第37話 4-3_電車内「色、色」
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「空襲で焼けなかったのが自慢なんだってよ」
三人はとりあえず路面電車に乗った。
河尻市内には、このゆっくり走る小さな電車が常時回送していて、学割で一日乗車券を買えば、一日中自由に乗り降りできた。
「まあ、とりあえず窓でも眺めながらどこ行くか決めようぜ」
とつぐね。
「もうここで情報交換すませたらいいんじゃないの」
林檎Bがそう主張するが、そういっている間にも、近くの席のお婆さんが蜜柑を分けてくれたり、愉快な孫の話をふってきたりする。ワンカップ片手に席を立つ気配もないサラリーマン風の男もいる。
「だめか」
と林檎Bが呟く。ここは〈願いの叶う匣〉の話をするには向いていない。
そのとき、横の席のヘチ子が窓を見て、急に首を竦めた。
つぐねの位置からも自転車に乗ったシャシンブの姿が見えた。常に彼女から追いかけられているヘチ子は反射的に隠れたのだ。
「気付かれたか?」とヘチ子。
「いや、怯えすぎだろう。お前らむしろシャシンブには感謝しねえとダメだろ」
「何で私まで?」
というのは林檎B。
つぐねは説明して「屋上事件」の後のことを語った。
「あのあと大変だったんだからな。お前がバックレたあと」
救出された直後、林檎Bはまるでヘチ子の保護者のように振る舞い、学苑側の管理責任を騒ぎ立てた。老朽化のせいでこの子が死ぬところだった。怪我してるじゃないか。責任者を呼べ、いやこっちから出向く。と激怒して見せた。
そして戸惑う生徒達の前で携帯端末をとりだし、電話する振りで「ここにいる全員の顔を覚えました。今から、パパと鬼怒川幹事に報告してきますからね!」などといって屋上を出たきり、そのまま帰ってこなかったのである。「鬼怒川幹事」なる何やらタチの悪そうな人物を恐れて、誰もが通報を躊躇したという。宙づりになった二人の動画がSNSに上げられる、というような事態も、今のところ起こっていない。
「で、おれらはお前のことは『ぜんぜん知らん人』で通した」
「ふん」と林檎Bは頷いている。
「で、『事故』は老朽化のせいってなぜか学校も認めて、その代わり表沙汰には……って事になった。鬼怒川幹事って誰だよ。実在しねえだろ」
「ふん。計算通り」
「おれらも裏口合わせたし」
「ふん」
「シャシンブも責任感じて話し合わせてくれた」
「……あのずっと瞳孔開いてた人が?」
「カメラ構えてねえ時はまともだから……」
「そうなんだ」
「校舎裏に倒れてた子たちは何があったか憶えてねえ」
「まあまあそうでしょうよ」
「何であのタイミングで〈匣〉使おうと思ったかね」
「まあまあ色々」
林檎Bはすべての質問に曖昧な態度を示した。
それを気に入らないらしいヘチ子が睨んでいる。
つぐねは続ける。
「あとなぜか学苑長の不倫疑惑とかが持ち上がってて、それで余計騒が有耶無耶になった」
「ああ、ああ」と林檎B。
「ていうかマジだったらしく今も揉めてる」
「わー最低~」
「同じ日に『ゴリパン』のお姉さんが窃盗で捕まったり」
「あー」
「何か先生が階段下で気絶してたり」
「あーあー」
「そういうごちゃごちゃが重なって何か『オマケの事故』みたいに認知されてる感じだな。好い加減にしろよなお前ら」
「おこんなよ~」
林檎Bは例によってへらへら笑っており、ヘチ子が爆発するのは時間の問題であるかに見えた。
あの目の据わった感じは、六五点ぐらいかな、と幼なじみは推測した。
性質的に、ヘチ子の怒りは熱しやすい代わり、限界点が遠い。
我慢の限界を一〇〇とすると一〇ヘチ怒くらいまでの怒りは頻繁だが、文句をいう程度の発露に留まる。
稀に三〇ヘチ怒まで行くと仲違いといっていい状態になる。久我はこの辺りでビンタされる。
