第3話 究極の選択

「人間というものは、人生を長く過ごしていると、その道は、どんどん狭まってくるのではないか」

 と考えられるようになってきた。

 若いうち、あるいは、子供の頃に見ていた夢というのは、皆それぞれにあって、ある意味、

「無限の可能性」

 ということが考えられる。

 しかし、その可能性というのは、子供の発想で考えるならば、普通であれば、

「子供の世界」

 という狭い範囲の世界でしか考えられないはずなので、その狭い世界はいくら、

「無限」

 とは言いながらも、

「限界というのは、おのずとしてある」

 といってもいいだろう。

 だから、逆に、

「子供の発想は無限なのであって、大人から見れば、うらやましくもあり、子供の頃にもっと広く考えられなかったかということを感じたということを、忘れてしまっているのではないだろうか?」

 と思うのであろう。

 そういう意味で、


「大人になると、子供の頃に感じたことを忘れてしまうのではないか?」

 と感じるのだろうが、それは、

「大人になるにつれて、視界は増えてくるが、今度は、実際に見える範囲が狭くなる」

 ということで、結局、

「子供の頃の発想と、大人になり、若い頃の発想は、全体的に見れば、同じことではないだろうか?」

 ということである。

 それをグラフにすると、

「視界というものは、右肩上がりになってくるが、逆に、見える範囲というものが、右肩下がりになっている」

 ということで、いずれはどこかで、交わることになり、その交わった先から向こうは、重なりあったまま、交差することで、まるで、

「X印」

 のようになるのではないだろうか?

 それが、

「精神的な老化」

 というものに繋がるのではないかと感じるのであった。

「肉体的な老化」

 というのは、もちろん、個人差はあるが、一般的には、

「25歳くらいを境に、30歳前後くらいまでから始まる」

 というように言われている。

 実際には、40歳くらいが、人生の分岐点のように言われることから、

「肉体的な老化とは、かなり離れているということで、他に、精神的な分岐点というものも、どこかに存在しているのではないか?」

 ということを考えると、その、

「精神的な分岐点」

 というのは、

「40歳前後くらいではないか?」

 と考えられるのであった。

 ただ、もう一つの考え方として、

「前述のグラフにおいて、その分岐点というものが存在し、その分岐点というものが、20歳すぎくらいにある」

 ということではないかと考えていた。

 つまり、

「人生の分岐点」

 ということで、

「肉体的な老化」

 であり、

「精神的な分岐点」

 であり、

「グラフによる、見えている視線という考え方の、大人になった時点」

 という3つが存在しているのではないか?

 ということであった。

 そういえば、保険の外交員が持ってきていた資料の中に、

「バイオリズム」

 というものがあった。

 占いとは少し違っているが、人間の生活リズムに影響を与えるものとして、まるで、

「心電図のようなグラフ」

 が、一人の人間の中に、3つの線を描いている。

 ということで、その3つというのが、

「身体」

「感情」

「知性」

 というものであり、その3つがいかにバランスが取れるかというのが問題なのだというのであった。

 波型をしたグラフには、それぞれに、

「高長期と、低長期」

 というものがあり、それぞれの切り替わりのあたりに、注意が必要だということになるのであった。

 それぞれ3つのリズムが、周期が違ったいるので、それを人間の、定期的なリズムということで理解していれば、その先の精神状態を把握することができ、

「前もって、準備ができるのではないか?」

 ということになるであろう。

 それを考えると、

「バイオリズムの3本の線は、どこかで交わることにはなるが、どこか平行線というような発想になるのではないか?」

 という見方もできるのではないかと考えられるのである。

 それを考えると、

「人間の見え方」

 という発想は、

「まったく別のものではないか?」

 とも考えられる。

 しかし、人生において、いろいろな発想の中には、

「3つの発想」

 というものが多い気がした。

 前述の、

「恐怖症」

 というものにしても、

「バイオリズムのグラフの波線」

 というものも、それぞれに、

「3つ」

 ということではないだろうか?

