第34話 3-15_契約、完了「お前は! 頭ががおかしい!」



「ドッソイ!」

 つぐねは空中でヘチ子の足をつかんだ。ヘチ子は林檎Bを抱きしめたままである。

 衝撃と共に落下が止まる。

 つぐねは腰に命綱を巻き付けていた。

 その命綱の長さが尽きたのだ。

「引け引け!」

 空中の林檎Bたちからは見えないが、写真部はじめ他の生徒達が、命綱を引っ張っているらしい。

 しかし、一気に屋上まで引き戻すには力が足りない。フェンスを支点に三人は振り子のように揺られた。

「モッソ(もう一丁)ドッソイ!」

 校舎の壁へ叩きつけられる。その直前に、つぐねが丸きり猫みたいに身を切り返す、のみならず壁へ張り手を入れた。

 古代力士の技術。彼は壁からの反動の方向すら、操作できる。

 〈横から殴った力が垂直に抜けた〉

 壁を殴った反動は力士の技術によって、上方へ向かって奔った。

 三人は空へと、真っ直ぐに打ちあげられる。

「引け引けー!」

 生徒達がさらに引く。けん玉のタマを回収するような格好である。

 そして、これは絶技の反動なのか綱が十年分も劣化したみたいな変な千切れ方をする。結果、彼らは中途半端な高さで投げだされる。

「ぐわあああ尻があああっ」

 屋上へ復帰するも、林檎Bは尻を強打してしまう。

「着地ちゃんとしてよ……ッ」

「ケツが割れるくらいですんでよかったろ」

 つぐねの方は猫のムーンサルトで着地して、晴れやかに笑っている。

 屋上の生徒達から歓声が上がった。



「それで、どうやって入ってこれたの?」

 尻餅を着いたまま一息吐くと、林檎Bはつぐねへ訊ねた。

 扉はヘチ子に封印されていたはず。

「おおよ。ドアが無理そうだからよ、力士のあれで蝶番のほうぶっ壊そうとしたんだよ。そしたらまあ壁の方がもっとぶっ壊れた感じ? いや、老朽化って怖えわ。昭和の建物だからなあ」

 彼は当たり前の様にいう。

 見ると、ドアの横の壁が大きく崩れ落ちて、骨組みの間に人が通れるくらいの穴があいていた。

 確かに、小兵といえども力士ならそれくらいできて不思議はないなと林檎Bも納得した。力士とはそういうものだ。

「シャシンブが連絡してくれたんで助かったわ。なんだ? このカラス?」

 チョコレートを補給しながら、彼はカラスをからかいだした。

「……やれやれだわ」

 林檎Bは癖で匣を確認しようとする。匣の位置にはヘチ子の頭があった。

 彼女は今だ林檎Bを抱き留めた姿勢のまま動かずにいたのだ。林檎Bはタックルからマウントをとられたような格好である。

 林檎Bはヘチ子の腕を確認し、目測でそれが重篤な怪我でないことを見分ける。金網の先で擦ったのだろう。血はもう止まりかけている。無事だがしかし。

「おーい。あんた自分が何しようとしたか分かってる?」

 膝で押して、林檎Bはヘチ子の下から脱出した。

 ヘチ子は突っ伏したまま答えない。

「バカじゃないの」

 と追い撃ちして林檎Bは立ち上がった。

「何してたらこんな事なんだよお前らはよー」

 つぐねが呆れていう。

「ここで話すとあれだけど……まあ、契約成立って感じ?」

 林檎Bは大雑把に説明してから、へらっと笑った。

 ヘチ子は最後に手を伸ばしてきた。つまり同意と見なしてよいだろう。今さら文句いって来ても、また同じ脅迫を繰り返せばいいだけだ。

「意味が分からない……」

 突っ伏したままの、ヘチ子から震え声がきこえた。

「んー?」と林檎B。

「……私に分かるのは……お前に置いて行かれた者のきずは塞がることがないという事だけだ……」

 何かが琴線にふれる。

「……それ、どういう意味?」

 訊き返したとき、ヘチ子が立ち上がった。

 野次馬を含め、その場にいた皆が息をのんだ。

 ヘチ子の目から大粒の涙が立て続けにこぼれていた。

「――きれい」

 しばらく息を呑んで、思わずそうこぼした瞬間、林檎Bの顎に全力の掌底がヒットしていた。

「ごえええッ痛ってえ!」

「――お前はっ! 頭がおかしい!」

 これが始まり。



 その夜のことである。

「――そう。それで泣いちゃうんだよ~」

 がらんどうの部屋。

 事件記事のモザイク。

 その中央に貼られたヘヴィメタルロッカーと少女の写真。

 部屋の明かりもつけないまま、林檎Bは二人の写真へ向かって一日の報告をする。

「泣いちゃうんだよ……」

 そう繰り返して、林檎Bは手を延べた。そして自分の行動に驚き、とっさに引っこめる。記憶の中の涙を無意識で受け止めようとしたらしい。

「――良い子だよね。バカだし。だから利用できると思うよ。平気。あーあ。あいつずっとバカのままでいてくれたらいいのに。この先もずっと」

 侮蔑のこもった、そしてその侮蔑のあまり甘ったれたように聞こえる声で、林檎Bは一人笑った。

 それがしばらくして急にやんだ。

「あれ――」

 涙。

 林檎Bの片目から滴が転がり落ちてフローリングに弾けていく。

「は? おお?」

 自分でも原因が分からないらしい。涙をこぼしながら彼女は不思議そうにしていた。

 ベランダからカラスが覗いている。

 彼女は一人呟く。

「もう少しだから。あともう少しだけ待って。私たちの最後の願いが叶うから」

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