第28話 3-9_二人のプラン「学校でナベを食うな」
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林檎Bは噂に頼ることをやめ、直接二人を尾行することにした。その結果、現在林檎Bは人気の無い研究棟の三階、凍るような外壁にへばりついて、窓の向こう餃子鍋をうらやましく見ている。
なぜこんな事になっているかというと、噂に頼ることをやめ、直接二人を尾行したからである。
サライソ学苑は広い敷地に加え、長い歴史を持っている。
背後にそびえる
林檎Bが五分検索しただけでも、戦時中の研究施設だとか、塹壕だとか、所有者不明の畑だとか、兵隊の幽霊、UFO、天狗伝説と噂話に果てがない。
胡散臭い話ばかりだが、少なくとも山中の施設跡だけは事実だったようだ。
昼休み。
久我ちゃんビンタ跡地からいったん離れ、着替えてから尾行を再開したとき、なぜかつぐねは立派な白菜を抱えていた。
二人は学苑の裏の登山道から早良城山へ入っていった。
わざわざ倒木をくぐるなど妙なルートを辿って、痩せた樹木に半ば隠れたこの研究棟へたどりついたのだった。もちろん、研究棟というのは林檎Bの印象であって、実際そう看板が出ていたわけではない。
廃屋のようだが、どうやら二人が手入れして使える様に維持しているらしい。水まで出るようだ。地下水を引いているのかも知れなかった。
二人が昼食の場所に選んだのが三階建ての三階、つまり最上階だったので、林檎Bは「へあッ」などと気合いを入れて、外壁を家守のように這い上らなくてはならなかった。
そして現在、寒風吹きすさぶ窓の外から二人を観察している。
「先に沸かそう」
「あったけえ」
いったいどういう神経をしているのか林檎Bには分からないのだが、二人は学校の昼休みに鍋料理を造って食べるつもりらしい。それも多分常習犯だ。
研究所にコンロを隠していたし、冷蔵庫かその代わりの何かがあるらしい。いったん部屋から出たヘチ子が、冷凍餃子のパックを手に戻って来て、吊したトウモロコシやらタマネギをとっている。二人はぐつぐつ調理をはじめた。
自分ちか? コンクリートのすき間に捻じこんだ指先が痺れはじめるのを感じつつ林檎Bは呟く。
二人はしかし、作戦会議の意味もあってこの場所を選んだらしかった。
「――そうかあ。馨また体調崩したかあ。まあ母ちゃんが上手いことやってくれるだろ」
「寒暖差のせいらしい。熱はさほどでもないが咳と蕁麻疹が出てた」
「帰るとかいうなよ。放課後の約束決めたのお前なんだから」
「分かってる。羽根井雪についてはちゃんと考えてる」
「やっぱ本家には内緒のままで……行くんか?」つぐねの餃子を頬張ったらしい声。「さっき久我ちゃんいたから話すのかと思ったぜ」
「まだいわない」とヘチ子。
「家追い出されるってやつか?」
「それもあるが――」
餃子が熱いらしい。ヘチ子は未練気に唇をよせたり離したりを繰り返している。それから匣の話をしだした。
「――考えたんだが、あの匣は明らかに冥宮を創り出していた。でも、あんな匣が存在することは、本家にからも師匠からも教わらなかった。千年以上前から冥宮の知識を囲う本家が、アンナはこの存在に気づかずにいたらしい」
「おれらはあっさり見つけたけどな」
「そこが不思議なんだ」
「なに? 本家が実は匣のこと知ってて隠してたってこと?」
「それも有り得るし、匣の方で上手く隠れ続けたのかもしれない」
「匣の方でって、ディス子がかあ?」
「いや。考えているのは羽根井雪に仲間がいるかもしれないということ」
「うーん? その仲間の誰かのおかげで本家から逃げ切ってたとしたら、その誰かは本家のこと知ってるってことじゃん?」
「そういう前提で話している」
「だとしたらさあ、あいつのやり口って雑すぎるじゃん。街うろついてよ、男に声かけて誘い出してよ。冥宮の気配みたいなのも残したままだったわけだろ。冥宮のこと知ってる仲間がいたらもうちょっと慎重にやらせるんじゃねえ?」
「私もそう思うけど、対象が〈何でも願いの叶う存在〉だからな。見つかろうがなんだろうが匣を使えばすべて無かったことにできるわけで、それなら好きにやらせても問題ないだろう?」
「現実改変して逃げられるってこと? その可能性考えたらもう議論になんねえよ」
「もちろん、匣が自由自在に願いを叶えてくれるとは私も考えていないが」
「そもそも願いが叶うって部分から怪しいよ。詐欺だ詐欺。チョウチンアンコウみたいなもんだとおれは思うね」
「チョウチンアンコウ?」
「ところでそれ食うの? 食わねえの?」
「食おうとしてるだろ」
言い返してからヘチ子は話を戻した。
「要するに『羽根井雪に仲間が居るか、匣がいくつ存在するか、この二つだけは調べる必要がある』という話だ。昨日もした話だが」
「ふうん」つぐねはまたつるりと音を立てて餃子をすすり「本家に隠すっていっても〈宮隠し〉の事件が続いたら久我ちゃんが騒ぐぜ。そっから本家にも漏れるだろ」
「うん。だから今日の話し合いでは、絶対条件として匣の使用をやめてもらうよう取引することになるな」
「『使う』って言い張ったら?」
「強引に奪うしかないだろう。本家にバレたら意味がない」
「そうなると『仲間』には逃げられるよな? 『改変』される可能性は置いとくとしても」
「そうなったら、それはもう報告するしかない」
「するのかよ」
「『匣のような物はなかった』というしかない。本家も逃げた方を追うだろう。匣の消えたこの街まで乗りこんではこない」
「そうなると、おれらが匣をゲットすることになるな?」
さりげない口調でつぐねがいった。
「匣を手に入れるために動いてない。どこかに隠しておくさ」
ヘチ子もさり気ない口調で答えている。
「……ふーん。ま、じゃあここで話し合ってもしょうがねえな! ポン酢とって。ところでポン酢の『ポン』ってどういう意味か知ってるか?」
「しらん――熱いっ」
「お前、ぜんぜん食えてねえじゃん」
「お前は一人で食い尽くそうとするな」
それから二人が食べ終えて建物を去るまで、林檎Bは壁に貼りついたままでいたが、新しい情報は得られなかった。
それにしても匣の存在に加えて『願いを叶える』という権能まで知られていたのは、かなり悪い状況になっている。ずるずるになった手を見ながら林檎Bは考える。
あの二人がその気になれば林檎Bから簡単に匣を奪って行ってしまうだろう。仲間や匣のスペアを疑っているようだが、そんなものどちらも存在しない。ディスコを奪われれば詰みなのだ。
放課後の約束はすっぽかすか。家も知られているし無駄だろう。というよりそれは確実に敵対する形になってしまう。
何とか丸めこむしかないが、あっちの要求は『匣の封印』だ。林檎Bとしては交渉の余地がない。
いっそ今のうちに隙を見て……。林檎Bはスタンを探ったが、二人に何かあれば〈本家〉とやらが出張ってくるだろう事は容易に想像できた。〈本家〉。何事かは分からないがタチが悪そうな響き。
もう逃亡者になるしかないのか、とまで考えたが、それはもう嫌だった。疲れてしまったといってもいい。
思案するうち、不思議なのだが、林檎Bはなぜかあの噂のことを思い出していた。ヘチ子の母親に関する下らない噂である。
母親。自殺。
それは現状とは、本当に、ぜんぜん関係のないことである。
ナーバスになっているな、という自覚があった。疲労からくる現実逃避。たが、原因である疲労が回復することはないだろう。などと考えていること自体が逃避。
詰み。逃げられないかもしれないと彼女は思う。
「ファーック」
ファック。
空をあおいだその時、たしかに降ってくる鐘の音を聞いた、と思う。
確か早良城山の頂きに時計塔があるはずだった。
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