神様の繁盛 (1)
「神様、大変です」
全く危機感のない、平坦な声でアンがオレを呼んだ。オレは自室でいつもの自己鍛錬を行っている最中だった。成人女性の左上腕部の分解工程を、三分の一ほど進めていた。
アンが誰かに助けを求めることは稀だ。少なくともオレの記憶にはない。一大事かもしれないと思い、オレは慌てて作業の手を止め、工具を置いて部屋を出た。
部屋のドアのすぐ近くにアンが立って待っていた。
「アン? どうかしたのか?」
オレが尋ねると、アンはやっぱり機械的に静かな口調で。
「はい。お客様がお越しです」
アンには工房の受付を任せていた。以前の少女のように緊急な仕事の依頼以外は、大抵が電話でアポイントメントを入れてくれる。その電話番もアンの役割である。そのアンがオレを急遽呼び出すとは、一体どんなお客さんなのだろうか。既に連絡を貰っている仕事の中には、急を要するような案件はなかったと記憶していたが、クライアントの予定に変更でもあったのだろうか。それとも、新しいお客さんだろうか。だとしたら、喜ばしいことである。地域密着型のこの工房にとっては、根強いクライアントの獲得は重要な生活源になるからだ。
「すぐに工房に行くよ」
オレはアンの返事を待たず、そのままつかつかと工房受付に向かった。胸の内は半分は期待、半分は不安である。オレにできることはアンドロイドの修理及び制作である。多少の拡大解釈で、ロボットの修理及び制作を任されることもあるが、どちらかと言うと専門外であるため、オレの手に負える範囲かどうかは怪しいものもある。
メディカル分野にもロボットが進出してかなり経つが、その昔、ドクターは人間自身の目でペイシェントを診ていたらしい。今では考えられないことだ。ロボットでさえミスをすることがあるのに、欠陥だらけの人間が判断を下すのだから、誤診も医療ミスも今とは比べ物にならないくらい多かったことだろう。そして、そんな時代だからなのか、いいドクターの条件の一つは、自分の裁量をしっかりと把握していることだったらしい。つまり、診察を受けに来たペイシェントが、そのメディカル施設で対応可能か、もっと設備のしっかりした大きな施設に任せるべきか。この判断をしっかりとできるドクターはいいドクターだったそうだ。逆に、変な意地やプライドが邪魔をして、強引に診察し悪手を打つのは、ドクターとしての良し悪し以前の問題で、社会的害悪だったと聞いている。
今回のケースも同じだ。オレの手の届く範囲なのかどうか、その見極めが重要になる。
さて、そんな気負いとも思える心構えと唾を飲み込みながら工房受付に着いたオレを待っていたのは、特別なクライアントではなかった。ただのお客さんである。個人的で酷く感覚的な使い分けだが、オレは工房を訪ねてくれる人を広くお客さんとし、その中でもちゃんと正式に仕事の依頼を出してくれる人をクライアントと呼ぶようにしている。今回はお客さんだ。しかし、その数が尋常ではなかった。狭い工房受付ではキャパシティが足らず、工房の外まで人の列が形成されていた。
「これは……凄いな……」
思わず感嘆の声が漏れた。お客さんは見覚えのある顔が多く、この地区に住んでいる人がほとんどのようだ。遠方からのお客さんはいないように見える。お客さんも、この工房の主人であるオレの姿が目に留まった人は、軽く会釈をして挨拶してくれる。常日頃のご近所付き合いの賜物である。
「神様。このアンドロイド工房がオープンして以来、これほどのお客様がお越しになったのは初めてです。どうか、ご指示をお願いします」
オレの後ろからアンが尋ねる。心なしか、アンの声は弾んでいるようだった。この未知の経験は、アンドロイドの心をも昂らせてしまっているのかもしれない。いや、待て。落ち着け。昂っているのはオレだ。そして冷静になるべきなのもオレだ。オヤジから受け継いだ工房の転機なのかもしれない。ここが一つの正念場と思い、大きく一呼吸してから、弾む心臓とは正反対に頭をクールダウンさせる。アンドロイドの分解、構成の自己鍛錬のお陰で、集中のスイッチの入れ方は分かっている。ただ、ひたすらに目の前の問題を淡々と処理するだけ。それが、オレの為すべき仕事だ。
「アン。まずは列の整理を。それから、案件の確認を。この人数を一度に引き受けるのは不可能だから、名前と住所と連絡先、それから仕事の内容を聴収して、後日連絡扱いにして一旦お引き取りいただいて。列の最初の五人はオレが相手をするから、六人目以降を頼む」
「承知しました。神様」
アンはオレの指示通り、お客の列に向かって行った。アンなら、文字通りの意味で、機械的に対応してくれるだろう。アンに任せておけば、抜かりはない。少なくとも連絡先だけでも残っていれば、後からどうとでもなる。
では、オレはこの工房の主人として、人間たる対応をするだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます