第29話 3-10_時計塔「あきまへんえ~」



 丘の上から鐘の音が降ってくる。

 最初は「変な時間に鳴ってるな」と思っただけだった。

 十三時をすでに過ぎていた。疲労感もあり、また考えをまとめたいという気持ちから、林檎Bは時計塔とやらを見に行ってみようという気になった。

 それ専用の階段か何かがあって一本道で行けるだろう。そう単純に考えていたのだが、それは完全に間違い。街中の小さな丘のなかで林檎Bは完全に迷ってしまう。

 時計塔は丘の頂上である。

 ひたすら上へ進めば良いだけのはずが、その道が普段使われておらず、落ち葉で隠れ、急にあぜ道に入ったり、階段が途切れていたり、妙な広場になったとおもったら行き止まりで、そこになぜか元気なカカオの木が生えていたりするのだった。

「なんじゃこの山……!」

 うねうねと山中をさ迷い続け、下の学校から何度目かのチャイムを聞いたところで、ようやく頂にたどりついた。


 その建物は、背の高い教会といった外観をしていた。時計盤は街の中心部の方を向いている。

 建物の脇に、老木の添え木といった感じで物見櫓のようなものが聳えていた。見あげると、細い足場で時計塔と繋がっているのが分かる。

 掃除や整備の時に使うのかもしれないな、などと考えながら林檎Bは、時計塔へと入っていった。

 正確には廃時計塔だった。動いていない。時計に連動して鐘が鳴る仕掛けだと思っていたが、その時計が止まっている。

「確かに聞こえたのにな。老朽化で鐘だけ誤作動でも起こしたのかあ?」

 ところどころ崩れた回り階段を昇り、機械室に辿り着いた。要するに天辺にある大時計の内側だ。中は意外と綺麗に保たれていた。なぜか真っ赤なソファが置いてある。

 不良のたまり場になっていないのは不思議な気もするが、彼らもここまで辿り着けなかったのかもしれない。

 機械室の奥にドアが見える。

 「危険」と書かれたプレートがまだ貼り付けられたままになっている。かつては鍵も掛かっていたのだろう。しかし今はドアノブが壊れているのかあっさり開いたし、その向こうは虚空だった。どうにか踏みとどまった。

 空が青い。

 強い風が吹いていた。

 要するに、時計盤の小窓から危うく飛び出すところだったという状況だった。もう少し勢いよく飛び出していたら、足を踏み外したところだ。

「あたしゃ鳩時計の鳩か」

 とはいえ完全な虚空というわけではない。

 扉を開けたところから細い足場が続いている。入る前に見た、あの物見櫓だ。

 それは正確には鐘楼だった。

 やぐらの庇の下に鐘が連なっていて、手動で鳴らせるようになっている。

 時計盤には大鐘があるので、こちらは別の用途に使ったのだろうと想像できる。例えば空襲だとか大火事だとかそういう場面で街へ知らせを送るためなどだ。いずれにしろ現代では使われない代物に違いなかった。

