第39話 4-5_レグヌーカ「カラス使いは実在した!」



 その後もしばらく自転車で海沿いをまわった。

 河尻市の海辺は観光地としては廃れていて、そのかわり静かで走りやすい。店は地元民しか立ち寄らないような施設がいくつもあった。

 海女小屋みたいな小さな店で餡子入りの焼いた餅を買った。

 丸橋を渡った小島の展望台に、昭和の力士が残した手形色紙を発見した。望遠鏡を覗くと漁船の片食兄と目が合った。

 河尻大市場では、タコに墨をかけられそうになったり、くりぬいた巨大カボチャをかぶって記念撮影したりした。

 漁業組合のトラックが並走してきて飲み物を分けてくれた。

 移動のあいだはだいたい言い争いか競争になったので、けっきょく情報交換はできないままだった。

 街の方へ戻ろうとしたところで、彼らはレグヌーカを発見する。



 街外れの道の路肩へ無造作に、昭和のドラマにでも出てきそうな移動販売車が駐まっている。

「レグヌーカだ」

 本日初めて、ヘチ子が先に立って動いた。

 レグヌーカは多分屋号である。

 車体に看板が吊してあって、そこには月の下で踊るムササビのシルエットが描かれている。

 誰かがその絵を見て『レグヌーカ』と呼びだし、それを店主が肯定も訂正もしないので、それで正式名称のようになっている。

「何屋さん?」

 林檎Bは用心深く近づいている。

 周囲には車を発信源として、実に様々な匂いが混じり合っている。嫌な臭いではないが、神経を痺れさせるような芳香は、ほとんど物理的な刺激に近く、なんだか階層状になった香りの一つ一つに触れられそうな気さえする。

 荷台の窓がカモメの翼みたいに開いて、中の棚には商品がぎっしり、おせち料理そっくりにならんでいた。しかしそれらを間近で見ても、箱詰め、瓶詰め、あるいは四角い餅のような物たちが、いったい何なのか想像もつかないのだった。

「……手前の店では、まあ、様々な香りを扱っております……香木、香水、化粧品。薬味に干肉、毛皮に桜虫。坊ちゃん嬢ちゃんには匂いつきの文房具もございます」

「おあっ……と。どうも」

 車の影から男が姿を現した。

 まるでそこでずっとくつろいでいたという風に、男が立っている。折りたたみ椅子に円テーブル、淹れたてのコーヒー。読みかけの新聞紙が置かれていた。

 ついさっき車の周囲をぐるりと廻って、誰もいないのを確認した所なのだが。気のせいだろうと一同は考えることにした。新聞からは文字の形が読み取れそうなほど濃いインクの匂いがした。

「……と、まあこういった店でして」

 どういう店だよ、と林檎Bが小声で呟いた。

 店主は、丁寧でにこやかだが、気懈けだるい声で話す青年である。肌は白いが顔だちにほんの少し南方系の匂いがある。客寄せのためなのか、和服の、それも髑髏柄などという代物を着流していた。

「はあ……」

 あまりの胡散臭さにたじろぐ林檎Bを尻目に、ヘチ子は慣れた様子で商品を選んでいる。

「レグヌーカはいつどこで店をやるか分かんねえから、遭遇すると学校で自慢できるんだぜ」

 つぐねは林檎Bへ説明してやる。

「それってお店やっていけるの……」

「それも誰も知らねえんだ。レグヌーカは謎だからな」

 実際、常連客でも店の内情どころか店主の名前すら知らないのである。何を聞いてもすべて笑顔で受け流されてしまうのだ。

 つぐねたちのような常連がいる一方で、まだ店舗の姿すら見たことがなく「レグヌーカなどただの都市伝説」という者もいるほどだという。

「坊ちゃんらが当店を探し当てたのは、あれは何年前でしたかねえ。狙ってここへ辿り着けるお客様は実にめずらしいのです」

「あれ以降サッパリ見つけらんないけどね」

 とつぐね。小学生の頃、生徒の間でレグヌーカが噂になった。その謎の店では、えもいわれぬ香りの消しゴムを売っている、という。どういう経緯だったか、ヘチ子とつぐねは、それを義弟の馨くんに買ってやろうと徹底的に探したのだった。

