第5話 ルーティン

 プログラマから、システムエンジニアというのは、普通であれば

「当然の経路」

 であり、役職というものもついてきて、そこから、昔でいえば、

「出世」

 ということになるのであろう。

 しかし、今の時代はそういうこともない。

 しかも、

「システム系の仕事」

 というと、結構転職する人も多く、想像しているよりも、結構大変な仕事だということになるだろう。

 だから、プログラマの間から、他の会社に移ってみたり、

「他の会社でも、システム関係以外の仕事に就く」

 という人も少なくはない。

 しかし、そもそも、システム関係者というと、一部の例外を除いては、

「学校で、専門的に情報やプログラミングのことを専攻し、それにより、システム関係の会社に入る」

 というのが普通なので、

「情報処理などの資格」

 というようなものを取得していれば、それだけ有利ではあるし、会社からも、優遇されるというものではないだろうか?

 ただ、実際にはそうでもない。

 確かに専門的な仕事であるが、それだけに、そういう学校も少なくなく、求人に比べて、旧宿舎がどれだけいるかということになると、微妙なのかも知れない。

 中には、会社側の適正によって、

「システムの学校を出ている」

 というのに、営業職という人も少なくはない。

 あくまで、

「適性」

 ということで、

「それを決めるのは、一体だれか?」

 ということになり、

「本当に、人材を適材適所に当てているのか?」

 と考えれば、怪しいと思う人も少なくはないだろう。

 その人の希望に沿わない人事をしたことにより、

「じゃあ、この会社で仕事をする気はない」

 と思う人も少なくはない。

 つまりは、

「今では、昔のような終身雇用ではない」

 ということで、実力主義の時代であった。

 だから、

「他の会社に移ることで、履歴書が汚れる」

 という心配はない。

 逆に、

「転職を重ねていろいろな経験をすることで、人から望まれる」

 というような体制になってきたということであろう。

 坂下は、プログラマの時代までは、その会社にいたのだが、プログラマから、徐々に、システムエンジニアの仕事をするようになると、

「今の仕事はあまりしたくない」

 ということで、結局、会社を辞めることにしたのであった。

 時代は、正直、あまり再就職には甘いという時代ではなかった。

 どちらかというと、

「買い手市場」

 ということで、簡単に辞めてしまったことを、後悔するほどであった。

 しかし、それでも、

「何とかプログラマを」

 ということで、あるエンドユーザの会社に入社したのだ。

 その会社というのは、普通の会社の、

「システム室」

 と呼ばれるところで、

「プログラム開発が専門のところではなかった」

 ということもあり、どちらかというと、

「システムに関係のあることは、なんでもこなさなければいけなかった」

 ということである。

 だから、プログラム開発ということが本業なのだが、月末処理が近くなったりすると、

「伝票入力」

 であったり、月末処理の運用などまでしなければいけないのであった。

 しかし、それでも、別に嫌ということではない、

 さすがに、最初は、

「伝票入力など、起票した部署がすればいいじゃないか」

 と思ったのだが、会社の方針として、

「営業は営業。経理は経理の仕事に専念」

 ということであり、

「伝票入力というのは、電算に関係あることなので、それは、システム室の仕事だろう」

 ということで、

「一刀両断」

 システムでの入力にされていたということであった。

 そもそも、入社した会社は、

「同族経営」

 ということで、

「地元では大手」

 というような会社であり、

「地域の中では大企業」

 というところで、やっているのが、

「先見の明がある」

 ということで、当時は、注目されている会社だったのだ。

 就職できたのも、

「ちょうど、業務拡大」

 ということで、人員が必要だったということだ。

 そういう意味で、同じ時期に入社してきた人たちを見ると、

「元、経営者」

 であったり、

「元、IT関係のベンチャー企業の起業者だ」

 ということであったりと、

「結構すごい人」

 が集まってきていたのだ。

 ただ、時代が、

「買い手市場」

 ということもあり、優秀な人材でも、簡単に就職ができないと言われていた・

 それを思えば

「就職難である時代だったこともあって、人材がもったいない」

 と思っている人も多いことだろう。

 だから、

「人材に対して、会社があまりいい処遇ではなかった:

 ということで、すぐに会社に見切りをつけて辞めていく人も多かったのだ。

 それでも、

「ここしかない」

 ということで残った人もいたが、そのうちに、吸収合併されたことで、

「やっと、その時に入社してきた人たちの力が生かされる」

 という時代がやってきた。

 ということであった。

 そんな時代を思い起こせば、あれから数年もすれば、景気は落ち着いてきて、社会の混乱も少し収まってきた。

 しかし、以前から様変わりした社会の様子にはそれほど変わりはなく、

「いい方に進んでいる」

 とは、決して言えないと思えたのだ。

 今の社会というのは、

「失われた30年」

 などと言われるように、景気はまったくよくなっているわけではなく、ただ、

「落ち着いて見える」

 というだけであった。

 そんな時代に、

「本当は転職などしてよかったのだろうか?」

 ということを、どうしても考えてしまう。

「営業の仕事などできるはずがない」

 と思いながらも、

「下手をすれば、営業の仕事をさせられるかも知れない」

 ということを、

「人の顔を覚えられない」

 という致命的な意識を持っていたために、

「転職は仕方がない」

 ということだったのかも知れない。

 ただ、問題は、

「就職したところが、エンドユーザーのシステム部」

 ということで、

「下手をすれば、営業ということもあり得るかもしれない」

 と考えたが、正直、

「これ以上、他を探しても、今のところ、他に職もない」

 ということで、しょうがない部分もあったが、とりあえず、そこで頑張るしかなかった。

 ただ、そこで働きながら、実は裏で、他の会社も視野に入れていた。

 働き始めてから、半年くらいで、また、

「就職あっせん会社」

 に登録した。

 本当であれば、

「こんなに早く転職の登録などしていいのだろうか?」

 と二の足を踏んでいたが、実際に担当者に聞いてみると、

「いやいや、今の時代は、転職を望む人は結構いますからね。もちろん、入った会社がろくな会社ではないということで転職を考える人もいますが、中には、さらなる高みを目指している人もいます、とにかくどこかで働かなければやっていけないということでの一時的な就職というのか、まるで、次へのつなぎという感覚で今の会社で働いているという感じですね」

 ということであった。

 確かにその時代になると、世の中は、正社員というよりも、派遣社員や、パートをあっせんする会社の方が多くなってきていた時代であり、完全に、

「終身雇用は崩壊」

 ということであった。

「正社員よりも、派遣社員」

 という時代なので、今の会社が嫌だと思えば、他の会社に変わるのも、無理もないことで、そのために、派遣会社も変わるというだけのことである。

 派遣社員ともなると、更新は、

「3か月に一度」

 ということのようで、

「何もなければ、基本は自動更新で、書類にだけ判を押すかたちでの形式的な更新」

 ということになるのだが、逆に、派遣先の方で、

「会社の事情が変わった」

 ということであったり、

「あの社員は、変えてほしい」

 ということを簡単に言えたり、さらには、

「そもそもの派遣会社を変える」

 ということが堂々と行われたりということも多いということであった。

 そういう意味で、社員の方も、会社に遠慮することはないが、会社の方でもいちいち社員一人一人のことを考えているなどということはなさそうだ。

 昔の正社員と会社の関係のように、

「社員あっての、会社」

 という、そういう今までの常識は通用しないのであった。

 それでも、何とか正社員で入ったので、とりあえずは、

「様子を見ている」

 といってもいいだろう。

 仕事の方は、結構楽しかった。

 というのは、それまで自分が好きだった、

「プログラムを作る」

 ということができるからだった。

 しかし、そのプログラムを作るということを本職としながらも、

「システムの仕事ということで、他にもしなければいけない」

 ということがいっぱいあり、自分の中で、

「やりがい」

 であったり、

「生きがい」

 と思っていたことが、本当にそう思っているというわけではないということが分かってきたのであった。

 前の会社の

「プログラムを作る」

 ということが、

「三度の飯よりも好き」

 と思っていたのが、少し音を立てて崩れてきた。

 というのも、

「その頃の仕事というのと、同じプログラムを作るということであっても、今までのような生きがいが生まれてこない」

 というのは、どういうことであろうか?