「じゃあ扉は溶接でもしとけよな~」

 でも行ってみることにした。

 細い連絡路は肩幅程度、つまり幅約四十センチほどで、下まではビル三階ぶんの高さ。手摺りもないので命がけの綱渡りを楽しめるという寸法だった。

「う~死ぬ死ぬ。あかん、あかん、あきまへんえ~」

 京都の女みたいな口調で進んでいく。林檎Bの顔には、過剰分泌されるアドレナリンのせいだけではない、なんともいえない軽薄な笑みが広がっていた。

「はは。死ぬ。死ね死ね。わお」

 強い風が壁面に跳ね返って渦巻いている。足元を掬い上げるような気流が発生していた。傘でもあれば飛べそうだ。

 林檎Bの華奢な体は浮き上がって、実際何度も爪先が離れそうになる。丘に建つ高い塔だから、そのたび街へ墜落していくような眺めになるのだった。

「わはっ」

 ついに、本当に足首が攫われた。踏みおろした所へ足払いをかけられたような格好。

 林檎Bの右足が空をきった。

「――あっぶね」

 ぎりぎりのところで彼女の手が鐘紐をつかんでいた。

 ラグビー部の薬缶ほどもある鐘が揺れて、想像以上の大音声が耳をつく。

「うわお。うるせ」

 おどけた拍子に、軸足がすべって落ちそうになる。

「おい! おいおいおい!」

 というのは林檎Bではない。

 空を飛んできた何か黒い塊が、体当たりで彼女を足場の方へ押しやる。硬いものが当たって肌を引っ掻いた。

「いでで……そぉい!」

 さらに虚空に浮いた足をコンパスみたいに振って、林檎Bはどうにか足場へ復帰した。ぶつかってきたちくちくふわふわした物はカラスだった。

 羽根の一枚が白化して逆さまのハート、あるいはペン先の模様に見える。朝、家から追い出したあのカラスだ。

「オイッオイッ」

 カラスは怒っているのか、ホバリングしたまま足で林檎Bを何度も蹴った。

「いででえ。着いて来てたの? あんた。いでで。分かった分かった気をつけるって。何かもう見られてると冷めるわ。あんたに構って欲しくてやってるみたいじゃん」

 まだ不満げなカラスを肩にとまらせると、林檎Bは鐘楼の淵に座った。つつかないでよ今度は、とカラスに気を使いながら慎重に腰掛けた。

 今の格闘で、鐘は乱打された状態である。

 鐘の音は建物に反響しながら、風によって下界へ運ばれていく。

「この街で願いは最後にするからさ」

 林檎Bの呟くいたわるような声が、カラスへ向けたものか他の誰かへ送ったものなのかは誰にも分からないだろう。



 帰りはなぜか時間をかけず戻ってこられた。

 チャイムと共に学苑の敷地が騒がしくなる。その日最後の授業が終わったらしい。

 少し歩いたところでヘチ子を見つけた。彼女は同級生の写真部から逃げようとしているところだった。

 『ゴリラのパン屋さん』で聞きこみしていたときに商売を持ちかけてきた、あの女子生徒がいた。

 彼女は後輩を引き連れ、サメの群れのようなフォーメーションでヘチ子をとり囲んでいる。どうやらヘチ子のブロマイドを撮影しているらしい。

 ほとんど絶叫に近い声が離れた林檎Bのところまで届く。

「探したよぉおおお。探したんだよ。見てよヘッチー! ヘッチィ! このカワイイ後輩たちをさあ! 見てッ。この春のよ? 手芸甲子園に向けてよ? 一生懸命、一生懸命作った衣装をよ、エントリーするためにはよ? エントリーシートが必要なんだわ。写真つきの。そこでそのモデルをね? 可愛い、可愛い後輩のためによ? ヘッチーに一肌脱いでもらいたいなあって。いや、いい、いい。実際脱ぐんじゃなくて当てるだけ、当てるだけでいいから! 撮影用だから! マジックテープでアレするから。動かないで! マジックテープを信じて。目線だけ。目線だけちょうだい。いいよいいよ~。いいねえぇえええ! 片膝ついてみようか。もっと王子様のように! いいよ姫様見えてきたよ! お姫様白目だよ! 薔薇持ってみようか! いいぜ。いいねえ。投げちゃえばいいよ、薔薇投げつけていいよ! 笑って! 弟君のこと考えて! 弟君見てるよ! ほら走ってくる! いいよ! まるで虎だな」

 などと。ヘチ子が囲まれているうちに林檎Bはその場を離脱した。


 人の気配を嫌ってカラスは去って行った。もともとモデルガンで撃たれて怪我をしていたところを林檎Bが拾ったのだった。

「いやはや。さてさて」

 まだ聞こえる写真部の、食っちまうぜ薔薇をよぉおおっ、という絶叫に振り返ったりしながら、林檎Bは早足に歩いた。

 約束の時間まではまだいくらかあるとはいえ、何の対策も立てていないではないか。

「どおしよ。せめてあと一ヶ月でも時間が稼げないかなあ」

 願いを叶えるには、摩訶=曼珠沙華を狩らなければならない。

 マゲには個体差があるらしく、ディスコが満足するまで必要な数は様々だった。

 だが、林檎Bは経験で、成就までの時間を推測することができた。一ヶ月、いや三週間もあれば、次の願いを叶えるだけの〈失われた願い〉を食わせる事ができるはずだった。

 それで最後の願いが叶えばお仕舞い。結果がどうあれもう逃げるつもりはなかった。あの二人に捕まってもいい。だからどうにかその期間だけでも保たせたかった。

「とにかく時間が必要。どうにかその方面で交渉するしかないか」

 学苑を離れて作戦を練り直そう。

 そう考えていたのだが、この後、結局彼女はヘチ子たちと遭遇することになってしまう。

 きっかけは、祖父譲りの相撲狂い。

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