四章 Venga! 河尻

第35話 4-1_情報交換会「わ~。楽しい休日になりそう」



 悪夢と悪夢が歯車のように連動し合い、その歯車一つ一つがまた悪夢で構成されている。そういう果てしのない、幾何学的悪夢の集合体。林檎Bの見るいつもの夢である。


 携帯端末の振動がフローリングを叩くより、林檎Bは0・2秒早く目覚める。

 死者が洩らす最後の吐息みたいな呼気とともに、林檎Bは起き上がる。昔は叫んで目覚めていたがもう慣れた。

 座礁した鯨みたいに重い身体を引き摺って、朝のルーティンを行う。カラスがベランダの窓を叩いた。

「キエ!」とゴリラのポーズで脅すが、カラスは慣れてしまったらしい。もう驚きもせず、ポーズを真似してからかって来るばかりだ。

「ああもう、色々ちぐはぐだ」

 愚痴りながら外出の準備をする。

 これから冥宮師と古代力士との情報交換会の予定になっていた。

 ヘチ子たちからは冥宮師とその組織のことを、林檎Bは匣に関する情報を提供する約束だった。

「――まあ、馬鹿正直に事実を教える必要なんてないんだけどね」

 そう呟いてから、彼女はしばらく神妙な顔で黙っていた。それから出かける直前、鏡に向かって、こう請願の言葉を唱えた。

「転ぶなよ、林檎B。裏切るな」



 待ち合わせ場所は川尻駅前の広場である。通称カッパ公園に彼を乗せたポルシェが止まる。

 周囲はクリスマスの飾りにあふれているが、まだ早い時間なので音楽は控え目だ。

 とはいえ、まだ朝の八時台だというのに『かわいじりくん』とその妹『かわいじりちゃん』の着ぐるみが、クリスマス商戦に備えたチラシ配りに勤しんでいた。

 集合の目印は、石像の方の『かわいじりくん』である。こちらはクリスマスの装いに変えられていた。

「ありがとね」

 運転席のフレンズにピタピタふれてから、つぐねが車を降りる。

 高級車のエンジン音が遠ざかっていくのを、ちゃんと最後まで見送ってから、彼は大きな欠伸をした。

「結局一睡もできてねえ~」

 彼はだぼだぼの暖かいパーカーにショートパンツ、これも暖かいもこもこの着いたブーツという出で立ちだった。

 どれもハイブランド品だが、言いなりで着せられただけといった感じが傍から見ても強い。

 おそらく彼にはその値段は分からないしあまり興味もない。

「いいけど、あの人眼鏡外したがるのがな」

 自前の眼鏡をかけたところで、彼は離れたところに佇む林檎Bに気付いて視線を向ける。

 鮮やかな赤のマフラーがまず目に入る。

 それと前とは別の生地の着物コート。今日は『狩り』の得物を持っていないらしい。ハーフコートでポケットも少ない仕立ての物を着用している。果物のヘタみたいなののついた新しいニット帽をかぶっていて、額の創を隠していた。

 奇抜に見える一方で、格好ばかりに目が行って顔が記憶に残らないよう計算されている。コートとマフラーを脱いでしまえば、簡単に見失ってしまう。そういう格好を選んでいるようだった。


 その格好で林檎Bは今、呆れたようなもどかしいような表情で突っ立っている。どうやら最初から見ていたらしい。手は、中途半端な位置に上げられている。

「この……こう……なに? あの感じ。え? これ何?」

「なんか誤解してない?」

「そういうの否定するわけじゃないけど、あんたはまだ中学生だし節操がないのはよくないと思う」

「いや、ただのフレンズだから」

「まあ私も昔はそういう人けっこう見てきたから驚かないけど……親御さんに心配だけはかけないようにね」

「あのな、完全に誤解してるけど、おれは別に女装趣味でも同性愛者でもねえから」

「いってる意味が視覚情報と一致しない。じゃあなおさら何なのさ、今のぬるっとした笑顔の男は」

「だからフレンズだよ。徹夜でガンダムのゲームやってた」

「その服は。あんたのじゃないでしょ多分」

「あの兄ちゃんポルシェ買うほど仕事頑張ってんだぜ。好きな服ぐらい着てやってもいいじゃん」

「もうその日本語がよく分からないけども……ガンダム友達ってのは服をリクエストしてくるわけ?」

「シャアはそういうことしそう」

「シャーが誰だか知んないけど要注意人物だわよソイツ」

「あと、一応いっとくと商売でもねえからな。タカるにしても年収の一割までって決めてんだ」

「タカってんじゃないの。まあ何にしろ趣味でないってのは納得したわ。着こなし下手だもん。チョイスも男の趣味って感じだし」

「女からこういうのリクエストされたことはねえなあ確かに」


 そういって笑ったところを、ちょうどつかつか歩いて来た女性、おそらくさっきのポルシェか他のフレンズの彼女さんだと思われるのが「この泥棒猫」鋭いビンタを浴びせて通りすぎていった。

「な?」

 とつぐね。

「『な?』じゃねーよ」と林檎B。「要するに男って扱いで良いのね。それもタチの悪いやつ」

「おれには善意しかねえんだけどなあ……」

「何いってるか分からん」

 そういう話をしているうちに、制服姿のヘチ子が時間ピッタリで到着した。

「でた~休日に制服で来るやつ~」というのはつぐね。

 ヘチ子は、美しい彫像のような無表情に「こんな事に時間を浪費したくない」という気配をありありと漂わせている。

 待ち合わせである「かわいじりくん像」が視界に入るところまでは来るのだが、野生動物のようにそれ以上近づこうとはせず、距離を置いて林檎Bを睨んでいる。

「わ~。楽しい休日になりそう」

 と林檎B。

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