第24話 3-5_教室「BA・RA・MON」



 授業中は無人の部屋に潜み、休憩時間になると調査を再開する、という作戦をとった。

 職員室あたりならヘチ子たちの資料が手に入るはずだが、日のあるうちにやる仕事ではない。常に人がいるのだ。

 ヘチ子とつぐねの教室が離れていたから、林檎Bはいったりきたりを繰り返さなくてはならなかった。

 つぐねの教室での生活は、意外にもまともな方だった。

 確かに、危うい気配のする挙動不審な男子がいるにはいるが何%かの男子生徒とは、普通にゲームの話をしかけたり、教科書の貸し借りをしているのだった。

「いるよな~男子とばっか話すやつ~」

 つぐねを少女だと思いこんでいる林檎Bは、物陰からそんな感想を洩らした。実際は同性同士が最近のFFがどうだの平安京エイリアンがどうだの駄弁っているだけなのだが。

 もちろんというか、やはり女子には嫌われていた。ジュースを買っていると妙に大人びた女子生徒がつかつか歩いてきて往復ビンタを入れていったりするのだった。


 ヘチ子は教室で完全に浮いていた。

 冷たい美貌と居合い切りみたいな雰囲気に、誰も話しかけられないらしい。それに見たところ、ヘチ子の性格の方にも問題はあるようだった。

 例えばクラスメイトの一人が勇気を出して誘ってくれた時はどうだったかというと、ある女子グループが冬休みの予定を立てていたのだが、その声高な会話が以下のような内容に及んだ。「最近市の動物園にカピバラがお迎えされた」「ふれあいタイムに行けばさわれるらしい」「エサもやっていい」「光線銃みたいな鳴き声」「打たせ湯に浸かっているところが最高」というような話である。

 カピバラ。

 別名鬼天竺鼠。愛らしく、無害で、エジプト壁画のような瞳をした生物、らしい。

 その会話に、窓際の席で無意味に瞑目していたヘチ子が反応した。眉が跳ね上がり、今にも身を乗り出しそうな気配が漂いはじめた。

 向その肉食獣のような視線に向こうも気づいた。

 林檎Bが思うに、その少女は前々からヘチ子を気にかけて機会を探っていたのだと思う。彼女は深呼吸してから声を掛けた。照れ隠しにちょっとふざけたポーズで。

丿口へちこうさん……あんたもしかして『バラの者』……ですかい?」

「はあ……バラの者?」

「……あ、スンマセンふざけました。いやっあの。カピバラ……好き?」

「動物が特に好きということはない」

 ヘチ子はまず斬って捨てるような一言で返した。廊下側の扉の影に潜んだ林檎Bが、飛び出して殴ろうかと思ったほどの一撃だった。

「あ、そっか……」

「でもカピバラは別だ」

「――だよね!」

「あの目と体型の対比がいい」

「そう! それで鳴き声がね! オモチャの光線銃みたいなんだよ!」

 勢いを得たクラスメイトは、ここで一気に距離を近づけようと遊びに誘った。

「そのカピバラが、河尻動物園にやって来たんだよ。それで年末にね野菜で作ったクリスマスツリーをプレゼントするイベントがあるんだって。すごく美味しそうに食べるんだよ。どうかな?」

 ヘチ子は大きく頷いている。

 それを盗み見て林檎Bも思わず頷いた。しかしどういう精神構造なのか、この時点での林檎Bにはまったく理解出来ないのだが、ヘチ子はこう続けたのだった。

「善い事を教えてもらった。私も弟といってみようと思う」

 はあ? と声を上げそうになるのを林檎Bは押し殺す。相手の女の子も同様だったろう。

「……あ。あー。弟さんと。二人で?」

「ああ。家族で行ってみる」

「そう……仲……いいんだあ……」

 それ以上誘うわけにもいかず、少女はすごすご引き返していった。

 ヘチ子の方は満足げですらあった。本心から感謝してもいるらしく、去ってくクラスメイトを黙礼で見送った。

 武士か、と走って行って頭を叩きたくなったが林檎Bはこらえた。

 ところで、さすがのヘチ子もしばらくしてから誘われていた事実に気づいたらしい。

「あっ」

 と一人で哀しい声を上げた後、明らかに動揺してさっきのグループの方向をうかがった。

 しかし彼女たちの話題は、もうカピバラから新撰組の話へうつっていて、隠し持ってきた浅葱色のネイルポリッシュを小指に塗り合ったりしている。最近の学生のあいだで新撰組がどれくらいメジャーな話題なのか林檎Bには分からないし、問題ではない。

 ヘチ子は一切を諦めた様子で、遠くを見はじめた。

「くそがきぃ」

 耐えられなくなった林檎Bは、人の居ないところまで走って行って壁を殴るなどのストレス発散をしなくてはならなかった。

「まだ行けるだろが。見切りをつけるな、バカか! あああイライラするぅ!」

 壁殴りで時間を浪費した後、ちょっと考えてみて、もしかしたらあいつは身内に執着するタイプなのかもしれないな、と思い当たった。普通あの場面で思春期の少女から弟の名は出てこない。

 だとすれば、弟という弱点を突けば交渉を有利に運べる事も有り得るのではないか。

 その点を考慮した結果、彼女は、パン屋さんになろうかな、と考えた。それもゴリラのパン屋さんになった。

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