 だとすると、この、

「人間の見え方」

 という発想も、

「見えていないだけで、もう一つ何かの線が絡んでいるのではないだろうか?」

 と考えられるのであった。

 ただ、この発想は、あまりにも奇抜なものであり、

「見える見えないというだけでは、理解できるものではない」

 ということになるのだ。

 実際に見えているものというのは、

「子供の頃の夢」

 というように、

「夢の中というのは、なんでもできるという思いがあることで、リアルな発想というものが、次第に曖昧になることで、ぼやけて見えることが、膨れ上がる発想を大きくさせているように思う」

 というものであった。

 しかし、だんだんと大人になってくるにつれて、

「見える範囲が広がっていくことで、その焦点を確定させないといけない」

 という思いが、無意識に存在していることで、次第に、狭まってくる焦点が、間違っていないという発想になるのだ。

 というのは、

「無限の発想というのは、実はまやかしのようなものであり、範囲が広ければ広いほど、その無限という意識が邪魔をして、決めきれることができなくなる」

 ということになるのだ。

 無限の可能性があったとしても、それを、すべて発想するのではなく。

「この場合は、このパターンの発想」

 ということで、切り分けることで、

「選択を間違えないようにする」

 ということになるのであるが、

「元々無限という発想がある場合、その問題を、パターン化し、選択しやすくする」

 という発想は、

「ロボット工学における。フレーム問題」

 ということで問題になった。

 というのは、

「ロボットに人工知能を入れた場合、ロボットが自分で、考えて行動する」

 ということになると、目の前、つまり次の瞬間だけでも、そこには、

「無限の可能性が広がっている」

 ということで、

「どう行動していいのか分からなくなる」

 ということなので、その発想を、パターン化するということであった。

 しかし、この、

「パターン化」

 というのは、一種の、

「フレームの中に押し込める」

 ということであり、それぞれのパターンに分けようとしても、元々の発想が、

「無限」

 ということなのである。

 つまり、無限というものは、

「何で割ったとしても、数学的には、答えは無限というものにしかならない」

 ということであり、

「分子が無限である以上、どんなに分割したとしても、答えは無限でしかない」

 ということで、

「フレーム問題」

 というのは、最初から瓦解した発想だといってもいいのではないだろうか?

