第57話 5-5_丿口家へ「かっこいい姉をやろうとしている!」



 カピバラ事件以降、ヘチ子の態度は、意地を張る傾向は残ったものの、明らかに軟化している。

 つぐねは無遠慮に笑って「お楽しみ会の成果だな」といった。

 林檎Bはヘチ子の母親については考え続けていた。自分と同じキズを持ち、子供を残して亡くなった女性。死因は不明とのこと。ヘチ子はどう考えているのだろう?

 ついに林檎Bが丿口へちこう家へ招かれたのは、あの不機嫌なお目付役、久我がきっかけだったといえばいえる。


 街を歩いていたところ、つぐねが足を止めた。遠くをスーツ姿の青年が真っ直ぐ歩いてくる。

「ちょっと離れた方がいいかもな」

「誰だっけ?」

 学校へ忍びこんだ際に見た顔だったが、林檎Bは面倒なので知らないことにした。

「久我ちゃん。あの人は冥宮師じゃないけど本家に雇われてる側だから、林檎は顔見られて得はねえな。あとヘチ子とケンカになる。『雨降りそうだけど傘平気か?』程度の会話でヘチ子をキレさせられるのはお前か久我ちゃんだけだ」

「ああ、ああ」と林檎B。「じゃあ、私は面倒を避けさせてもらって……」

 離れていこうとするのを、どう考えたのか、ヘチ子が引っ張って止めた。

「お? なに? どうした」

 振り払うほどでもないし戸惑っているうちに、久我はもうすぐ手前までやって来ていた。彼は歩くのが速い。

「見回りか」

 挨拶もなく詰問してくる。

「あれ~気づかなかったな~」

 と白々しいつぐね。

 久我は横目で林檎Bを見ると、わずかに目礼らしきものをした。

「こっちへ」

 彼はヘチ子を連れて離れていった。

「ほら嫌味いわれてる~。久我ちゃん口が悪いんだよな~。ヘチ子も反抗期だから――でた~」

 隠れて様子をうかがっていると、さっそくヘチ子のビンタが出た。

 久我が躱したかに見えたが、ヘチ子は空振りで接近した後、両手で久我の頭をロック、ジャンピング頭突きを決めた。ボーリング玉同士をぶつけたような音が林檎Bの所まで聞こえた。

「ジャンピング頭突きだ! 隙を生じさせぬ二段仕掛け!」

 つぐねは歓声を上げている。

 どうやら深刻なケンカではなくよくあることなのだな、と林檎Bは安心する。実際、その後は何事もなく会話を終え、久我は去って行った。

 ヘチ子が美しい額をほんのり赤くして凱旋してくる。久我からとどんな苦言を受けたのか、憮然としている様子だった。

「家へ行く」

 と、何か意地になったように宣言したのは、もう帰るという意味ではなく林檎Bを招待するという意味らしかった。


 久我そっくりの早足でヘチ子はずんずん歩いて行く。着いていきながら、林檎Bはつぐねへ尋ねた。

「久我って人、昔からの知り合いなの?」

「母ちゃん亡くしたとこへスカウトに来たのが久我ちゃんらしい。だから顔見ると反射的に気分がオチるんだろな。まあ純粋に久我ちゃんの言い方が悪いというのもでかいけど」

 不幸の象徴みたいなところがあるのだろうか、と林檎Bは想像した。

「じゃあ、あんたより付き合いは長いの?」

「うん。まず久我ちゃんに本家へ連れてかれて、そこでいろいろ仕込まれたあと河尻に来たからな」

「じゃあ久我さん保護者みたいなもんなんだ?」

 というと、ヘチ子が振り向いて念入りに訂正してきた。

「ぜんぜん違う。ぜんぜん、違う」

「二回いうじゃん。嫌そうな顔」

 一応、反抗期の矛先を引き受けるくらいの役割は果たしているんじゃないかと林檎Bは想像した。

 ついでにつぐねの家にも寄るという話に勝手になった。

 気にすることないと止められたが、林檎Bはお土産を買っていくといいはった。と彼女はいうのだった。

「保護者さんにはちゃんとしておかないとね」

「お前にそんな常識が……」

「一カ所分の土産で十分だぜ」

 つぐねがいう。林檎Bは首をかしげたが、けっきょく鞠ヰまりぃあんで『梅ゼリー』を買った。


 街外れのだらりと続く坂を登ったとき、つぐねのいった意味が分かった。

 坂の終わりに道祖神の祠、廃線になったバス停跡を越えて、すぐ左が丿口へちこう家。右手やや奥の果物屋『しほうみやふるうつ』がつぐねの家だった。両家は向かい合っていて、ほとんど一つの家のように往き来しているのだった。



 民宿みたいな木造家屋の丿口へちこう家を左に見て、まずは「しほうみやふるうつ」へ向かった。こちらは古いことを除けば良くある店舗一体型の家屋だった。一階が果物屋、二階が住居になっている。隣が広い倉庫とガレージになっている。その入り口に葛棚があってこれが「しほうみやふるうつ」の目印のような役割をしていた。

