第58話 5-6_丿口家から「そんなこと赦されるわけないのに」
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丿口家の母屋へ通された。
居間と開け放しになった奥の部屋は、普通の生活空間だった。
電気炬燵があり、テレビがつきっぱなしになっている。途中の廊下にドラマのセットでしか見たことのない黒電話があった。
「保護者さんは?」と林檎B。
「師匠はしばらく海外」
冥宮師として、特に切紙師としての師匠にあたる
そのイナミ氏が不在がちなので、昔から日常生活は四方宮家の世話になっているという。四方宮家は丿口家のこの居間で一緒に食事をし、丿口家の洗濯場を使い、時に丿口家の大風呂へ入る。寝るときになると馨くんは四方宮家の寝室で睡る。
「何か今特に忙しいんだよな。アメリカで切紙スクール開くことになってインストラクターの指導とかしてるらしい」つぐねがいう。
「師匠さんが?」
「ジャスティン・ビーバーがSNSでイナミさんの作品を褒めて、それがきっかけだとか。今ハリウッドセレブのあいだでKIRIGAMIが大ブームってわけよ」
「ほんとかあ?」
つぐねはゲラゲラ笑っている。ホラ話に聞こえるがヘチ子が否定しないので、けっきょく真否は不明のままになってしまった。とにかく忙しいのは本当のようだ。
「師匠さんには匣のことどう説明するつもり?」
林檎Bは訊ねる。馨くんは隣の部屋で、つぐねとゲームに夢中だ。
「しばらくは黙っているつもりだ」
ヘチ子はそう答えた。
「『しばらく』って何か考えがあるの?」
「うん……」
ヘチ子はしばらく考えている様子だったが、結局まとまらなかったらしい。代わりに質問を返して来た。
彼女は美しい爪の先で、林檎Bの胸元を指さす。正確には首から吊した袱紗にある
「その匣はどういう存在なんだろう」
「私が知るわけないでしょ。ずっと昔に誰かが作ったんじゃないの?」
これは本当だ。匣の来歴について林檎Bは何も知らない。
「一度じっくり調べたい」
「私の願いが叶ったあとで好きしたらいいじゃない。私はそんなことに興味ないし。でもちゃんと考えたことなかったな」
「誰か作った者がいるはずだ」
「それはそう」
「そもそもどうやってこんな匣を手に入れたんだ?」
「話してなかったっけ?」
「ない」
何だかすでに話したような気もするし、そうでないようでもあった。この二人とは知り合ってずいぶんになるような錯覚をしていた。それに彼女には隠し事が多すぎる。
林檎Bは質問に答えていう。
「そう。人から受け取った」
「受け取った? 誰に?」
ヘチ子の声が大きくなる。
林檎Bは正直に話す。
「顔も覚えてないよ」
とある理由で入院していたとき、林檎Bは初めて会う老人から匣を受け取った。とある事情で、朦朧とした状態で受け取った。夢だと思ったが、目覚めるとそれは彼女の手の中にあった。
「それきり。そのおじいさんとは一回も会ってない。特徴とかも思い出せないな。そういえば。ただ匣を使うときの大まかなルールは教わった気がする」
「そう……奇妙な話だ。もちろん信じるしかないが」
「それがどうかした?」
「いや、分からない。確証もないから」
曖昧な言い方でヘチ子は口を閉ざした。それから素直な疑問が浮かんだ様子で、それをそのまま口にした。
「そいつはなぜ林檎に匣を寄越したりしたんだろう」
「さあねえ」と林檎B。これも知るわけがない「……持っていることに疲れたのかもね」
ヘチ子は細い首をかしげている。
馨くんもいるし「しほうみやふるうつ」から追加の差し入れが立て続けにやって来たりして、けっきょく匣の話はこれで終わりになった。
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丿口家にはいくつか離れがあって、その一つがヘチ子の部屋になっているらしい。
別の開いている部屋はつぐねが遊び部屋にしていたりするそうだ。
そこには彼の漫画本が収納してあったり着替えがそのままになっていたりする。彼は自分の家のように丿口家を案内して、ヘチ子が人知れず買いこんでいるカップ焼きそばの隠し場所まで教えてくれた。
インスタント麺を食べるのは堕落。弟の教育に悪いという主張だが、要するにカップ焼きそばなど食べない厳格な姉を演じたいのだ。
「あと『特に何もやってないのに筋肉つきました』ってやりたくて隠れて筋トレしたりな」
「あの子のカッコイイの価値観男子小学生生みたい」
馨くんはそんな姉を半分見透かしつつも健やかに慕っているらしい。問題なくやれているようで林檎Bはほっとする。そして彼女のことで安堵する自分を警戒する。
四方宮家の人びとは優しい。
人見知りのヘチ子も家族同然の付き合いをしているようだ。ヘチ子からすると親戚のお姉さんのような距離感でいるようだった。
となればヘチ子にとってつぐねは肉親に近い感覚らしい。
少し前、林檎Bはつぐねに訊ねた事があった。
「どうして私の過去のこと、ヘチ子にばらさないの?」
カピバラ事件の時点で、つぐねは林檎Bの過去に気づいている。しかし彼はその事をヘチ子に話さないままでいるようだった。
彼の答えてこういった。
「ああ。その方がバランスがいいと思うからな」
「いや分からん」
彼は困った顔をした。自分でも上手く言葉にできないようだった。
「まあ、お前が代わりにって頼むんならおれの方からヘチ子に伝えてやっても善いけど」
「別にそんな必要ない」
と林檎Bは答えた。頼めば、彼はいう通りにしてくれただろうと分かった。
また、その時、つぐねの願いについても訊いてみた。
「もし匣を手に入れたら叶えたいことはある?」
「ないね」
彼は即答した。「おれは奉仕の精神で生きてるんだ」
「いや分からん」
「おれはヒトより強く生まれついたし、だとしたらその分自分より弱いやつには奉仕して生きるべきだと思ってる。さらにおれは他人より可愛く生まれたから、やっぱりヒトにはその可愛さを返してやるべきなんだ。この格好だってそうだ。マッチョがタンクトップを着るのと同じよ」
「うーん最後の例えは下手だと思う」
「おれはヒトの輪の中へ入れてもらってる存在ってことよ」
よくわからない理論だが、本心のように見えた。彼は自分自身について傲慢なほど満足している。そして多分、ちょっと淋しいのだ。
「じゃあ、ヘチ子が匣を使いたいっていったら手伝う?」
「まあ、手伝うことになるだろうな」
彼は少し考えた後、そういいきった。ヘチ子が何を願うかといった前提もすべて通りすぎてそういった。
たぶん自分たち二人なら何でも叶うと信じているのだろう。
本当にそうなら善いのにと林檎Bは本心から思う。
けっきょく夕飯をごちそうになり、携帯端末で写真までとったりしたあと、林檎Bは送迎付きで丿口家を後にした。まるで友達みたいだ。
「そんなこと赦されるわけないのに」
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