 それを考えると、一つ疑問に思うことがあるのだが、

「人間というのは、次の瞬間に起こりえるすべての可能性を意識することもなく、次の瞬間の行動を無意識に判断していて。疑うことなく行動する」

 というのだ。

 もちろん、その行動が、

「すべてにおいて間違いない」

 というわけではないが、それよりも、

「無意識に行動することに、何ら疑問を人間は感じない」

 ということになる。

 しかも、その結果を、

「最初から考えなかったからだ」

 と思ったとしても、それは、

「フレーム問題」

 というものに対しての疑問ではなく、

「自分の考えが甘かった」

 というところに来るのだ。

 それを、

「反省」

 といい、

「後悔とは違う」

 ということになる。

 だから、

「反省はするが、後悔はしたくない」

 という言い方をする人がいるが、皆、

「その通りだ」

 と考えるのであった。

 そう考えると、

「人間が、フレーム問題を意識することもなく、無意識の中に、自分でフレームを作りあげ、その中で判断をこれも無意識にできる」

 ということは、

「反省をすることのできる唯一の動物」

 ということになるからであろう。

 しかも、それを

「意識してする」

 というわけではなく。

「無意識にできている」

 ということが、人間を。

「無意識のうちに、フレームに当てはめることができる動物」

 ということなのではないかと考えるのだ。

 だが、その人間が、

「いざ、ロボットの人工知能にその考え方を組み込もうとすると、できない」

 ということになるのは、

「そもそも、人間は、無意識にフレーム問題というものを解決できている」

 ということだからであろう。

 それだけ、人間にとってのフレーム問題というのは、

「曖昧な発想だ」

 ということになるのだろう。

 つまり、

「曖昧な発想」

 というのは、前述のように、

「大きく見せる」

 という効果がある。

 そして、その効果が3つあるということで、

「3つの関係というものが、それぞれに影響を与えることで、それぞれの発想を育むことになる」

 という発想があるのであった、

 ある人が、40歳を超えたあたりから、

「自分の人生に迷うことはない」

 と思うようになっていた。

 これは、

「40歳というのが、不惑と言われ、惑うことはない」

 という発想と似ているかも知れない。

 ただ、

「惑う」

 と

「迷う」

 というのが、同じものなのかどうかということにもつながってくるのだともいえることで、まず、

「惑う」

「戸惑う」

 というのは、

「予想外の出来事にどのように対応すればいいかわからずに迷う様子」

 ということをいうようで、迷うというのは、

「進むべき道や方向が分からない」

 ということで、言葉にしてみても、

「結局、どう違っているのか分からない」

 ともいえ、それこそ、

「その違いというのが、曖昧だ」

 といってもいいのかも知れない。

 もちろん、戸惑うということをしなくなるのが、40代からというのは、あくまでも、イメージのようなものであって、個人差を考えれば、

「もっと若かったり、年を取ってから気づく人もいる」

 ということで、さらに、人によっては、

「一生、戸惑い続ける人もいる」

 といってもいいだろう。

 むしろ、

「戸惑い続ける人の方が多い」

 といってもいいかも知れない。

 確かに、戸惑っていることで、先を見つめるわけなので、

「戸惑わなくなったからといって、その人が悟りを開いた」

 ということでもなければ、

「戸惑わないから、その先、慌てることがまったくなくなる」

 というわけでもない。

 それを思うと、

「戸惑うというのも、先に進むために段階というものであり、一種の必要悪なのではないか?」

 といえるのではないかと考えるのだ。

 ただ、

「迷う」

 というのは、もっと広範囲の意味で、余計に、

「曖昧さが強い」

 といってもいいのではないだろうか?

 というのも、

「その時々の事件や事故のような、突発的な出来事が起こった時に、どうすればいいか?」

 という、まるで、

「一極集中」

 の場合に考えて分からない場合というのが、

「戸惑い」

 というもので、

「戸惑ったことで、先が見える」

 という、その先が、いきなり、

「見えるか見えないか」

 という道を先に見つけようとする時、その道が見えないことで、迷うというのであれば、

「戸惑う」

 ということと、

「迷う」

 ということは、

「似て非なるものだ」

 ということになるのではないだろうか?

 というのは、

「結局は、その目的地になるものは、先に見えるものだ」

 ということは共通しているのだが、そのやり方が違うのである。

 もっといえば、

「順番が違う」

 といっていいのか、言い方を変えれば、

「タマゴが先かニワトリが先か?」

 という発想に似ているのかも知れない。

 最初の初動というものが違うことであっても、目指すものは同じ、方向性が最初から違っているということであれば、それを、

「迷っている」

 というのであり、

「同じ方向性だが、その時々で発生する諸問題に対しての対応が違っている」

 というのが、

「戸惑い」

 ということになるのであろう。

 そんな人が、40歳を超えた頃に、

「一念発起」

 と言えば大げさだが、自分の生き方というものを考えるようになったのであるが、それが、

「生きがいというものを見つけて、それにまい進する」

 という考え方であった。

 まい進するといっても、必死になっているというわけではなく、本人の意識としては、

「人生を必死に生きるということをやめよう」

 という意味で、少し自分でも、

「矛盾しているのではないか?」

 ということを考えているということであった。

 そもそも、

「矛盾というのがどういうことなのか?」

 ということを考えた時、一つ言えることとして、

「繰り返しの人生を、限りなくゼロに近い無限に近づける」

 ということを考えた時である。

「繰り返しの人生」

 というのは、前述にもあるように、

「タマゴが先かニワトリが先か」

 ということで、あくまでも、

「循環しているからこそ、浮かんでくる疑問だ」

 ということであった。

 ただ、無限というものを、

「限りなくゼロに近い」

 という発想に結び付けた時というのは、

「合わせ鏡」

 であったり、

「マトリョーシカ人形」

 というように、

「両端に鏡を置き、その中央に自分がいる場合。片方の鏡に、自分と反対の鏡が写り、さらに、その映っている鏡には、反対の自分と鏡が写り……」

 というような、

「無限に続いているように見える現象」

 ということであり、実際には、どんどん小さくなっていくのだが、

「その小さくなっていくものが、ゼロになるということはない」

 ということであった。

 それも、

「数学式」

 というものが証明していて、

「整数を2で割り続ければ、ゼロになることも、マイナスになることもなく、限りなくゼロに近いものにしかならない」

 ということであった。

 そしてそのマイナスというものは、

「ゼロにならない以上、どんどん小さくなるだけで、割り算が終わることはない」

 それが、

「限りなくゼロに近い」

 という発想が、

「無限というものに繋がる」

 ということになるのだった。

 普通、

「無限」

 というものを、

「いかに証明できるか?」

 と考えると、すぐにはピンとこないが、この、

「限りなくゼロに近い」

 という発想をすることで、

「無限というものを証明することができる」

 といってもいいのではないだろうか?

 それを考えると、

「無限とゼロというものの関係性は密接なものだ」

 といえるのではないだろうか?