「やはり、ところ違えば品違うという言葉にあるように、同じプログラムを作るということであっても、違う会社に就職したということで、見え方がまったく違ってしまったのだろうか?」

 と考えさせられた。

 しかし、それが、

「少し誤解ではないか?」

 と考えるようになったのだが、

 その理由というのが、

「会社が変わったということを意識していないと一番感じていたはずの自分が、実は、一番意識していた」

 ということになるのであろう。

 そのことを解決してくれるのが、

「慣れ」

 というものであり、仕事に慣れてきて、毎日のルーティンが、自然にできてくると、まるでその会社に、

「何十年も前から働いているかのようだ」

 と感じるようになるのであった。

 それが、

「仕事に慣れてきたから、会社に慣れたのか?」

 あるいは、

「会社に慣れたから、仕事に慣れてきたのか?」

 ということであるが、この二つは似ているように思うが、実は少し違う。

 というのは、そのスピードが、それぞれで違うからであり、仕事は、前の会社とそんなに変わっているわけではないので、仕事に慣れるのは、結構早いことだろう。

 だから、

「まず仕事に慣れてくることを考えれば、それほどきつい思いをせずに、会社に慣れることができるのではないか?」

 ということになるであろう。

 それを思うと、

「今の会社に慣れるには、仕事になれればいい」

 ということになり、そうなると、

「仕事だけを一生懸命にしていれば、それだけでいい」

 と感じることになるだろう。

 そのことに気づいた時、

「もう転職を考える必要もないか?」 

 と思うようになった。

 会社にも慣れてくると、

よほどのことがない限り、

「システムの人間を、営業に配置換えさせる」

 というようなことをするはずもないということは分かっているのであった。

 それを考えると、

「しばらくこの会社で仕事をしていこう」

 と考えた。

 というのも、

「この会社では、なんでもしなければいけない」

 ということは、ある程度の年齢になっても、プログラム開発もすることになる」

 ということであり、それまでは、

「システムエンジニアとプログラマというのがまったく別で、そのかわり、どんなシステムであっても、その職種として、賄わなければいけなかった」

 ということである。

 しかし、転職した会社では、

「すべてをしないといけないので、そのできる範囲には、限界がある」

 ということで、業務分けというものを、

「仕事の内容で分けるのではなく、業務で分ける」

 ということであった。

 つまりは、業務関係のシステムごとに担当を分けるという形であり、たとえば、

「売上、売掛」

「仕入、買掛」

「物流、在庫」

 と言った、それぞれの業務ごとに、その担当分けを行うというわけで、一つの業務に関して、2人くらいが担当するという形だったのだ。

 だから、

「この業務に特化した人材」

 ということになるのだ。

 そもそも、坂下という男は、

「一つの業務を、入口から出口まで行う」

 というのは願ってもいないことであった。

 もちろん、それが管理職というものになってくると、それまでとはかなり違ったものであり、ある意味、

「前の会社とそのあたりは似てくる」

 ということになるだろうが、さすがに、

「その時はその時で、また考えればいい」

 と思うようになったのだ。

 ということもあり、

「職業あっせん会社」

 というところに登録はしていたが、実際に、

「もう転職を考えることはない」

 と思っていると、やはり、時代が、まだまだ厳しいということと、

「正社員での雇用」

 というものが、いよいよなくなってきたということで、連絡も来なくなっていたのだ。

 そもそも、最初の転職の際に、相談した相手が、ある意味悪かったといっていいのか、

 その人は、年齢的に、自分の父親といってもいいくらいの人間で、時代としては、

「完全に昭和の人」

 であり、

「派遣社員や契約社員などというのは、そんな不安定なところに所属していて、どうなるというのだ」

 と思っている人であった。

「バリバリの凝り固まった考え」

 というのを持っていたので、就職もなかなかうまくいかなかったし、今の会社に入社できたのも、

「運がよかった」

 といってもいいくらいでしかなかったのだった。

 それを思えば、

「今の会社のどこがいいというのか?」

 ということを考え、働いている間に、次の会社という考えになったのも、無理もないことだったかも知れない。

 ただ、それから十年も経たないうちに、

「ある金融会社の破綻」

 というものに端を発して、

「派遣切り」

 などという、社会体制を、根底から覆そうとするような事件が起こったことで、社会がまた不安になってきたのであった。

 そもそも、

「派遣社員体制」

 というのができたのは、