六五を越えるのは、その問題が家族へ及んだり、あるいは重大な価値観の相違が起こった場合。今がここである。
九〇になると泣く。だがつぐねの知る限り、ヘチ子が誰かに九〇の怒りを向けたことは片手で数えるほどしかなかった。
そしてその数少ない事例の一つが、あの屋上の件である。少なくとも九五は越えてたなとつぐねは思う。
泣くだけなら、映画でも身の上話でも、案外簡単に泣く女なのだが、あれ程までに怒りを露わにしたのは、初対面の相手ではあり得ない事だった。
何か林檎に対して思う所があるのかもしれない、と推測できたが、具体的なその「何か」は、幼なじみの彼にも想像がつかなかった。
「いや。相手の煽りが上手すぎるのもあるんだろうけど」
「ん? 何が?」と林檎B。
「いいや。それよりお前らケンカはじめたらいつでも撮影は開始するからな」
釘を刺したとき、電車が止まって新しい客が乗りこんできた。
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どやどやと、目に優しくないファッションの青年たちが怠そうに乗りこんできて、何だか互いに牽制し合うような雰囲気を醸している。
が、車内が狭いこともあって、ほんのわずかな距離をあけてグループ事に座るしかない。
「不良のくせに朝はえー」
というつぐねの呟きに、彼らは嫌な顔をする。しかし絡んでは来なかった。怠そうな動きに油の浮いた顔といい、どうやらつぐね同様彼らも徹夜明けらしい。
「ねえ、あいつら色違いだけどケンカとかしないの? それぞれ何色さんチーム?」
林檎Bが訊ねる。
ヘチ子は返事をせず、つぐねが説明をする場面だが、
下を向いたまま、何だか気難しい音楽家がセッションを仕掛けるみたいな、独り言めいたやり方だった。
「
「何」と林檎B。
「
「語尾になんか着いてなかった?」
「おもろいと思ってやってるらしい」とつぐね。
するとまた別の茶色のバンダナをした男がセッション声でぼそぼそいう。
「違いますぅ~。協定ルールにそうあるからですぅ~。
「え~また何? きもい。語尾の説明になってないし」
きもい。という林檎Bの言葉に若干傷ついた気配を漂わせたあと、また別の、銀色のアクセサリーをジャラジャラさせた男が、今度は目を合わせて尋ねて来た。
「お姉さん赤ギャングじゃないよね?」
「何?」と林檎B。彼女の首には赤いマフラーが巻かれている。「違うけど?」
するとまた、別の男たちがセッションをはじめた。
「色色協定ルールその一。『赤色は禁色の色』だ色」
「『違法薬物も禁止色』」
「『しらすの密漁絶対ダメ色』」
「『街に災いを持ちこむな色』」
「色色うるせえな。要するに昔あった赤ギャングがやらかしたから、赤色のチーム作るのは禁止なんだってよ。クスリ売ったりとか。だよな?」
面倒くさくなったつぐねが話をまとめる。
「色」
「色」
「了解みてえにいってんじゃねえよ」
「お姉さんコートの下に何か隠してるでしょ。見せて」
彼らは再び林檎Bへいった。
「は? ころすぞ」
突然の反撃。男たちはいっせいに俯いた。
「こわ……」
「こわ色……」
林檎Bは首から袱紗の袋を吊して、そこにディスコの匣を持ち歩いている。それがちゃんとあるかをコートの上から確認するのが、彼女の癖になっていた。色色の男たちはそれを訝しんだらしい。
それ以降も、男たちは時に身内でセッションしながら、じろじろ見続けてくる。
いいかげん鬱陶しくなって、三人は電車を降りた。
その時、入れ違いに別の色色が乗りこんで来て、車内の仲間に、
「色」
「色」
と挨拶をしていた。
「戦隊ものの怪人かよ」とつぐね。
この時点では、彼らとへんてこな争いを起こす事になろうとは、まったく、想像もしていなかった。
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