 実際に、

「自分の生きがいを求める生き方」

 というのは、

「仕事など、食っていければいい」

 というくらいで、家族にしても、

「下手にいれば、面倒くさいだけだ」

 という感覚になるという経験をした人が感じるということであった。

 というのは、

「もちろん、大前提として、その生きがいというものをしっかりと見つける必要がある」

 ということに他ならないだろう。

 そして、

「仕事というものが、本当に楽しいもので、その楽しさと、その裏で、理不尽な目に遭い、せっかくの楽しい仕事を、会社であったり、そのまわりの社会というものから、裏切られるというような経験をした」

 ということも、一つの大前提ということになるだろう。

 そして、家族というのも同じことで、

「最初は、幸せな家庭を築きたい」

 と思い、家族と仲良くしてきたり、その中で、社会適用能力をつけようとしてきた人だったりしても、その思いが思ったようにいかなかったということで、

「気が付けば、自分は一人ぼっちになっていた」

 と思っている人が、この考えの大前提となるだろう。

 中には、

「そんなのお前の勝手な思い込みであり、何を甘いことを言っているんだ」

 というようなことをいう輩もいるだろう。

 そんなやつに限って、常識的なことを当たり前のようにいうだけのやつである。そんなやつこそ、

「社会常識」

「一般社会人」

 などという、

「誰もが普通にいう言葉を口にする」

 というそんなやつである。

 苦しんでいる人間に、そんなことを言ったとしても、何が通用するというのだろうか。

 というのも、

「苦しんでいる人間から見れば、当たり前のことを当たり前のように言って説教するやつというのは、自分の勝手な理屈に胡坐を掻いて、それによって、相手に対し、マウントを取ることで、その優位性を保とうという人間である」

 ということである。

 それは、元々、その人に対して、優位性を持っている人。

 つまりは、

「親であったり、先生」

 という、その立場から、その人にとって、最初から優位な立場にいる人のことである。

 だから、相手は決して引き下がらないし、言われる方も、その優位性を分かっていることで、

「逆らうことができない」

 という昔から、つまりは、

「生まれた時から」

 という絶対的な立場に苦しめられるということになる。

 これは、子供時代からもそうだし、大人になっても、

「大人からの呪縛から逃れられない」

 という人もいるかも知れない。

 精神疾患を持っていて、一人では生きられないという人もそうであろうし、そういう状況になったのも、

「ひょっとしたら、まわりの大人の影響かも知れない」

 と、他人が見ると、

「それもありえる」

 ということを、その親子関係のいびつさゆえに、

「分かっていないのは、当事者だけ」

 ということになるだろう。

 いくら親子の間とはいえ、それは、

「個人の尊厳」

 ということであり、犯すことはできず、

「パワハラ」

 ということになるであろう。

 昭和の頃であれば、

「未成年などに対しては、親権者ということで、親の立場は絶対だ」

 といってもよかったであろう。

 しかし、平成の後半くらいからは、

「子供に対しての、親の虐待」

 あるいは、

「子供が親に対しての虐待」

 というのが問題になっている。

 子供に対して、

「しつけ」

 と称し、想像を絶するような苛めが行われていたりするという。

「各自治体や学校、そして、養護施設などが連携を取って、事に当たらなければいけない。そうしないと、手遅れになってしまう」

 ということであった。

「一時を争う」

 という場合もあり、結局、手配が遅れて、子供が被害に遭ったり、

「何とか、障害や致死には至らなかった場合」

 であったとしても、子供が、結局は、

「養護施設に預けられる」

 ということになり、

 結果として、

「子供の中に、トラウマが残ることになり、最終的に、引き籠ったり、将来において、精神疾患が残ってしまったりする」

 ということになるだろう。

 そうなると、学校でも、まともに人とコミュニケーションが取れなくなったり、悪い連中の仲間になってしまったりと、結果、

「警察のお世話に何度もなる」

 ということになるだろう。

 そこまで行かなくとも、表向きには普通の少年なのだが、時々、おかしな行動や、言動をすることにより、結果、

「社会適用ができない」

 ということになり、

「就職ができない」

 あるいは、

「働き始めても、長くは続かない」

 ということになる。

 まわりは、本人の中にある傷というものが見えないから、半分は、

「偏見のまなざし」

 というものを浴びせることで、余計に、その人は卑屈になっていくのだ。

 まわりが

「普通の人間」

 と思っているので、本人にも、精神疾患の意識はない。だから、その分、自分がうまくいかないという理由が、永遠に分からずに、苦しんでしまうということになるであろう。

 そうなってしまうと、

「何が普通の人間だというのか?」

 とまわりが自分に対して浴びせるまなざしを、最初は卑屈であるが、

「自分が悪いんだ」

 と自分を追い詰めてしまうことで、結局、どうすることもできなくなるということになるのであろう。

 それを思うと、

「世の中にある、普通というものが、どういうものなのか?」

 ということになる。

 だから、

「普通」

 という言葉や、

「一般的」

 という言葉が、

「どれほどの罪になるのか?」

 ということを考えさせられるということである。

 そんな、

「自分の生きがいに目覚めた人がここにいた」

 というのであるが、彼の名前は、

「坂下三郎」

 という男だった。

 彼は、大学卒業後、食品関係の会社で仕事をしていたのだが、営業をすると、なかなかうまくいかなかった。

 というのが、本人に一つ、

「営業として、致命的な欠点があったのだ」

 というのは、

「人の顔を覚えられない」

 ということがあった。

 人の顔を覚えられないということは、大切な取引先の交渉相手の顔が覚えられないということで、名前は憶えていても、顔を覚えていないのだから、その人が自分の席だったりという

「決まった場所」

 にいてくれれば、まだ何とかなるのだが、他の場所にいたり、席を立っていると分からないということになる。

 相手から先に、

「こんにちは」

 と挨拶をされるというだけでも、あまりいい傾向ではないのに、しかも、話しかけてきた相手が、誰か分からない。

 しかも、

「その人が、これから商談をする相手だ」

 などということになると、これほど致命的なことはないといえるだろう。

 だが、これは元々、中学時代に友達数人と待ち合わせた時、駅の比較的人の多い時間に、後ろから、

「友達だ」

 と思って声をかけた時に、相手を見誤って、

「おい」

 と後ろから声をかけると、まったく違う人だったということがあったのだ。

 本人とすれば、

「完全に自信があった」

 ということであり、それなのに、

「実際に声をかけてみると、まったく違う人だった」

 などということになると、

「これは、俺の失態だ」

 という意識よりも、

「間違えた相手に申し訳ない」

 という思いがその時初めて強く感じたのであった。

 それまでは、

「人違いをするくらい、別になんでもないことだ」

 と感じ、

「謝ればそれでいいではないか」

 と思っていたのだが、実際に間違えて、相手からにらまれるということになると、

「こんなに、人を間違えるということが、相手だけではなく、自分に対してもその羞恥心を傷つけられることになるとは思ってもみなかった」

 と感じることになるのであった。

 つまり、

「人に対して申し訳ない」

 という思いよりも、

「自分が情けない」

 と感じるということを最初に感じたのが、

「人の顔を間違える」

 ということだったのだ。

 つまり、

「マイナス部分がブラス部分よりも、多きなった」

 ということで、マイナスが自分の中で、これほどの屈辱になるということと、自信喪失につながるということの二つが大きかったということになるのであった。

 だから、

「申し訳なくて人に声を掛けられなくなった」

 という思いよりも

「俺には、人に声をかける自信がなくなってしまった」

 という思いの方が強くなり、

「人に声をかける」

 というだけではなく。自分が、

「申し訳ないということの反面、自信につながることがある場合、自信を失いたくないという感情から、何もできなくなる」

 ということが強くなることで、それが、自分の中の、

「トラウマ」

 ということになるのであった。

 人に声をかけることができなくなったことで、失ってしまった自信は、積極性であったり、行動力というものを奪う結果になった。

 だから、

「人に声をかける」

 という行為以外でも、いかに自分が、人に対して何もできなくなるということになるのかを思い知らされたということである。

 それが、

「就職」

 ということで、大きなネックとして立ちはだかってくるということを考えさせられたといってもいいだろう。

 だから、就職して、研修期間を経て、上司が判定した仕事の適正で、

「営業には向いていない」

 と思われたのか、仕事は、

「システム関係」

 ということになった。

 そもそも、学生時代では、

「情報システム」

 の学科は結構好きで、特に、

「プログラミング」

 というものに対しては、

「好きだった」

 といってもいいだろう。

 実際に、配属になって数年の、

「プログラマ」

 として、第一線でプログラムを作っている時は、

「三度に飯よりも好きだ」

 というほど、

「この仕事が天職だ」

 と思えるほどになっていたのであった。

 それを思うと、

「20歳代は、仕事が生きがいだ」

 といってもいいくらいで、それこそ、

「残業手当がなくてもいいくらいだ」

 と思うほどで、さすがに、手当てがいらないなどというのは、方便であったが、それくらいに、

「生きがいを感じていた」

 といってもいいだろう。

 そんなことを考えていると、

「このまま、ずっとシステムの仕事を、天職として、やっていけばいいんだ」

 ということになると思っていた。

 だが、

「そうは問屋が卸さない」

 と言えばいいのか、年齢が30代中盤くらいになってくると、

「プログラマというよりも、設計に携わる、システムエンジニアという仕事の方にシフトしてくる」

 ということになるのであった。


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