「バブル崩壊」

 というものが原因で、その時に、

「利益を上げるには、それまでの事業拡大では無理なので、逆に支出を減らすということでの、経費節減」

 そしてそのために、

「リストラ」

 という、人員削減ということが取られるしかなかった時代があったのだ。

 会社が生き残るためには、

「リストラ対策」

 そして、

「他の会社との、吸収合併」

 ということが大きな柱となっていたのだった。

 そのうちの一つ、

「リストラ対策」

 というものを取ってしまったことで、今度は、

「人がいない」

 ということで、業務が回らない。

「そんなことは当たり前のことだ」

 といえるのだが、

「実際に、会社が回らない」

 ということで、また正社員を募集するということであれば、

「本末転倒」

 ということになる。

 しかも、

「一から教えなければいけない」

 ということになれば、これほどの無駄なことはないだろう。

「首になった人も浮かばれない」

 と会社が考えるかどうか分からないが、そんなことを考えるくらいだったら、最初から首にするなどということはないだろう。

 といえるに違いない。

 だから、

「派遣社員であったり、契約社員」

 という体制が生まれてきたのだ。

 そのメリットは2つある。

「給料が安い」

 ということと、

「いつでも、首を斬れる」

 ということであった。

 ただ、デメリットとしては、

「責任を負わせることができない」

 ということと、

「時間外をさせると、その分、経費が掛かり、正社員を切った意味がなくなる」

 ということで、

「時間外をさせるわけにはいかない」

 ということで、このデメリットがどのような影響があるのかというと、

「残っている正社員に、その問題が、のしかかってくる」

 ということである。

 だから、バブルの時代には、

「リストラされる人間も地獄だが、会社に正社員として残る人間も、地獄だ」

 ということでしかなかった。

 結局、どちらにしても、地獄だということであれば、

「早期退職」

 というものを勧告された時、

「そんな理不尽な勧告に応じる人も中にはいたということが、今となれば、納得できる」

 ということだったのだ。

 今日は火曜日、

「いつものスーパー」

 が、安売りをする日であった。

 そもそも、他のスーパーが火曜日に安売りをしていたので、

「それに便乗した」

 というか、

「同じ日にぶち込んできた」

 というか、要するに、

「二番煎じ」

 ということであるが、二番煎じでではあったが、なぜか、こっちの二番煎じの方が客が多いというのは面白いものだ。

 別に格別に安いというわけではない。

 交通の便も、駅からの距離はそんない変わらないので、

「どうしてなんだろう?」

 と思ったが、前の店は、駅から帰宅通路としては、

「閑静な住宅街」

 という方が多く、こっちの方は、マンションなどの方が多い。

 当然、人口はマンションがある方に集中しているであろうし、マンション暮らしをしている人たちほど、安売りに執着しているわけではない。

 そういう意味で、こちらのマンションが集中している方が客も多いし、夕方などは、人も多いということになる。

 坂下は、別に、安売りにこだわっているわけではない。それに、一人暮らしなので、そんなに毎日買い物に来るわけではないので、大量に買う必要もない。何といっても、

「荷物が重たくなるだけだ」

 ということである。

 だから、遠回りになると分かっていても、客が少なくゆっくり買い物ができる、

「住宅街側のスーパー」

 に寄ることにした。

 その日は少し遅くなったので、日が暮れてからになりそうなので、本当であれば、いつもの近くのスーパーでも構わないとも思ったが、

「せっかくのいつものルーティンを崩すというのも嫌だしな」

 と思うと、

「火曜日はこっちだからな」

 と自分に言い聞かせるようにして、いつもの火曜日と変わらぬ行動をしたのだった。

 といっても、

「遠回りといっても、5分ほどのこと」

 ということで、歩いたとしても、それほど疲れ方が変わるわけではない。

 そもそも、前述のようにい、最初から重たいものを買う予定もない。

「重たいものは、ネットスーパーなどで買えばいいんだ」

 と思っていたのだ。

「だったら、なぜ、わざわざスーパーに寄る必要があるんだ?」

 と言われるかも知れないが、あまり酒を飲む方ではない坂下だったが、

「火曜日は、晩酌をする日」

 と決めていた。

「なぜ火曜日なのか?」

 というと、

「月曜日だと、休みの次の火ということで、まだまだ先が遠い。水曜日だと、中間ということで、一番身体がだるい時である。木曜日でもいいのだが、金曜日の仕事が、一番忙しさが見えない日なので、それを思うと考えてしまう。金土は、翌日が休みということで、夜更かしをしてしたいこともあるので、酒は控えたい」

