第9話 閑話 第三王子のサラダ

 フルール国第三王子、フェリクス・ルイ・ジャルダンが僕という人間を表す名称だ。

 王太子である第一王子とその控えとなる第二王子とは歳が離れていることもあり、将来は筆頭公爵家に婿入りすることになっている。

 その婚約者は少々変わっている。

 いつだったか、将来王族ではなくなると知らされ子供らしく拗ねていた頃、婚約者であるアデルハイドに対しあまり褒められない態度を常に取っていた時期があった。

 美しい銀髪に意志の強そうな赤い瞳、整った容姿はまるで良くできた人形のようで、そんな彼女に尚更素直になれず碌でもない態度を取り続けていた。

 周りからは「大切にしなさい」「優しくなりなさい」そう言われていたが、言われるほどに意地を張っていた。

 そんな態度が原因だったのだろう、些細なきっかけでアデルハイドに頬を打たれた。

 その後取っ組み合いの喧嘩になったが、その日からアデルハイドの視界に僕は居なくなったと思う。

 アデルハイドが何かをしているのは気付いていたが素直にそれを聞くことも出来ず、そのうち月一の定例お茶会ではただ無言でお茶を一杯飲んでお開きになるようになってしまった。

 本当は初めて会った時からずっと彼女が好きだったのに、つまらないプライドや意地があの取っ組み合いの喧嘩になったと思えば何も言えなくなってしまった。

 せめてお茶会の時間を引き伸ばしたくて何か話そうとしたが、結局言葉にはならなかった。

 アデルハイドはきっちりお茶を一杯飲むだけで決して二杯目は飲まなかった、僕はその一杯を引き延ばすために時間をかけてお茶を飲んでいた。

 「この時間、必要かしら」

 そうアデルハイドが呟いたのは何ヶ月かぶりに聞いた挨拶以外の言葉だった。

 「必要だろう」

 そう答える僕は震えていた気がする、その直ぐ後にあった僕の誕生会にアデルハイドの姿はなかった。


 学園に入るとアデルハイドは益々僕と距離を取った。

 忙しそうにしている彼女を横目に王族に擦り寄る令嬢令息に飽々としていた頃、アデルハイドの経営する酒場の話を聞いた。

 父上の跡をつけて見つけた居酒屋「花結び」に僕は変装をして潜り込むことにした。


 「いらっしゃいませー」

 不思議な佇まいの入り口は横に扉をスライドさせて開く扉でソッと開けたはずがカラカラカラと耳に優しい音がした、顔の辺りが隠れる高さに吊り下げられた布を潜って店内に入れば軽やかな声に迎えられ、ふわりと鼻先を擽る知らない香りとまだ肌寒い外気に晒された体がホッと安らぐ程度の室温に戸惑う。

 案内される前に店内を見回して角になった奥まったカウンター席に勝手に座った。

 カウンターの内側には不思議な衣装を着たアデルハイドの姿があった。

 カウンター越しに客であろう騎士らしき男に笑みを浮かべて話している、そんな風に僕には話さないのに。

 ムッとしながらフードで顔を隠してメニュー表を見るが、どれも見たことがない知らないものばかりで何が何だかサッパリわからない。

 仕方がないので向こうで騎士が飲んでいる黄金色のビールと見知ったサラダを頼んだ。

 アデルハイドはチラッと僕を見て片眉をあげたが直ぐ興味をなくしたようにサラダに使うのであろう野菜を千切って器に盛っていた。

 おとーしなる小さい器に入ったものを食べようとして、困惑する。

 フォークやナイフがない。

 カラトリーが見当たらず二本の棒が置かれている。

 キョロキョロと視線を店内に向ければ棒を器用に使い食事をするようだと気付いたが、どう持てばいいのかわからない。

 困っているうちに見慣れたサラダにフォークが添えられて出された。


 サラダを一口食べて驚いた。

 頼んだのは本日のサラダと書いてあったものだ、ダイコンとかいう最近下町で流行っている根菜を使ったサラダだというのはわかった。

 強い酸味のあるドレッシングは塩辛いけれどどこか深みのある味付けになっている。

 ツンと香る酸っぱさに特有の香ばしさ、セサミだろうかプチっと噛む度に細く切られたダイコンの辛味が引き立ち旨味を引き出している。

 まるで木を削ったような見慣れない何かが更に食欲を唆る香りを生み出して、あっという間にサラダを平らげてしまった。

 グビリと飲んだビールは王宮で稀に出されるエグ味の強い苦さが先立つビールではなく、ツキリと冷えて喉越しが良く驚くほど軽快な飲み物だ。

 黄金色の透明感も好ましい。

 チラッとアデルハイドを見ればカウンター席に座る騎士たちと談笑している。

 僕はその日から毎日フードを被り居酒屋「花結び」に通うようになった。

 当たり前だろう!仮に嫌われていたとしても婚約者だぞ、酒を飲んだ男達の前に出したりしたら何があるかわからないじゃないか、僕が守るべきだろう。

 下心はちょっとしかない、大丈夫だ。

 

 まあ結局すぐに正体などバレてしまったのだが。

 

 僕は「女将の愛情たっぷり焼豚」を頬張る。

 少し恨みがましい視線を感じるが口に広がる脂の甘さと煮汁の深い香ばしさ、それに添えられたまよねーずなるマイルドなソースに口元が綻ぶ。

 「随分、箸を使うのが上手くなりましたわね」

 アデルハイドが気まずそうに僕に話しかけてきた、僕は浮かれそうになる気持ちを抑えて「練習した」と短く答えると、一瞬目を丸くしたアデルハイドが嘘のない笑顔を見せてくれた。

 

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