第4話 パチスロ

 システムエンジニアという仕事は、たぶん、嫌いだというわけではないだろう。

 しかし、それ以上に、

「プログラマ」

 という仕事を、天職のように思っていたので、

「そんな仕事を手放すのは嫌だ」

 という思いだった。

 例えば、パチンコが好きな人がいたとして、普通の人は、

「パチンコという競技が好きでやっている」

 というだろう。

 お金目的に人もいれば、そうでもないという人もいる。お金目的だとしても、それは悪いことではない、困らない程度に遊ぶ分には、

「ただの趣味」

 ということで、誰にも迷惑を掛けないからである。

 もちろん、そんな人は、

「運を天に任せる」

 などということをするわけではなく、しっかり情報というものを身に着けて行動することであろう。

 いろいろある機種の特徴を研究するために、攻略本などのパチンコ雑誌を読んだり、ネットで調べてみたりする。今の時代は、

「パチンコで負けないために」

 ということで、パチンコの機種ごとのデータや、挙動のパターンなどを解説した、

「攻略本」

 というものがあり、それらを、

「パチンコライター」

 と呼ばれる人が、それぞれ雑誌社と契約していたりして。彼らが調べた内容を、原稿として投稿したことが記事となって、雑誌ができあがっていたりする。

 また、パチンコライターは、ユーチューブであったり、有料放送などのパチンコ番組に出演し、

「パチンコ実践」

 というものを配信することで、生計を立てているのであった。

 そんな配信や、雑誌で得た情報に、さらに、、パチンコ店では、設置してある台の出玉傾向などを解放することで、客に情報を与えている。

 もちろん、スロットなどでいう、

「出玉設定」

 などというものを客に教えるわけもなく、パチンコ店でも、

「設定を知っているのは、設定を行った店長だけ」

 ということになっているのだ。

 そうでもなければ、

「お金で買収されたり、男性店員であれば、女性客から、色仕掛けで落とされたりする」

 ということで、

「設定を教えかねない」

 ということからであった。

 ちなみに、この設定というのは、基本的に、スロットにしかないものである。

(一時期、パチンコにも設定つきの機種というものがあった)

 スロットの設定というのは、六段階になっていて、数字が大きいと、一口に言えば当たりやすいということになるだろう。

 ただ、

「設定が高いからといって、必ず勝てる」

 というものではない。

 そもそも、設定というのは、確率の問題といってもよく、例えば、大当たりで、ビッグの確率でいえば、

「設定1であれば、だいたい250分の1であり、設定6になれば、100分の1になる」

 ということである。

 それも、あくまでも、

「だいたい」

 ということで、あくまでも、

「平均すれば、言われている数字になるように、作られているのが設定というもので、これも、時と場合によるというものだ。

 というのも、

「連荘する時などは、平均すると30分の1くらいになるわけであり、それがちょうど当たらない時期に当たってしまえば、1000ゲームやっても、当たらないということになる場合だってあるというわけである」