 というような自分なりの理由で、

「火曜日が一番適切だ」

 と考えたのだ。

 それも、数回やってみると、すっかりルーティンとして嵌ってしまい、

「火曜日は、晩酌の日」

 ということになったのであった。

 だから、火曜日だけは、

「住宅街近くのスーパーに立ち寄る」

 ということで、しかも、それが、毎週ということになれば、しっかり、店員さんにも覚えてもらえているというものだ。

 逆に、毎日ではないが、週に2,3度は立ち寄っている近くのスーパーの店員からは、「顔を覚えてもらえている」

 というわけではなかった。

「たくさんいる客の中の一人」

 というだけで、

「毎回同じくらいの時間なのに、ここまで店員の質が違うのか?」

 と思えてきたのだ。

 しかも、それが、

「人の顔を覚えるのが苦手」

 という坂下が思うのだから、

「おかしな話」

 といってもいいもので、次第に、

「他の日も、向こうのスーパーに変えようかしら?」

 とすら思うくらいになっていたのだ。

 その日の火曜日は、いつものように、刺身を買った。

 飲む酒というのは、いつも、日本酒の熱燗であった。

 ビールのように炭酸だと、すぐに腹が膨れてしまうので、飲んだとしても、コップ2杯目までは結構きつかったりする。

 焼酎のお湯割りというのも、若い頃から、

「あの匂いが嫌い」

 ということで、

「いくお湯で割ったとしても、すぐに酔っぱらう」

 という暗示に罹っているかのようだった。

 しかし、日本酒だけは、

「お猪口でゆっくりと飲めば、そこまで酔うことはない」

 と思っていた。

 しかも、日本酒の味が自分に合っているのか、それとも、

「刺身というつまみ」

 がちょうどいいのか、

「これほどアルコールの中で、飲みやすいものはない」

 と思っていたのだ。

 その日は、いつものように、20分ほどというスピードで買い物を済ませ、いつものルートの帰途についたのだった。

 いつもは、だいぶ暗くなっているとはいえ、ここまで真っ暗ではないので、同じ道でも、少し気分的には違っていた。

 それなのに、あまり歩く人の姿が変わらないというのは、不思議な気がした。

「これくらいの時間が、帰宅ラッシュのピークなのかも知れないな」

 と坂下は感じたのだ。

 そして、スーパーを出てから5分ほど歩いたところで、前を歩いていたサラリーマンの様子が、

「少しおかしい」

 と思えた。

 その人を見ていると、その人自身が、何かを見つけたかのようであった。

 住宅街にはまだ差し掛かっておらず、途中には、公園のようなものがあり、そこが、ちょうど、

「一般の住宅街と、閑静な住宅街との間の分岐点」

 といってもいいようなところだったのだ。

 道を歩いているうちに、その人のことが気になっていたのだが、

「どうも最初から、その人の態度が不審に思えた」

 ということだったのだろう。

 あくまでも、

「最初から」

 と感じたのは、あとになってからということで、その人の態度を見ていると、

「何かその人の態度に吸い寄せられるかのような感覚を感じた」

 といってもいいだろう。

 坂下には、以前からそういうところがあり、

「後になって、そうだったのでは?」

 と感じるようになっていたといっても過言ではないだろう。

 そんな火曜日、そのサラリーマンの姿を追いかけていることで、そのサラリーマンの姿しか見えていないことに気づかなかったので、そのサラリーマンが

「何かおかしい」

 と感じたのが、

「その男も誰か不審者を追いかけていた」

 ということに気づかなかったのだ。

「人は自分がしていることを、他の人にされるということに気づかない」

 とはいうが、今回のように、

「人がしていることを、自分が同じようにしているということに気づかない」

 というのと同じではないだろうか。

 また、もう一つ言えるのが、

「以前に自分が見た時に何もないということを確認していれば、その間に時間が経っていたとしても、そのことに疑いを持ったりは、なかなかしないものである」

 ということを感じてしまうというもので、

「それだけ、相手にとっては、欺きやすい」

 というものなのかも知れない。

 だから、犯罪を犯して、その証拠をどこかに隠す時など、

「一度警察が調べたところ」

 というのは、

「これ以上安心な場所はない」

 ということも言われる。

 それだけ、警察というのは、自分たちに自信を持っていたりするものであるし、

「合理的な捜査」

 というものをするためには、

「一度調べたところを二度と調べるということはしない」

 といってもいいだろう。

「そんな時間があるのであれば、もっと他を探すというものだ」

 ということであり。

「警察と犯人の心理戦」

 ということであれば、

「警察の方が圧倒的に不利」

 なのかも知れない。

 何かのリーグ戦などもそうではないか。

 首位をずっと突っ走っていると、はたから見ていると、

「一気に突っ走ればいい」

 と思うだろうが、追いかけられる側から見れば、

「前には誰もいない」

 ということで、自分が追いかけられるだけであり、さらに、ゴールが見えていると思っているが、実際に、どこまで走ればいいのか、走っているうちに、

「全然ゴールに近づいていない」

 という感覚になっていることに気づいていないくせに、不安になることがあることを不思議に思うことであろう。

 しかし、いつも、トップを走っていて、

「追いかける立場になったことがない」

 という人は、おそらくなかなかいないだろう。

 よほどの、

「オリンピック選手が、素人のかけっこ」

 にでも参加しているということでもない限り、なかなかないに違いない。

 それを考えると、

「目の前に誰かがいて、追いかける相手だけを見ていればいいということが、どれほど気が楽に感じるというのか」

 ということである。

「追う立場と追われる立場」

 これは、一位を守るという感覚と、一位を奪うために、攻めるということと同じである。

「攻城戦には、籠城戦に比べて、その兵力は3倍を必要とする」

 ということを聞いたことがある。

 守る方は、必死になって、

「攻めてくる相手をいかに撃退するか?」

 というために、城にいろいろな策を弄することであろう。

 だから、どんな罠が仕掛けてあるのか分からない。

 他から見ると、

「攻めている方は、完全に相手を追い詰めているのだから、有利であることに違いない」

 と思うだろう。

 そして、そのことに間違いはないはずで、しかも、攻めている方には、

「いくらでも、方法はある」

 ということであるが、守る方とすれば、

「追い詰められているのは自分たちだ」

 ということは分かり切っていることだろう。

 だから、攻城戦として、無理に攻めるようなことをせずに、

「水攻め」

「兵糧攻め」

 などという方法で、相手を追い詰めるのが得策だともいえるだろう。

「相手の食糧補給や、相手の援軍補充がまったくできない」

 というところまで追い詰めれば、相手は、

「最後まで我慢して、餓死するか?」

 あるいは、

「降伏するか」

 しかなくなるわけである。

 それらの、

「攻め」

 というもので、じわじわと追い詰められると、籠城している方から、裏切る兵が出てくるというのも当たり前というもので、それら、

「諜報計画」

 というところも、

「攻城側がぬかりなくやれば、相手は、勝手に崩れていく」

 というものである。

 それら、

「戦というもののやり方」

 であるが、これも、いろいろ兵法があるが、つまるところ、

「心理戦が最後にはモノをいう」

 といってもいいだろう。

 だから、

「追いかけている方が、圧倒的に有利に見えるが、本当にそうだろうか?」

 物理的に、相手の方がゴールに近いというのは当たり前のことである。

 これも、結局、

「どちらが、我を忘れずに冷静になれるか?」

 ということで、いくら、その途中経過の、

「有利不利」

 というものがあるとしても、最後には、その心理戦によって、勝敗というのは、左右されるということになるであろう。

 そんな、勝敗という、

「ハッキリとしたもの」

 ということでなくとも、心理的に、

「追いかけられている」

 ということを考えると、焦りを感じるものであり、

「実際に追いかけている方」

 ということであれば、

「相手の背中だけを見ていたとして、気が付けば、まわりから、後ろにいた連中に抜かれていた」

 ということで、初めて、

「自分が、一人だけを相手にしているわけではない」

 ということに気づかされるということである。

 それを思うと。

「追いかける方は、えてして、相手の背中しか感じることがないので、自分も追いかけられているということに気づかない」

 という、一種の、

「初歩的なミス」

 というものを犯しかねない。

 ということになるであろう。


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