第38話 4-4_河尻観光「ベンガ!」
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河尻市。
人口約三十万人の、これといった特徴のない地方都市。
大きな空襲を経験しながら死者がゼロだったことと、河童伝説が自慢で、市民は何かにつけて「河童の川流れですわ」といいたがる。
現市長は「美人秘書尻子玉接待」という失言で問題になった温水喜一郎。彼はこの問題を「私は自分を河童だと思いこんでいる節があり……」という自身の薄毛をネタにした逆転の一手で切り抜け、全国に名を馳せたことがある。
ソウルフードは蓬莱漬け。
シンボルは諏訪神社の
「で、五年だか十三年だか前に都会から大幅に遅れてカラーギャングが流行って今も続いてる」
「ふーん。おらっ。さっきの赤ギャングっての……は!」
林檎Bは振り子打法で豪快に空振りしながら訊き返す。
バスを降りた三人は、バッティングセンターに来ていた。
なぜバッティングセンターかというと、カラオケボックスなら秘密の話もしやすいのでは? というつぐねの提案をヘチ子、林檎B共に拒否したからで、その理由として「まだ開いている店がない」といわれてしまえばつぐねも納得せざるを得ない。徹夜明けに集まるつもりで、集合時間を早朝に設定したのは彼自身なのだった。
それでとりあえず目についた『こだまヒッティングセンター』へ入った。入ってみると客同士離れて遊ぶため意外と密談に向いている場所ではあった。
「んんんッ!」
ヘチ子が美しいフォームで空振りする。その後ろで、つぐねが質問に答えて、
「あいつら昔は『池袋ウエストゲートパーク』の真似して、抗争とかしてたらしいんだけどよ、そのうち一つのチームがライン越えたんだよ」
「それが『赤色』チーム? おらあっ。ハイいった。入ったっしょ。入ったろうがよー」
「ぜんぜんファールじゃん――その『赤色』チームが街の外の反社と組んで麻薬売り始めたりとかしたからよ、これはヤバイってんで、当時の色んなチームが連合組んで『赤色』やら反社を追い出した、らしい。その同盟が続いて今に到る感じ」
「私、クスリの売人と間違えられたの!?」
「んんんんッ」
というのは横の席でヘチ子が沈香の匂いを振りまいて空振りした声。
「ただの難癖じゃあねーの?」とつぐね。「あるいはナンパか。まあヤンキー狩りみてーな事してんだから、ヤツらの動向には気をつけときなよな」
「赤マフラーなんて街にいくらでもいるっしょ。はいヒット~。もうコツはつかんだ」
「いやファールだったよ」
「んッ!」
横でまたヘチ子が空振りした。
林檎Bはそっちへ矛先を向けて、
「あんたらはチームに入らないの? ヘチ子はあれかい? 黒色チーム? 黒一色だもんね。ココシャネルかあんたかっていう――」
「情報交換じゃなかったのか?」
ヘチ子は不機嫌に遮った。
「おやおや打てないからってムクれてるのかな? かわいいとこあんじゃーん」
ちょうど林檎Bがそういったとき、ヘチ子の金属バットが快音を響かせた。
「打ててないとは誰のことだ?」
ヘチ子は身内にだけ分かる得意顔をしている。
「ファールだぞ」
つぐねが指摘した。
しばらくファールの打ち合いが続いた。
我に返った少女たちは、情報交換の話題を始めようし始めた所で、隣のボックス続く快音に気づいた。
店内スピーカーからファンファーレと共に「ホムーラン!」という電子音が立て続けに鳴っている。
「桃ちゃんさん?」
いつの間にかやって来ていた片食妹が、昭和の名選手のような一本足打法でホームランを量産しているところだった。
防球ネットの向こう側では、サングラスをかけたが腕組みしていて、妹ではなく打たれまくっているピッチングマシーンに対し「それはそれ、これはこれ!」「敵を飲んでも、飲まれるな!」などと熱いコーチングを繰り返していた。
後で聞くとそれはマンガ『逆境ナイン』の名監督、サカキバラ・ゴウのコスプレだという話だったが、それが後々に起こる事件と関係あるかというとそんな事はなかった。なにひとつ。
「さっそく身内と会っちゃったよ。匣の話できねえし移動するか」
こうして子供チームは、サカキバラゴウの名言を背後にバッティングセンターから離脱した。
#
しばらくいった所でクレープを買い、路上で食べた。
ヘチ子は数口で満足したのか残りをつぐねへ渡した。
「クレープってよ~、寿司くらい小さくしてぽいっと放り込めるようにしたらもっと売れるんじゃねえかなあ~。寿司そっくりの形にしてほしい。手巻きじゃなく握り。フルーツ寿司にしてほしい」