 だから、当たらないモードであれば、

「いくら回しても当たらない」

 ということで、

「果てしなく負ける」

 という、地獄の展開に入ってしまうということになるのであった。

 しかし、当たる時は面白いように当たるのだ。

「一日中当たりっぱなし」

 ということは、何十回と通っていれば、そんな日だってあるだろう。

 それが、

「1年に何度か」

 というものであっても、いや、

「それくらいだからこそ、却って希少価値ともいえる」

 ということであり、そんな状態を味わってしまうと、その感覚が本当に夢のようで、それを求めてやり続けるのだ。

「負けたことよりも、勝ったことの方が印象に深い」

 と考えることで、

「パチンコに嵌ってしまう」

 ということになるのだ。

 スロットの設定というのは、スロットの挙動の中には、

「設定が高いと出やすい演出というものがあり、そして、その演出が出ると、あたりが多くなる」

 などという特徴があり、その特徴を、ライターが調べて、配信したり、雑誌に投稿したりしているのだ。

 だから、それらの配信や雑誌の情報というものも、知っておかなければ、金銭的に、致命的になるということになるだろう。

 せっかく、

「お金儲けは関係なく、楽しみたいだけ」

 と思っていても、負け続けて、お金が続かないということになると、それこそ、

「パチンコ依存症」

 ということになり、

「借金してでも、パチンコに嵌ってしまう」

 というような、最悪の形になってしまう。

「パチンコ屋に設置してあるATMの機械からは、一日に最高、いくらまで」

 という形で、

「依存症にならないように」

 ということをしている。

 しかし、それは、パチンコ屋にある機械に限られたことであり、近くのコンビニや銀行のATMの制限ではない。

 もちろん、それは当たり前のことであり、

「それでは何にもならない」

 ともいえるが、中には、

「銀行やコンビニまでいくことを思えば、今日は辞めるか」

 という人もいるかも知れない。

 もっとも、そういう人は結構少ないことであろう。

 それくらいのことができるくらいなら、

「最初からは待ったりはしない」

 ということになるかも知れない。

 そもそも、パチンコ屋には、以前からATMがあったわけではない。

「あると便利だけどな」

 という客の声にこたえる形になったのか、その時、

「依存症」

 という問題もあったので、その、

「妥協策」

 ということで、

「出金制限」

 というものを作ったのではないだろうか?

 パチンコには、設定というものがあるわけではないが、そのかわり、

「その機種の大当たり確率」

 というものが、公開され、台のところに書かれていることが多い。

 これも、スロットと同じで、

「あくまでも、平均」

 ということである。

 だから、連荘モードの時は面白いように当たるが、当たらない時は、徹底的に当たらない。

 大当たり確率が80%近くある」

 と言われる、

「鉄板」

 と言われるような演出が外れてしまったりすると、かなりショックになるだろう。

 そういうものを見せられると、

「これは、もう今日は当たらない」

 と考えてしまうのは無理もないというもの。

 本当に当たらないといってもいいだろう。

 ただ、これもなんとも言えないというもので、パチンコには、基本的に設定がないので、スロットのように、

「設定推測要素」

 なるものがあるわけではないので、もっと大変だといえるだろう。

「スロットの設定推測要素を見抜く」

 ということを楽しみにスロットを打っている人は多いだろう。

 何といっても、設定は店長しか知らないのだ。だから、それを、自分で見抜くということが楽しみということで打つのが、

「ギャンブラーとしての醍醐味だ」

 と思う人だってたくさんいるに違いない。

 しかも、閉店してから次の日に、

「前日の設定が何であったのか?」

 ということは誰にも知らされない。

 なぜかというと、

「台の挙動は、店が公開していて、店に設置してある情報機械を見れば、何番の台が時間ごとにどれだけ出ているかという情報は分かるのだ」

 という。

 つまり、その情報からだけでも、客は設定推測ができるというもので、その情報を元に、店長は、翌日の設定を変更するのだから、

「長年通い続けて、店や店長の性格や特徴を分かっていれば、その機械による情報だけでも設定推測ができるのに、そこに、前日の設定が分かってしまうと、容易に客が設定を看破することができることになる」

