Book 2. 上村悠多は余裕綽々。

「……うん、ちょっと相談に乗ってもらいたくて……夜分に申し訳ないんだけど。ああ、そう……じゃあ悪いけど、今からそっち邪魔するわ」


 既に午前零時を回っていたが、上村悠多かみむらゆうたとはすぐに連絡がついた。学内に知り合いの少ない俺は、他に助けを求めるべき相手を思いつかなかったのだ。

 上村とは所属する学部が違ったが、学食で見かけるうちに仲良くなった。たしか俺が着ていたB級ホラー映画のTシャツを、面白がって話かけてきたのが契機きっかけであったと思う。

 実家から直接通える距離だが、上村は大学のある市内にマンションを借りて一人で住んでいる。両親共に会社経営者で、実家がのだ。奨学金で大学に通う俺からすれば、羨ましいかぎりだ。

 いつも冷静な上村ならば、このスマホをどうすべきか、有用なアドバイスをくれるに違いない。


     *


 通話を終えた後、俺はスマホを握りしめてすぐにアパートを出た。単身者や学生の多い住宅街とはいえ、さすがに路上に人影はほとんどない。


「魔術師同士の力比べだっけ。何でそんなことやらなきゃいけないの?」


 徒歩でマンションまで向かう道すがら、俺はメイガスゲームについてメフィストに問いただす。はたから見れば、スマホにぶつくさ文句をいっている危ない奴に見えたかもしれない。


「メイガスゲームの目的は、各フォンに宿る十の〝力ある書〟を全て集めることです」

「えッ。魔道書ってそんなに沢山あんの!?」

「ルールの細則につきましてはアプリをご参照頂くとしまして……」

「アブリがあるんだ……機能としてはスマホなのな」

「当面は敵対する魔術師と戦って勝利して下さい。すると相手の魔道書を奪うことができます。十冊全てが一つのメイガスフォンに揃えば、大秘術アルス・マグナは成就し、無限光アイン・ソフ・オウルへの扉が開かれることでしょう。そこではあらゆる望みが叶うのです」

「あらゆる望み……5000兆円欲しいとか」

「国内で流通する日本円の総額は凡そ125兆円ですから、その願いは賛同しかねます。私ならば、市場へ混乱を与えず、当局にも目をつけられない程度ということで、100億円を提案いたします」

「あんた、案外現実的なんだな……だとしても、すげえ金額だな!」

「卑しくも魔術師であるならば、〝マーリンの杖〟や〝賢者の石〟などの呪宝を願うものですが……まぁ、よろしいでしょう」


 メフィストは呆れ気味に、物覚えの悪い生徒をさとすようにいう。このAI、本当に感情表現が豊かだ。実際はがいるんじゃないか?


「つまり魔術師は己の欲望のために争っているわけか」

「そのとおり。〝汝の欲するところを為せ〟でございます」


 俺は詳細ルールの読み上げをアプリに命じ、経文きょうもんのような文言を聞きながら夜道を歩き続けた。ああ……これ、倍速にならないかな。


     *


「よう、遅かったな。まァ上がれよ」

「悪いな、こんな遅くに」


 非常識な時間にも関わらず、上村は快く自宅へと迎え入れてくれた。持つべきは友だ。心なしか鼻が赤いのは、風邪でも引いたのだろうか。

 瀟洒しょうしゃなマンションの最上階角部屋2LDKの物件は、学生が一人で住むには広すぎるし贅沢な気もするが、経済的余裕のなせるわざなのだろう。

 玄関には大きな革製ブーツが脱いであって、どうやら先客がいるらしい。このサイズの靴となると、心当たりは一人しかいない。


梶畑かじはた君も来てんの?」

「ああ、呑み過ぎてトイレに籠ってるよ」


 梶畑君は、よく上村とつるんでいる大学の後輩だ。身長190cmを超すいかつい大男で、常にサングラスと革ジャケットを着用しており、その風貌からたびたび職務質問を受けるらしい。本人はいたって普通、というか重度のオタク気質でマニアックな性格をしているのだが。

 案内されたLDKは(俺が住むアパートの汚部屋からすれば)天国のように清潔で整えられていて、シンプルだが高そうな調度品が置かれていた。

 ただ、テーブルには酒瓶と飲みかけのグラスが転がっていて、微かにイヤな臭いが漂っていた。普段は几帳面な上村も、体調不良で家事には手が回らないのかもしれない。


「座れよ、お前も何か飲むか?」

「いや、おかまいなく。それで……早速なんだけど、これ」


 そういって俺はリビングのテーブルの上にメイガスフォンをそっと置いた。メフィストはここに来てからは黙ったままだ。部外者に存在を知られてはいけないのだろうか。


「へぇ、これがくだんの……ちょっと失礼」


 上村はスマホを手にとり、ためめつすがめつ調べ始めた。電話で入手した経緯は伝えておいたが、半信半疑ではあったようだ。画面は暗いままなので、やはり俺でなければロックは解除されないらしい。


「メイガス。魔術師って意味だな」

 

 流石は上村、刻印の意味を知っていたようだ。大学でも成績優秀らしいから、この程度は朝飯前なのだろう。


「何か見た目はそれっぽいけど、試したの? 魔法とか」

「いやァ……それはまだちょっと怖いというか、何というか」

「やってみなきゃわかんないじゃん、魔道書に書かれた呪文が実際に効くかどうかなんてさ」

「まァ、それはそうなんだけど……うん」

「それで、鷺田はどうしたいのよ。その何とかゲーム、棄権するのか。負けたら酷い目にあうんだろ」

「そうしたいところなんだが、この端末は俺にパーソナライズされているからもう辞退できないって。そもそも俺にというか、強いがあったから参加させられているらしい」

「何だよ、デスゲームに参加したい動機って」

「……5000兆円欲しいとか」


 俺がそういうと「ぷッはははははッ!」と盛大に笑われてしまう。上村は興奮した弾みで小さくクシャミをすると、ずるずる鼻を鳴らした。スマホをテーブルの上に放り出し、ティッシュで鼻をかむが、既にトナカイのように真っ赤である。

 そういえばアレルギー体質なんだと、以前いっていたようにも思う。


「それがお前の渇望ってわけだ」

「……うん、まあ」

「ならゲームが終了するまで、どこかに隠れておくのはどうだ。ここでかくまってやってもいいぞ」

「いや、俺としては〝勝てなくとも負けない方法〟とか、〝負けても死なずにすむ方策〟を相談したかったんだが……」

「逃げずに戦うつもりなのかよ! 勇気あるな、お前」


 ああ、そうだな。自分でも意外だったよ。

 腹をくくるってこういうことかって。

 ――しかし、さっきから気になっているこの臭い。

 鼻が効かない上村は気がついていないのだろうか。

 それに、梶畑君が一向にトイレから出てこないのは何故だろう。

 そして今、上村が口にした言葉――。

 俺はすうと背筋が寒くなっていくのを感じた。

 背中を一滴ひとしずくの汗が伝い落ちるように。


「なぁ、何でなんていったんだ」

「えっ、鷺田がそういったんだろう。渇望があるから選ばれたって」

「いや違う。俺に『動機や意思があった』から選ばれたんだ、っていったんだ」

「そうだったか。言い間違えたよ、すまんすまん」


 上村はいつのもように余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった態度だが、その目は既に笑ってはいなかった。眼差しからはドス黒い感情が漏れでている。

 俺は不可避的に致し方なく――何気ない風を装って疑問を口にした。


「上村、お前さ……まさかとは思うけど、梶畑君に何かした?」

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