 キウイ。葡萄。アケビ。マスカット。ゴーヤ。朝顔。すいかにメロンと、様々なツル科植物が季節ごとに花や実をつけるのだという。今は小ぶりなキウイがいくつも実っていた。どうやら歴代の子供達が遊び半分で吐き出した種が根付いたものらしい。その中につぐねやヘチ子も混じっているのだろうと林檎Bは想像した。

 周囲は古い民家や沼ばかりだという。だが奥の山手に病院があって、その見舞客が買いに来たり、パーラーへ商品を卸したりで客は結構いるらしい。さらに引退した祖父母が果樹園もやっていて、そのブランド人気でやっていけているのだという。

「やあ、お土産まで持ってきてくれるお友達は初めてだ」

 帳簿をつけていた四方宮春夫氏に挨拶したとき、林檎Bは初めつぐねのお兄さんかと勘違いした。

「兄上? 兄上?」

 と口だけ動かして訊くと、つぐねは「父ちゃん」だという。

 小柄で色白、極めて温厚そうな男性だったが、せいぜい二十代後半にしか見えない。息子の伝法な言動もこの人由来ではないようだ。林檎Bはジブリ映画に出てくる優しいお父さんを連想した。

「こんなちゃんとした子がウチのこの友達に? そうだ、これ母屋に持って食べてね。これも。これも。これもこれもこれも」

 次に会ったのが、母親の四方宮しほうみや麻彌まや

 人当たりの善い可憐な感じのする人で、瞳の特徴がつぐねとそっくりだった。ただしホクロはない。

 小柄で柔らかそうな女性、という印象だった。だが、その見た目を大きく上回る筋力で、果物の入ったケースを何段にも積み重ねて軽々と抱え、そこから片手持ちになって、廃棄期限の迫った果物をひょいひょいと息子へ投げ渡している。

 麻彌さんが担いでいた荷物を載せると、トラックはウイリーでもしそうな勢いで揺れた。

 あとでつぐねが教えた話によると、春夫氏は四方宮家の養子で、古代力士の血を引くのは母親の麻彌さんの方だという。この夫婦に、丿口へちこう家のイイナミ氏を含めた三人は学生の頃からの友人だった。

かおるくんも向こうにいるからね」

 お土産に渡したお菓子の半分以上と、山盛りの果物を持って子供たちは向かいの丿口家へ移動した。


 丿口家の本館の事を彼らは母屋と呼んでいるらしい。

 広い敷地を生け垣がかこっている。門をくぐると、和風の庭園があり、いくつかの家屋が散らばっている。豪邸という印象ではないが個人宅としては持て余しそうではあった。

 時代劇の集落をぎゅっと凝縮したらこんな家になるかもしれない。あるいは料亭か民宿みたいだ。林檎Bが口に出していくと、それは正しかった。

「大昔は宿だったらしい」

 母屋へ案内しながらヘチ子がいった。

「各地の丿口の中には定住を許されなかったり、旅芸人のような生活をする者たちがいたから、そういった仲間の逗留先として主に使われていた。そういう人間ばかり相手にしていたから、普通の客は寄り付かなかったらしい」

 外向きの商売ではなく本家に命じられた役目の一つだったという事だ。

 そういわれて見ると、敷地は広そうだがどうやら庭にあるらしい離れや蔵のような建物も、通された母屋も二階建てで、収容人数は多くなさそうだった。母屋のトイレは修理の予定が入っているので、行きたければ裏手の小屋を使うべし、とのこと。


 義弟の馨くんは、玄関の開いた音を聞きつけるとすぐに走って来た。年齢は十歳。ほっぺの赤い、黒目がちに下ぶくれの男の子だったが、パーツは品良く整っていて、背が伸びれば一気に貴公子風に成長するだろうと林檎Bは見抜いた。そういうタイプの顔だった。

「うっ」

 という声を上げて男の子はヘチ子の足に抱きついた。何かいうよりも先に甘えたいのだろう。知らない人がいて恥ずかしかったのかもしれない。

 これはヘチ子は可愛くてたまらないだろうと見ていると、彼女は義弟をちゃんと立たせ、断固とした口調を作って「お客さんに挨拶しなさい」といった。

 林檎Bは反射的に「こいつ格好をつけている」と思い、実際口に出して「こいつ格好をつけている」と叫んだ。「かっこいい姉をやろうとしている!」

「丿口馨です! いらっしゃいませ」

 それだけはっきりいうと、馨くんは照れてつぐねの後ろへ隠れてしまう。

「梅ゼリー買ってきたぜー。奥でゲームしながら食おう」

 つぐねが馨くんを連れていく。

 ヘチ子の方は、何をいわれても貴族軍人みたいなポーズを崩す気はなさそうだった。

「行こうか。ああ、楽にしてくれてかまわない」

「格好を! つけている!」

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