 というものだ。

 そこまでさすがに、お店もサービスはしないだろう。

 そうなると、店も利益を出すことができず、潰れでもしてしまうと、遊びに来ている客としても、

「死活問題だ」

 ということになるだろう。

 そういう意味では、

「客としても、そんな方法はいらない情報だ」

 ということになるのかも知れない。

 また、この大当たり確率というものは、パチンコ、スロットともに、いわゆる、

「完全確率」

 というものである。

 これは、どういうことなのかというと、例えば、

「大当たり確率が300分の1だった」

 としよう。

 つまりは、知らない人が見ると、

「300回回せば、必ず当たる」

 と思うことだろう。

 しかし、実際には、

「1000ゲーム回しても、当たらない時は当たらない」

 ということになる。

 というのは、福引などで考えてみれば、分かるというもので、

「福引の回す木の箱の中に、弾が、300個あったとして、あたりが一つだけある」

 というのが、いわゆる、

「300分の1」

 ということになるだろう。

 最初の人がくじを引いて、外れだったとすれば、次は、中には299しかないわけなので、

「確率は299分の1になる」

 と考えることであろう。

 だが、実際には、そうではなく、2回目のゲームでも、大当たり確率というのは、

「300分の1」

 なのだ。

 つまり、

「一度出てきた玉も、もう一度箱の中に戻して、再度、300分の1として行う」

 ということだ。

 くじ引きの場合と、パチンコの場合の違いというのは、そういうところで、このパチンコの場合の確率のことを、

「完全確率」

 と表現するのである。

 パチンコやスロットの場合の表示されている確率というのは、あくまでも、

「平均して」

 ということである。

 福引などの確率というのは、確かに、

「300までには必ず当たる」

 ということと、

「どんどん確率は高くなっていく」

 ということで、いいように思うが、こちらの方も、かなりギャンブル性があるといってもいいだろう。

 というのは、

「確かにどんどん確率は上がっていくのだが、だからといって、あとになるほど有利というわけではない」

 ということになる、

 なぜなら、

「福引というと、1等賞以外にも、他にもいくつかの賞があるので、それらがすべてで切ってしまえば終わりということになる」

 ということで、普通なら、皆1等賞を狙うことだろう。

 ただ、この一等賞というのは、確率だけで理解できるものではない。

 というのは、

「最初に引いた人が、大当たりを引き当てるということがない」

 というわけではないということだ。

 つまりは、

「狙いは一等賞」

 と思っている人には、

「ああ、もっと早く引けばよかった」

 ということになるのだ。

 最初に引いた人からすれば、

「一番確率が低いところでのくじ運なので、当たるはずなどないよな」

 と思うことだろう。

 そう思ってくじを引いてみると、

「やっぱり当たらない」

 ということになるだろう。

 しかし、最初に当たってしまうと、

「ラッキー」

 と叫びたくなるくらいで、一等狙いで待っている人からすれば、すでに最初で、意気消沈ということである。

 しかも、そこから先はどんどん、他のあたりも出てくる。

 そうなってしまうと、

「ギャンブル性としては、これ以上面白くないものはない」

 ということになり、しらけムードは深まっていくことだろう。

 もちろん、パチンコの場合は、再度一等賞を引くことができる。それが

「平均しての大当たり確率」

 ということになるのであった。

 パチンコであっても、スロットであっても、結構客の中には勘違いをしている人もいるのではないだろうか?