「練り香の新作があるのですが、ひとつお試しで利いてみますか」

 そういいながら、すでに店主は準備を済ませている。

 骨壺そっくりの香炉で試供品を焚いて、その蓋のすき間からそっと匂いを嗅がせてやるのだった。

 まずヘチ子が骨壺へ鼻を近づける。

「善い……っ」

 しみじみと洩らして、彼女はしばらく空を仰いだ。

「ちょっと怖くない?」と林檎B。

 店主はそれには素早く反応した。

「いえいえ。法的にも健康的にも問題ないものだけを販売しております。謎。そして安全。その二つが当店のモットオですから」

 モットオ。

「謎が売りのお店って普通あります?」

「さあさあお二人も試しに」

 店主は残る二人へも順番に勧めた。

 香りは鼻に入った時点では爽やかに、その後は煌びやかに滲みていった。まるで脳内で孔雀が羽を広げていくような感覚に二人はクラクラと上を向く。やや呂律があやしい。

「これほんとに大丈夫ですか?」

「まあ……体質によっては得手不得手がありますな」

 店主はしゃあしゃあといって退けた。

 けっきょくヘチ子はその品を買った。

「お前、小遣い大丈夫なの」

 つぐねが訊くと、ヘチ子は沈香とは別の匂いの、良い香りのするチケットを見せて、

「シャシンブから届いた」

 という。レグヌーカの発行する商品券だった。この店でお金の代わりに使え、しかもこのチケット自体が、香り物として優れているという代物らしい。

 発見すら困難な店専用の商品券に、一体どれほど意味があるのか謎だが、ともかくシャシンブはその引換券を購入して、ヘチ子への謝礼に当てているらしい。

「屋上事件の詫びか?」

「かも知れない。でも前から定期的にくれる。そういえば写真を撮らせた後日にくれることが多い」

 本人はシャシンブの商売には気付いていないらしい。つぐねたちも別に指摘はしなかった。

 聞くところによるとシャシンブはレグヌーカの常連らしい。

「いやはや。毎回写真だけはお断りしているのですがね。あの嬢ちゃんの嗅覚は凄まじいですな」

 店主はそれから、つぐね達にも商品を勧めてきた。

「そちらのお二人はどうです? 坊ちゃん、何でも最高のスープに変わる香辛料、ふりかけ。明治時代に、あまりの香り高さにアラブの富豪に買い占めされたという例のチョコレートも入りましたよ。復刻版ですがね」

「うおおおっ。あの伝説の! メッチャいい匂いする。メッチャいい匂いする」

「そちらのお嬢さんはどうです? 屋久島にだけ咲くスミレモドキから採ったこの蜂蜜は、ひと嘗めであらゆる痛みを和らげその香りは安眠を約束いたします」

「いや。私は嗜好品はやらないので」

 林檎Bは、はっきりと断っている。

「では、ペットの餌はどうでしょう? 各種果物の皮と貝殻の混じったこちらは、不足しがちな栄養が摂れる上、適度な満腹感を与え、夜泣きや無駄泣きが減り落ち着きのある子になるでしょう。フンの臭いも改善されます」

「いや、うちペットは――」

「せや。わいや」

 という声はその場の誰でもない、上空からの声だった。

 カラスが舞い降りてきて林檎Bの頭に止まる。

 一部銀色に脱色した羽根。例の住み着いたカラスである。

「キエッ!」

 林檎Bが手で追い払っても、カラスはすぐに戻って来て頭に止まる。

 ついにつぐねが爆笑しはじめた。

「カラス使いだ! おれらの街にカラス使いがやって来たぞ! カラス使いは実在したんだ!」

「はいはいそうかもね。そんなんで面白いんだったら笑えば善いよ――キエッ」

 林檎Bがまたカラスを追い払う、いったん逃げたカラスは彼女が何かいおうとするたび頭に戻って来て、ステップを踏んでくるくる回ったりした。

「求愛の舞だ!」

 つぐねがさらに笑って、その隣でヘチ子が横を向いている。何かを堪えるように肩が震えていた。笑いを堪えている。


 けっきょく林檎Bは餌を買った。

 店を後にしながらつぐねは、やはり普通に行動するだけなら、ヘチ子が林檎Bへ食ってかかる事もないようだなと、分析した。

 むしろ二人の歯車は意外にも上手く噛み合って見える。

 ただしお互い容認できない何かがあって、その地雷を踏んだとき争いになるようだ。

 その後、街へ戻る橋の上で片食兄の運転する車とすれ違う。オープンカーの座席で立ち上がった片食妹と、アスリートみたいなサングラスをかけたエリさんが名前も分からない巨魚を誇らしげに掲げていた。

 どうやら昼食に誘っているようである。

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