神様の解決 (1)


 仕事終わりの疲れた身体で工房に向かう。もう真夜中と言って差し支えのない時間帯だった。地方都市なので歩道は街灯に照らされ、暗くはない。だが、人気のない道はまるで世界に自分一人だけが取り残されたみたいで、人によっては心細く感じることだろう。まあ、それほど女々しい感性は持ち合わせていないし、やっぱり手荷物重いなあ、くらい余裕のある思考ができるオレには関係のない話だ。


 やがて、見慣れたオレの工房へと到着する。店舗の照明は既に消えていた。アンが上手くやってくれたようだ。


 工房の出入り口を通り、カギを締める。それから工房の受付を見て、今日の午後にアンが引き受けた仕事の量を確認する。


 今日の午前中ほどではなかったが、それでもかなりの数の仕事の依頼があったようだ。依頼の書いてある紙の束を流し見しながら、キッチンへと向かう。キッチンではアンが「待機」の状態で控えていた。


「ただいま。アン」


 オレの呼びかけに、アンが「待機」を解除し、返事をする。


「お帰りなさいませ。神様」


 応じてくれるアンに、オレは手荷物の中から今日の収支をまとめ、アンに手渡した。


「今日の午後の仕事の収支。記録しておいて」

「承知しました。神様」


 アンはオレからお金と明細表を受け取り、工房の受付の方へと向かった。


 そこでオレは一つ惜しいことをしたことに気づいた。折角、アンが起動してくれたのだから、アンに夕食の準備を頼めばよかった。栄養を摂取するにしても、どうせならアンの作り立ての料理の方が好ましい。


 まあ、いいや。たまには一日の食事を自炊するのも悪くないだろう。


 オレは調理場に立った。が、すぐに問題に気づいた。オレは今の冷蔵庫の状況を把握していない。レトルト食品は昨日食べ尽くした。それから、炊事はほとんどアンに任せっきりなので、ここでオレが食料に中途半端に手をつけてしまうと、アンの予定が狂う可能性もある。手持無沙汰に冷蔵庫を開けてみる。中には一週間ほどの食料が買いだめてあった。お肉に野菜に調味料などである。どれを食べればいいのか、どれを食べてはいけないのか、そんな些細な問題が分からない。賞味期限や熟れ具合もアンが把握して料理の計画を立ててくれているはずである。それを自分が崩すのは申し訳ない。そんなことを考えた結果、オレは何も持たずキッチンを出て、自室へと向かった。オレの部屋には食料はほとんどないが、災害時の避難用セットが置いてある。中には非常食が入っていたはずだ。乾パンとか缶詰とか味気ないものだろうが、賞味期限の確認も兼ねて、今日の夕食はそれで済まそう。


 自分の部屋に入ると、今日の疲れが一気に身体を重くした。まるで鉄塊を巻きつけられ、海に放り込まれたみたいな感覚だ。ごぼごぼと呼気をまき散らしながら、海の深淵と落ちていく。そんな気分。


 それでも、人間、生きていれば腹が減る。オレは身体に鞭打ちながら、作業着を脱ぎ捨て部屋着になり、クローゼットを開け、ひっそりと置いてあった避難用セット一式を開封し、中身を確認する。水や食料、それから簡易トイレやブランケット、発電機などが入っている。水の賞味期限は一年先、食料はおよそ二年先だった。まだ余裕はあるようだが、気がついた時に買い替えておくに限る。


 オレはとりあえず水のボトルを開封し、喉を潤した。冬場なので、冷えた空気に触れていた常温の水は、体温よりも冷たく、しっとりと喉を伝わり、腹へと落ちた。仕事先でコーヒーをいただいたが、それ以外は何も口にしていなかったので、少しの液体も身体には大きな刺激を与えてくれた。


 お陰で少し気力が回復した。


 それから非常食に目をやる。主食になりそうなのは乾パンだ。それから、シチューや魚の煮つけの缶詰などがある。思ったよりバラエティに富んでいて、一食くらいならこんな食事も悪くない。全部で三日分の貯蓄がある。これは豪遊できそうだ。


 そう思ったオレだったが、五分後には後悔していた。


 一人っきりの冷たい食事は、身も心も貧しくしてしまう。


 本来なら人間の三大欲求の一つを満たす、喜ばしいイベントであるはずなのに、何故だか食べるたびに辛くなってくる。


 ああ、オレは自覚がなかったけど、アンにこんなにも助けられていたんだな。そう思いながら、寂しい食事を終えた。


 エネルギー補給を終えたので、多少は身体も動きやすくなった。そこで忘れないうちに、スマート・デバイスを用いて、非常食をウェブで購入する。コンピュータ・ウイルスのことが気になったが、注文自体はちゃんと申請、受理された連絡がきたので、オレは安心しながらベッドに身体を横たえた。ほんのちょっと、身体を休憩させようと思ったのだ。今日は朝から働きっぱなしだったので、少し甘い時間を貰ってもいいだろう、と。


 すると、睡魔が……。


「ダメだ!」


 オレはベッドから飛び起きる。


 時間は夜遅い。もう寝てもいい時間帯だが、オレにはまだ今日中にやるべきことが残っている。もちろん、誰かに言われたことではない。オレが自発的にそうしようと思っているだけだが、それで十分だ。自分の意思こそ、何よりの動力源だ。


 オレは眠りに落ちそうな頭を物理的に強く揺さぶりながら、作業机に向かった。


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