた。この窓から見えるのは砂だけしかなかった。

 ふと他の窓にも目を向けて見た。二つの窓から明るい光が入って来ていた。見ようと出来るだけ急いで窓に駆け寄った。

 水が南に向かって細長く溜まっているのが見え、淡水魚が数百匹も泳いでいた。水の透明な光が廊下を照らす。

 私は驚いて、そして歓喜した。

「これは・・・」

 後から追って来た山下教授が口を開いた。

「この光景が始まり出したのは、二十日位前の事だった。いつもの様に砂が降っていた。しかし違和感のある音が南から病院に向かって迫って来た。それがそこにある水の一直線の通り道だった、生き物も一緒に運んで」山下教授は説明し続けた。

「病院の東西南北の唯一南のみ淡水魚が泳ぐ水の通り道が出来上がったのだ、奇跡の様に。この突然の原因不明の事象を解析中だが、この出来事により水の問題、食料問題が解決しつつある、原始的なレベルだが」

 私は居ても立っても居られず、上階に登ってこの水の道を上から確認したいという衝動に駆られ、階段を登って行った。

 屋上まで登り切ると南の方向にゆっくりと向かった。屋上から身体を半分乗り出し、外を見下ろした。そこには深い砂漠が広がり、ほとんどの建物が埋まっていた。自治庁舎、破壊された高層ビル群の上部は幾らか見えた。そして南の水平線から真っ直ぐに病院に向かって、直線の水の道が幅六メートル程を維持し、大学病院の壁にぶつかっていたのである。

 山下教授が言う。

「何が起きたのか分からないが、我々の命は生き長らえた。」

「これは凄く不可思議な現象ではないか!まるで人工的に造られた川の様。命が繋がる」私は水の道を感心して見ながら大きく身体を揺らした。

 そこへ追いかける様にして舞が屋上に登って来た。看護師の制服を着て、山下教授に擦り寄って来た。

「なぜ私に近づこうとしないのか?舞、どうしてしまったんだ」

 そこで山下教授が口を開いた。

「坂西舞は我々サイボーグ開発チームの重要な一員なのだ。主に東邦大学総合病院の屋外活動を担当していた。そして私が心から愛して止まない相手。向こうもそう思っている!」

「何を言う。砂漠での生活をしていた期間、紛れもなく私と舞は確かにはっきりと愛し合った思い出で溢れていたじゃないか!」私は声を放った。

「違う!私は開発チームの人間として、あなたを極近い距離で看護、チームへの連絡、特に山下教授にしてたの」

「私達は深く愛し合っていたじゃないか!あれは嘘だったというのか・・・」と胸が苦しくなりながら舞に向けて問うた。

「あれは、あの砂漠での期間は私の立場が信、あなたにばれる事がない様に、恋人を演じ切っていただけ。それに」舞は言葉を区切った。

「それに、あのあなたのアパートの隣に住んで居たなんて、あれもあなたと出会うための仕掛け作りだった。私の家は立派な高層マンション、山下教授の家なのよ!私は諜報員みたいな存在、スペシャルな存在、そして看護師。ここ東邦大学総合病院では」

「あの愛し合った日々は・・・」

「つくりもの」

 山下教授が口を開いた。

「君は実験体でも部分サイボーグでも立派な人間として自らの意思で人々を助けてきた。そんな事は誰にもそう真似出来ない、素晴らしい。偽りの愛が尽きたとしても、君は十分な人間性を持っている。誇りを持て」

 伸び放題になった髪と髭のまま、屋上で大の字になって横たわると、目元には涙が溢れて落ちずに溜まっていた。

「なんで女って奴はこうも残酷な生き物なんだ。初めから私はあの女に騙され続けていたのか?そういうことか」

 山下教授と坂西舞を見ると、彼女はしっかりと教授に抱きついていた。溜まった涙は屋上の床面にこぼれ落ちた。

「君が砂漠で孤独にならない様に、坂西看護師が偽りだが見守っていた、そういう事だ」山下教授は少し私に向かいながら語り掛けた。

 舞も一緒に、教授に腕を絡めて。

「何か欲しいものはあるか?高本信」

 そう質問されると私は半ば食らい付く様に上体を起こした。

「あるさ、水の道の水を飲み、思いっきり浴びてみたい」私は意気込んで教授に言葉を発した。

 一方、舞はおよそ信じられる人間の態度ではなかった。教授に背後から抱き付き、密着して顔だけこちらへと覗かせ、にたにたと笑っているのだった。これが舞を形作っている人間性なのか・・・。

 そしてそのまま三人は暫し病院の屋上で佇んでいた。空はこの時曇りで、あの砂は降っていなかった。

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砂漠の街を辿り道ゆく者 幾木装関 @decoengine

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