 というのも、

「攻略本であったり、パチスロライターの配信というものを見ていれば、必勝だ」

 と考えている人たちである。

 特に、雑誌には、

「必勝」

 などの文字が躍っていれば、そう思うのも当たり前というもので、必ず勝てるとまで行かなくても、

「負けない」

 という感覚の人も多いことだろう。

 だが、これはあくまでも、

「統計上」

 あるいは、

「平均的な確率」

 ということで、

「なるべく勝てるように」

 ということであったり、

「大負けをしないためのアドバイス」

 ということであり、雑誌の名前のような、

「必勝」

 などということはありえない。

 なぜなら、その名の通り、

「全員が必勝」

 ということになると、パチンコ屋は経営が成り立たずに、店じまいということになるのである。

 そうなってしまうと、せっかくの、

「客としての遊び場」

 がなくなってしまうわけで、そうなると、

「本末転倒である」

 ということになるのだ。

 だから、パチンコでの勝ち負けというのは、

「あくまでも運である」

 ということで、そういうギャンブル性を求めて客はやってくるわけだ。

 だから、

「日ごろ負けていても、何十回に一度くらいは、面白いくらいに出る」

 という時があるから、

「次こそは」

 と思って。客が皆来るわけである。

 客の方だって、

「データ通りになるのであれば、面白味も半減する」

 というものであって、

 しかも、自分たちが遊んでいる場所を潰す可能性に繋がるのであれば、それは、

「客としては、本意ではない」

 ということになるだろう。

 それを考えると、ゲームの攻略と違う。

「ゲームは最後まで攻略すれば、それ以上はないわけなので、別のゲームに手を出す」

 ということになるが、パチンコ、スロットの場合は、

「一度大当たりをしても、また次の大当たりを目指す」

 ということができるわけで、一つの台で、終わりということはない。

 昔のパチンコなどでは、

「権利台」

 などというものがあり、

「3回権利の台であれば、3回目の大当たりの後は、強制的に換金させられ、その間に、機種をリセットする」

 ということをしていて、

「予定終了」

 という言葉があったのを知っている人は、今では、もう老人の域に達していることであろう。

 そんな時代があったが、今はそれから、30年近くも経っていて、それだけ、パチスル業界もいろいろあったということであろう。

 今の時代は、昔のように、

「ギャンブル性は失われた」

 といってもいい。

 いくつかの要因があるだろうが、一つには、

「依存症の問題」

 ということが大きい。

 前述のATMの件もあるが、今の台は、

「連荘はするが、たくさん出るわけではない」

 ということであり、逆にいえば、

「連荘しなければ、勝てない」

 ともいえるであろう。

 ただ、その分、

「当たりやすくなっていて、当たりを見るのが好きな人にはいい」

 ということになる。

 ただ、その分、大きな当たりはなくなり、以前のように、スロットなどにおいて、大量出玉の基準ともいうべき、

「万枚」

 ということも、まずなくなってきたのだ。

 というのも、大当たりが続き連荘したとすれば、その最大枚数というのは決まっていて、

「どんなに出たとしても、最高で3000枚未満」

 という風に、法律で決められてしまっているのだから、ギャンブラーと呼ばれる人にとっては、

「これほど面白くない」

 というものもないということになるのだ。

 そして、もう一つは、

「タバコの喫煙問題」

 というものだ。

 昭和の末期くらいから、

「嫌煙権」

 というものが叫ばれるようになってきて、

「タバコを吸える場所がどんどんなくなっていく」

 という社会になってきた。

 最初は、電車の中のどこでも吸えたのに、

「禁煙車両」

 というものができてきて、その次には、

「喫煙車両」

 ということで、

「タバコを吸える車両」

 というのが、特別車両ということになり、今度は全面禁煙ということになった。 

 さらに、駅構内は、全面禁煙で、ただ。

「喫煙ルーム」

 という形で作られ、換気も法律に則った形で作られたものでなければ許可が下りないというところであれば、吸ってもいいという形であった。

 それでも、タバコが禁止されていないところとしては、パチンコ屋であったり、喫茶店などの、ランチタイム以外などと、コンビニの表の駐車場などに設置された灰皿のまわりくらいでしかなかった。

 ということであるが、途中から、

「受動喫煙禁止法」

 というものができて、

「室内では禁止」

 と、おおざっぱにいえばそういう法律ができたので。

「パチンコ屋の台の前では吸ってはいけない」

 ということが、実施されるようになった。

 これが、パチンコ屋への客の足を遠ざける原因の一つとなった。

「このタバコの問題は、ある意味、一番パチンコ業界では大きな問題なのかも知れない」

 とも言われているのであった。

 それだけ、客が極端に減ったといってもいいだろう。

 そう坂下という男は、パチンコが好きだった。

 しかし、それは、

「どんな台でもいいから、勝てばいい」

 ということではなかったのだ。

 確かに、パチンコで勝てればそれに越したことはないだろう。何といっても、軍資金を持っていくのだから、どうせなら勝ちたい。お金が戻ってくるのだから、そう思うのは当たり前のことである。

 だから、投資の気持ちで玉やコインを買うのであった。

 しかし、彼の場合は、目的はそこではなく、

「機種が好きで面白いからやっている」

 という、ある意味、

「パチンコの元々の楽しみを満喫している」

 といってもいいだろう。

「そして、その機種が、自分の想像しているような動きをしてくれることを喜ぶ」

 というもので、

「スロットなどにおいて、設定が分からなくとも、その挙動が、最高設定に近い形で推移してくれれば、たとえ勝てなかったとしても、後悔はない。もちろん、うれしいという気持ちが半減はするが、それでもいい」

 というのと同じである。

 普通の人は、

「勝ちたい」

 という思いがあるから、そのために、いろいろ機種の攻略法であったり、台の動向などを研究することで、自分なりの作戦を立てて、パチンコ屋に挑むということになるだろう。

 そういう意味でも、

「最初に自分が考えていた通りに台が動いてくれなかった場合」

 ということも考えている。

「いつ、その台に見切りをつけて、他の台に移動するか?」

 ということで、いわゆる、

「辞め時」

 というものである。

 そして、他の台に移る時も、

「そんなにたくさんの作戦を考えているわけではない」

 ということで、そこから先は、今までの勘と経験から、

「いかなる作戦を立てていくか」

 ということで、いわゆる、

「立ち回り」

 ということになるのだ。

「立ち回りこそ、パチンコの醍醐味」

 という人もいることだろう。

 パチンコというものを、いかに楽しむかということであるが、この立ち回りで一番大切な、

「辞め時」

 つまりは、

「見切りをつける」

 ということになるのだろうが、坂下の場合は、そこは関係なのだった。

 何といっても、

「好きな台があり、その台しかしない」

 というからである。

 実際に、そんなに人気がある台というわけではないので、その台は、

「たくさんの人が座るわけではない」

 ということで、そのホールには、バラエティコーナーに1台しかないということであった。

 一度、フラッと店によって、その台を打ちたいと思って席までいくと、他の人が打っていた。

 最初は、しょうがないということで、他の台に座って、軽く打っていたのだが、そのうちに、イライラが募ってきたのだった。

 というのは、

「打ちたい台を他の人がやっていて、自分は打ちたくもない台を打っている」

 ということにいらだちが募るのだった。

 もし、その台でたくさん出たとしても、うれしくはない。

 と感じた。

 好きな台を気にしながら打つのだから、楽しいはずがない。いくらたくさん出たとしても、それは満足ではないということだ。

 それを感じた時、初めて、

「俺は、好きな台があるから打っているんだ」

 ということに気が付いたのだ。

 そしてパチンコをする大義名分は、

「好きな台があって、それをするため」

 ということに気づくと、それ以降は、朝一番で並び、その台をキープするということである。

 そうでもしないと、

「最初に来た人がもし自分が打ちたい台に座ったら、その時の後悔は、しばらく尾を引いてしまう」

 ということが分かっていたからだ。

 だから、何があっても、一番でその席に座ることにする。

 勝ち負けはこの際関係ない。

 なぜかというと、

「立ち回りができない」

 ということだからだ。

 何といっても、

「好きな機種だけを打ちにいくわけで、その台はこの店には1台しかない」

 ということになると、いくら負けていても、他の台にいくことはありえないのだから、そもそも、

「立ち回りというのはあり得ない」

 ということであった。

 それを考えると、

「辞める場合は、帰るしかない」

 ということで、ある意味、

「潔い」

 といってもいいだろう。

 だから、そのまま帰るかどうかは、その日の財布と相談する形で、坂下の場合は、そういう意味でも、

「決して無理はしない」

 というのは、坂下が打っている台というのは、

「比較的荒い台」

 と言われている。

「負ける時は徹底的に負けるが、爆発すれば、ハンパではない」

 と言われている。

 だから、固定ファンは多いのだろうが、実際に、パチンコ人口からすれば、思い切り少数がであった。

「ファンは少なく、一定数の固定ファンしかいない」

 というわけであるが、それだけに、

「打ち始めると止まらない」

 という客が多いので、その分、楽しめるといってもいいだろう。

 パチンコやスロットというのは、

「立ち回りを楽しむ人」

 それから、

「一つの機種にのめりこむ」

 という人の二つに分かれることであろう。

「負けない」

 という意味では、

「立ち回りのうまい人が圧倒的に多い」

 といってもいい。

 だから、ライターや攻略本というのは、

「勝つパチンコ」

 というのも、大切だが、それ以上に、

「負けないということが大切だ」

 ということも教えてくれていることだろう。

 一つ台に特化するわけではないのであれば、やはり勝ち負けに特化するということになる。それが、

「パチスロの醍醐味だ」

 といってもいいだろう。


    

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