つぐねはこぼれがちなクリームを舌で受けようとしていたが面倒になったのか一口で頬張った。そして林檎Bの呆れたような視線に気付いていった。
「おれは
「なるほどソップなのを気にしてんのね。力士として」
ソップとは痩せ型の力士のことをそういう。
「いっぱい食べて立派なアンコ型におなりね」
「微妙に違うけどそれでいいや。なに、お前一個も食べてないじゃん」
林檎Bはクレープを買わなかった。それに前回のちゃんこ鍋もほとんど箸をつけていなかったのをつぐねは思い出す。
「ダイエットか?」
「ダイエットはしない。どうでもいいから」
「そういう考えかた不健全だとおれは思うぜ~」
クレープのちり紙を丸めながら、つぐねはヘチ子の態度に気づく。バッティングセンターを出たときには、いくらかスッキリした顔をしていたのに、何が気に触ったのかまた美しい河豚感を漂わせている。
「まあ、いいけど」
彼はわざとらしくゲップを一つしてひんしゅくを買うと、そのまま歩きだした。
少し行ってレンタルサイクルを見つけた。電車は混んでいるし、目的地も決まってない。これでちょっとうろついてみてはどうかと彼が提案した。
林檎Bは同意して、
「いいけどヘチ子は平気? バッセンの感じだと運動ダメそうだったけど大丈夫? 補助輪つき探すぅ?」
「は?」
数十分後、入り江沿いのサイクリングロードを激走する三台のシティサイクルがあった。
時にハンドルをぶつけ合いながら先頭を競り合うのはヘチ子と林檎Bである。
「おらっ。落ちろ! 落ちろ!」
「お前が落ちろ!」
「危ねえなあ。車来たらやめるか車を吹っ飛ばすかしろよ~」
持久走の嫌いなつぐねは後ろをついていく。ときどき完全な手放しになってチョコの包みを取り出したりする。
「お前ら走りながらなら情報交換できるんじゃねえの?」
思いついていってみたが、ごうごう風をと切って行く二人には聞こえないらしい。キエエとかンーッという雄叫びが切れ切れになって聞こえてくるばかりである。それにベンガベンガ。
「ベンガ?」
それは背後から追いついてくる謎の声だった。
ライディーンのロゴが入ったサイクルジャージ姿に、熟練競技者のようなエアロフォームをとった片食妹が競技用自転車で追いついてくるところだった。
そのピンクの車体の後ろから、片食兄の運転する深紅のスポーツカーが付き添っている。
声は助手席のエリさんからだ。『ヒゲの笑い袋』とプリントされたジャンパーを着て、おじさんのような声を作って「ベンガベンガベンガベンガ」と声援を送っていた。ベンガとはスペイン語で「行け」ほどの意味である。ロードレースの大会などで選手へ送られるお決まりの声援でもあったが、つぐねがそれを知るよしもない。
「ベンガー!」
車がとつぐねの自転車に並んだ。
「エリさん何やってんの!?」
「何って『スーツケースの渡り鳥』の時の藤やんにきまってんだろうが鈴虫このやろう」
「ごめんおれ『どうでしょう』ネタあんまり知らない。あと何そのかっこいい車!?」
「『親金』というやつでちょっとね」
運転席の大学生が応える。
「景気のいい話だなあ」
前方の片食妹を見ると、彼女は逆手に持ったボトルから水をチュッと飲むと一気に加速して見えなくなった。
「じゃあ僕ら予約があるから」
「片食くん、今日は腹割って話そう!」
車も妹のデローザを追う。すれ違いざま、薔薇の香りと共に補給食を投げ渡してくれた。
「何だったんだ……」
「ところで私らどこへ向かってるわけ?」
と林檎B。
三人は自転車を止め、もらった栄養バーを手に、しばらく首をかしげていた。
「お前らが暴走したんだろ。腹減ったしちょっと付き合えよ」
その後、海岸沿いのラーメン屋のテラス席で鯛ラーメンを食べてた。
テラスから見える海の沖を、ポンポンポンポンと音を立てて漁船が横切っていくのだが、目をこらすと船上には釣り上げた魚を高々と掲げる片食兄妹、有名釣マンガのようなダイナミックなポーズで竿を振るうエリさんの姿を見つけられた。
「予約って釣り船のことだったんだあ……」
「満喫してんなあ。お前らもちょっとは見習って楽しむ努力をだな」
つぐねがそういった時には、すでに二人はテーブルの下で小突き合いを始めている。
「でもまあ何やかんやで『お楽しみ会』っぽくはなってるのか?」
とつぐねは思う。
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