神様と少女 (5)


 夢さえも見ないほどに深い眠りだった。いつものアンのか細く優しげな声ではなく、無機質で無遠慮で粗暴なベルの音で意識が覚醒する。未だけたたましく鳴る目覚まし時計を恨めしく睨みつけながら、そのスイッチを落とす前にソファベッドから抜け出す。目覚まし時計を止める前に起きること、これが二度寝をしない工夫である。両足でしっかりと立って背伸びを一つ入れ、改めて現状を見回す。作業室だ。机の上にはドールが一体。瞳の色はブラウン。これをブルーにするのが午前のミッション。それからソファベッド。暖かそうで、天国のように見える。だが、その甘い誘惑を振り切り、オレは決意と共に目覚まし時計のスイッチを切った。


 作業机に向かう前に、工具を置いてある棚から、ペインティング用の道具を取り出す。前にペインティングをしたのはもう半月も前のことだ。それも、アンドロイドにアクセントを加えたいので、泣き黒子を描いてくださいという簡単なものだった。黒い点を描くだけだった。だが、今回は違う。描くのは瞳だ。必要そうな筆を念入りに吟味し、昨日のトワの瞳を思い返しながら色を選ぶ。瞳の色がブルーと言っても、ドールの瞳は単純にブルー一色で染められるものではない。人間の瞳のように、白目、虹彩、瞳孔がある。それを、人間と同じようにしつつも、不自然にならないように描くのは、とても繊細な問題だった。


 道具と共に作業机に向かい、瞳を描く作業に入る。お腹は空いているが、朝食を食べる前に見本となる片目くらいは描いておきたかった。


 だが、これが難しかった。時間がかかってしまい、結局、納得できるレベルに仕上がった時には午前十時半になっていた。これでは朝食ではなくブランチである。だが、アンには朝食を準備するように指示をしているので、昼食を兼用するような食事量は準備されていない。それに、朝食も冷めてしまっている。これではアンに申し訳ない。そんなことを思いながら、作業室を出てキッチンに向かった。


「おはよう。アン」


 キッチンで「待機」の状態になっているアンに声をかける。オレの呼びかけが呼び水になって、アンが動き始める。


「おはようございます。神様」


 いつもの食前の祈りは省略し、アンの用意してくれた朝食をサッと口に入れる。やっぱりすっかり冷めてしまっていた。それからアンに一言「ありがとう。ご馳走様」と礼を言って、すぐに作業室へと向かった。片目を描いた感覚が手に残っている間に、もう片方を済ませてしまいたかった。


 作業室に戻ったオレはすぐに深呼吸を一つだけ入れてから、すぐに作業机に向かった。片目を描いた直後にもう片目を描く作戦は功を奏し、二つ目の瞳は割とサクッと描くことができた。


 壁時計は十一時四十五分。トワへの意志表明はどうにか反古にせずに済みそうだ。


 完成したドールの主電源を入れる。


「やあ、ルーシー。元気?」


 オレが尋ねると。


「こんにちは。ルーシーよ」


 それから。


「もちろん元気。アナタは?」


 ルーシーは快活に返事をしてくれた。


 それからアンが用意してくれた昼食を食べ、ルーシーを連れてトワの家に訪ねた。トワは玄関先でしゃがんで、オレが来るのを待っていた。約束よりも気持ち早く訪ねて正解だった。


「こんにちは、トワ」

「ああ、ご主人さん。こんにちは」


 トワはソワソワと落ち着きなく、それでもちゃんとオレの言葉に丁寧に返事をしてくれた。


 そんないい子にしていたトワに、オレはクリスマスのサンタクロースになった気分で、ルーシーの入ったリュックサックを手渡した。


「どうぞ。ルーシーは元気になりましたよ」


 オレの言葉に、トワは嬉しそうにリュックサックを受け取り、その場でルーシーを取り出した。


「ルーシー。元気?」


 トワの問いかけに、ルーシーはもちろん。


「もちろん元気。アナタは?」


 その答えに満足したようで、トワは昨日よりも一層明るく笑った。


「ありがとうございます。ご主人さん。ルーシーが元気になったのはご主人さんのお陰です。瞳の色もブルーでお揃いです。こんなに嬉しいのは、バースデーとクリスマス以外では初めてです。本当にありがとうございます」


 トワの満足そうな笑顔が見れて、オレも安心した。


「じゃあ、オレはこれで。いつまでもルーシーと仲よくね」

「ええ。ご主人さんもアンさんと仲よくしてね」


 トワのおませで意外な一言に驚きつつ、オレはその場を後にした。


 工房に帰ったオレは、この一連の仕事について、アンに尋ねた。


「アン。今回の仕事はどうだったかな?」

「はい。神様。お父様のご子息として、恥じない出来だったかと思います」


 これはアンなりの最上級の褒め言葉だった。オレは少し浮かれた。


「そうだろそうだろ。オヤジはドールを扱うことはなかっただろうから、ある意味オヤジを超えたと言っても過言じゃないよな」


 オレが喜んでいると。


「ですが、ご丁寧な接客では、ご自身のことを、オレ、と呼ぶのは控えたほうがよろしいかと思います」


 ブスッと釘を刺された。


「……それ、いつから思っていた」

「最初からです。神様」

「なら、早く言ってくれよ。まあ、そうだな……。アンの言う通りだ。気をつけるよ」


 美味しいだけでは終わらないのは、オレがまだ若く、未熟な証拠だ。だが、それは成長できる余地がある事実でもある。そう前向きに考え、オレは午後三時半までお昼寝しに自室へと向かったのだった。



―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


お読みいただきありがとうございます。


面白い作品となるように尽力いたします。


今後ともよろしくお願いします。


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