神様と少女 (4)


 トワと二人で歩いてきた道のりを、オレ一人で帰る。トワと歩いた時は、トワの歩調に合わせていたから少し時間がかかったけれど、紙袋分重いはずの帰り道はとても短く、あっという間に工房に着いた。


「ただいまー」


 工房の出入り口を抜け、中に向けて声をかける。オレの呼びかけ声に、工房奥からアンが現れた。


「お帰りなさいませ。神様」

「ただいま、アン。食事の準備はできているかな? それとも、これから準備するのかな?」

「神様のご帰宅時間は予想範囲でした。温かい夕食が準備できています。今すぐお召し上がりますか?」

「ああ。頼むよ」

「分かりました。では、キッチンの方へお越しください」


 そう言い残し、アンは一足早くキッチンの方へと引っ込んだ。


 夕方を通り越して夜になっている。ドールの分解に集中した甲斐もあって、胃の中は空っぽだ。今なら何だって食べられそうだ。


 キッチンに移動すると、夕食の美味しそうな匂いが広がっていた。出入り口に一番近い席に、お皿が並んでいる。


「夕食はポテトのポタージュ。それから季節野菜のサラダ。小皿に生ハム。メインはパスタです。それから、デザートに果物を少々準備しました」


 アンがシェフのように夕食を説明してくれる。この説明にもレベルがあって、今日のがベーシックなレベルだ。あまりお腹が空いておらず、簡単な食事でいい時は食前の説明は省略されるし、アンが熱心に調理した日は素材の産地から調理法、隠し味までたくさんの説明が付与される。


 テーブルに座る前に、立って控えているアンに向かって紙袋を手渡す。


「アン。野菜を貰った。ストックしている野菜のリストに加えて。料理のスケジュールも合わせて変更して欲しい」

「承知しました。神様」


 アンは紙袋の中身の精査に入った。後はアンに任せておけばいい。


 食前の祈りを簡単に済まし、オレはかなり遅めの夕食をお腹に収めた。ポタージュは外を歩いてきたオレの冷えた身体を温めてくれたし、野菜は瑞々しいし、生ハムは生きる力をくれる。パスタと果物も美味しくいただいた。食べ終わる頃には、アンも野菜の収納をすっかり終え、「待機」の状態になっていた。


「アン。夕食、美味しかったよ。後片づけをお願い。オレは工房で作業をするから、アンも食器の片づけを終えたら、今日の仕事は終わりだ。それから、朝食はいつも通り用意して欲しいけど、明日の朝は起こさなくていい。工房で寝るかもしれないからね。今日と明日は仕事優先にするよ」

「承知しました。神様」

「うん。ああ、それから、明日のスケジュールも聞いておきたい。何かあったと思うんだけど、何だったかな?」

「明日は午後四時にこの地域の会合があり、出席することになっています」

「ああ、そうだった」


 町中で生きている以上、コミュニケーションは必要である。ただでさえ世間体の評判はあまり好ましくないこの職業だ。この地方の自治体には、少しでも貢献し、印象をよくしておく必要がある。


 だが、少し困った。これからしばらく集中して作業し、明日の午後一までにドールの修理を終え、午後はゆっくり休もうと思っていたのだが、そうは上手くいかないらしい。身体を多少酷使することになるが、仕方ない。


「アン。リマインダーを」

「承知しました。神様。内容をお願いします」

「午後三時半に、熱く濃いコーヒーを。ミルクも砂糖も必要ない」

「承知しました。神様。コーヒーはご自分で準備しますか? それとも、アンが準備しますか?」

「アンのコーヒーは熱過ぎるし、濃過ぎるから、自分で準備するよ。午後三時半に教えてくれればいい」

「承知しました。神様」

「一応聞いておくけど、コーヒーのストックはあったかな?」

「いただきもののドリップコーヒーが六袋、インスタントコーヒーが一瓶あります」

「オッケー。じゃあ問題ないよ。ありがとう。また明日」


 用件を終えたオレはアンに礼を告げ、そのままキッチンを出る。キッチンを出る直前、アンがオレの背中に向かって言葉を添える。


「お身体にお気をつけください。神様」


 アンのその優しい激励の言葉を受け、オレは振り返らず、片手を挙げて返事の代わりにした。


 作業室に戻ったオレは現実と直面する。


 目の前にはバラバラになったドールが一体。


 夜も遅い。


 クライアントであるトワには、明日の午後一で持って行くと宣言した。


 やらなければならない工程自体は少ない。肝だった喋る機能は元に戻った。後はドールの形に構成し直すことと、瞳の色をブルーにすることだ。幸い、瞳自体はドールの構成を終えてから、簡単な作業で後から入れることができる。瞳を描く作業を後回しにすることが可能なのだ。一方で、構成に時間はかかるが、時間だけの問題だ。いつもの自己鍛錬と同じようにやればいい。時間にして数時間程度。ここまでは今日の内にやってしまおう。零時は優に超えるだろうが、それでも睡眠時間は最低限確保できる。それから瞳の色は明日の午前に再度集中して描けばいいだろう。


 方針を決めてからは迷わなかった。


 自分の身体を一機のマシーンと化し、冷静かつ確実に構成作業を進める。ドールの内部はほぼほぼ新品に交換だが、外装はできるだけドール本来の素材を再利用するように心がける。そのため、ドールの外部の構成には細心の注意を払った。


「――ふう」


 ドールの構成を終えた。壁時計を確認する。時刻は零時どころか、深夜二時を回っていた。集中していたため、時間を忘れていたが、時計を見ると急激に眠気が襲ってきた。工房から出て自室に向かう気力もなかったので、作業室の隅にひっそりと置いてあるソファベッドに身体を横たえる。こんなこともあろうかと、作業室には睡眠に必要なものが一通り揃っている。ソファベッド、小さめの枕と毛布。それから目覚まし時計。


 睡魔に流される前に、目覚まし時計がちゃんと機能していることを確認する。秒針はしっかり動いているし、時刻も壁時計と一致している。大丈夫そうだ。


 睡眠時間は七時間……いや、ドールの瞳を描く作業は稀なのでもう少し時間に余裕を持たせるために六時間としよう。六時間寝る。そう決めた時には、もう半分以上意識が薄れていた。ギリギリのラインで目覚まし時計のスイッチをちゃんとセットして、オレは眠りに落ちた。


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