十五夜に貰おうか悩みました

 何かあったのだろうか、いまやすっかりお隣のお婆さんは母の敵である。


 「いやこれくさ、くさぁはえてこれ、いやいやいやいや、くさ、どうしようもねえな、くさぁはえて」


 この辺は土地の西側半分に家が建ち、東側には庭が定番。代わり映えがなさすぎて、家を間違える訪問客が珍しくない。

 うちもそうだ。庭の先に、件のお隣のお宅の裏手があるのだが、いまやそこは空き家のように雑草でぼうぼうだ。

 以前は向こう側の境界に垣根があった。今も無いとは言えない程度にある。

 一度、ご近所さんの好意で一斉に地際から切り倒してもらっていた各株元から、ヒコバエが伸びて再生しつつあるためだ。これらもぼうぼうの一端を担っている。


 いつからか、お隣のお婆さんは、言うだけになってしまった。

 もともと口だけで自分でやらない、そんな印象のお婆さんが私は苦手ではあった。もしかしたら、年を取ったら周りに助けて貰うという事に躊躇しないお婆さんの姿勢に嫉妬していただけなのかもしれない。


「くさ、とんなんねな、くさぁこれぇ」


 はじめは、聞こえるよう言ってれば「やってあげようか?」と言ってもらえるとでも? と思っていた。

 垣根があった頃、つい言った結果、そっちの敷地に伸びた枝は切っていいよと言われ、毎年45リットルのゴミ袋4つ分みっちり仕事をさせられた私は、うちの木じゃないのに何故こんな汗だくのうえ蜘蛛の巣だらけになりかつ何週にも分けて早朝ごみ捨てにいかねばならぬのかとぐぬぐぬしていたし、今もお隣から侵入してくるスギナや蔦類の雑草にグギギギしていて、お婆さんにはまだ、散歩する筋力も立ち話する元気もあるのだから、これ以上はお断りなのである。


 なのだが、向こうの家のサッシ窓が勢いよくガラッと開き、「くさはえてこれ」を言うのが次第に増え、とうとう1日5回を超えた。

 なぜか閉める時はゆっくり、カラカラ、カラ、ピシャンと、うっすら余韻を残していく。

 それを同じように1日何回も。

 一度、丑三つ時にガラッと窓が開いて、くさはえてこれくさ、と聞こえたときには背筋が冷えた。一瞬で目が冴えた程に。

 思わず翌日、開けた窓の向こうにいるお婆さんを覗った。まさかうちに向かって言ってないだろうなと。

 結果、お婆さんは、ぐるぐるぐるぐる、あたりを見回しながら言っていた。真っ白になった髪と、入れ歯を入れていないらしい皺くちゃな顔。目が合うのが怖くて直ぐ体を引いたけれど、瞬間見えた顔には、感情が乗ってるようには見えなかった。

 ガラス戸が閉まった何メートルも離れたうちまで聞こえていた、普段聞いていたままの声と、あまりに繋がらない顔。


 その時以来、私の中でお隣のお婆さんがトラウマ化して、草刈ってやらないといけないような気がしてきていた。

 草さえ刈ったらもう言わなくなるだろ?! こっち見ないだろ?!! だからもうやめてくれ!! という、今にして思えば取り憑かれているようだったと思う。


 今、お隣は留守がちである。

 お婆さんはデイサービスに連れて行かれて、家に居ないことが増えた。


 しかし、お婆さんと同居している家の人は、あれだけ「くさとらないと」と繰り返し言っていたのをよく無視できていたものだと思う。私より圧倒的近くで、同じ家の中で言われていた筈なのに。


 今も変わらず、お隣の裏はぼうぼうだ。そして今でもたまに「くさこれくさ」と聞こえてくる。

 今年はさらにススキやセイダカアワダチソウが増えて高さが出た為、なかなかのお祭り状態である。

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