第21話 3-2_イヌとオイラン「グーグー橋」



 河尻市のほぼ中央に、標高約七〇メートル、頂上の時計塔跡がシンボルの早良城山さらしろやまがゆったりと広がっている。

 その早良城山の裾に、なかば飲みこまれたような形で『早良五十さらいそ城ヶ丘学苑』の敷地はある。

 同じく早良城山の麓には、他にも公園、記念館、市立小学校などが曖昧な境界によって仕切られて存在していた。

 さすがに学校区は塀で囲まれているが、それも戦前からあるような、一部が花壇で代用されているような代物で、入りこむのは容易そうだった。

 少し情報を検索しただけで、林檎Bはこれらの情報を得ることが出来た。


「グーグー橋、グーグー橋」

 歌うように繰り返すのは、橋を渡る小学生たち。実際にグーグーいっているのは石橋の下の鴨たちである。

 『河尻第三小学校』と『早良五十さらいそ城ヶ丘学苑』は隣り合っており、同じ通学路を使うようだ。

 グーグー橋を渡り城山公園をかすめて進めば、目指すサライソ学苑の敷地に到る。かなり大きな学校で、通学時間には城山の麓は学生と学校関係者であふれることになる。

「久我ちゃんからの催促は? 言い訳とか考えておかねえとさ、匣の被害者がまた出たら本家の名前出して嫌味いってくるぜー」

 マドレーヌの食べかすをぽろぽろ落としながら、つぐねもグーグ石橋を渡って行く。

 横を歩くヘチ子は、朝に弱いのか、ほとんど目を瞑っている様な状態。どうやってぶつからずに進んでいるのか不思議だ。

 むにゃむにゃまともな返事は返ってこないが、つぐねは気にせず会話を続けている。

「それで考えたんだけどさ。いっそもうディス子を呼び出してさ、あいつ問い詰めようぜ。あいつ多分バカじゃん。もっと色々聞き出せると思うんだよな……さっきからうるさいよ何、グーグーグーグー。あ、鴨か」

 鴨がお尻を振りながら着いて歩いて、マドレーヌのおこぼれをついばんでいる。


 遠目には、美少女たちの優雅な登校風景に見えた。

 実際、二人は目立つ存在らしく、周囲の生徒達からは様々な感情が露骨に注がれている。

「あの――ああッ」

 意を決して、一人の女子生徒がヘチ子へ駆けよろうとした。そこへ別の生徒が足を引っかけた。少女は憐れっぽい声をあえげて転んでしまう。

 ヘチ子たちはこの事件に気づかなかったらしい、一方はマドレーヌの紙を舐めながら、一方は睡ったまま遠ざかっていく。

 転ばせたのは派手な格好の女子生徒だった。

 サイバーパンク映画に登場する花魁、あるいは単純にライオンみたいな髪型。ジャラジャラ鳴る装飾具を身につけ制服もざっくり着崩している。

「よう犬。ちょっとツラかせよ」

 オイランが顎をしゃくる。犬と呼ばれた少女は絶望的な顔になる。唇から血が流れている。


 オイランはイヌ子を実習棟の用具入れまで引っ張っていった。

 影になって人目につかない場所だった。

 イヌ子を突き飛ばすと、オイランは牙のあたるほどの距離で恫喝しはじめた。

「お前、あの女に何いいつけようとしてんだよ」

「いいつけるなんて何も……この前のお礼をいいたかっただけ……死のうとしてたところを助けてくれたから……」

「そのことをいってんだよ! お前があたしの所為みたいにいったから、あの女が乗りこんできたんだぞ。卑怯な真似しやがって!」

「……でも、実際に……」

「知らねえよ。オメーが自殺しかけたのは歯列矯正の金も出せねえような貧乏人の子供だからだろが」

「ちゃんと働くってお義父さん約束してくれたよ……」

「ちゃんとなんてできるわけねーだろ。オメーの母ちゃんオメーにそっくりだもんな。根性無しに寄ってくる男は卑怯もんしかいねえからよ」

 イヌ子は傷ついた表情をするだけで言い返さなかった。

 そのことに満足を覚えたのか、オイランは急に馴れ馴れしい口調になる。

「まあいいや! 告げ口の罪は許してやるよ。それに、あの女ともツレになるのも許可してやる。その代わり、おい……あの女に近づいてチャンス見つけて、撮れ」

「……え?」

 戸惑うイヌ子へ、オイランは携帯端末をぐりぐり押しつけて続ける。

「分からねえのかマヌケ。あの女の弱みを掴んで来いって話だよ。家族のこととかじゃねーぞ。もっと恥ずかしいやつがいい。見つけろ。いや、お前がつくれ。下剤飲ませてお漏らしさせるとかよ。そんくらいのヤツがいい」

 どうやらヘチ子の弱みを握ろうというつもりらしい。

「画像をどうするかはこっちで決める。脅しにも使えるし、あたしらこれからはユーチューブでもやってこうって事になってっから。お前も仲間に入れてやるよ」

「でも……でもあのひとは……」

「いいからやれよ、矯正不可能な歯並びにしてやろうか?」

「ヒッ……」イヌ子は立ちすくんでいる。

「理解したな? 良しッ。じゃあ誓いの印にサイフ置いてけ」

「えっ」

 オイランはサイフを抜き取ったうえで、イヌ子のお尻を蹴飛ばし、その場から追い払う。

「アイツのヘタレ具合が世界で一番苛つくぜ」

 イヌ子の逃げていく方角へ唾を吐くと、オイランは気を取り直してサイフを漁りはじめた。そこで小さく切り取られた写真を一枚発見したようだった。

「ち――」

 いったんは破り捨てそうな素振りを見せたが、どういう心境か、彼女は写真の皺を伸ばすような仕草をしはじめた。それからは一瞬の出来事だった。

 彼女は熟練万引き犯のような素早い動きで、写真をスカートのポケットへ隠してしまったのだが、電光石火の一瞬、翻った写真にうつっていたのはヘチ子の顔なのだった。

「グーグー」

 というのは鴨の声。

「誰だ! なんだ鴨か」

 やましいところがあるらしいオイランは敏感に反応した。

 が、振り返った時にはもう遅い。鴨を囮にピッタリ接近していた林檎Bが、自慢の改造スタンガンを押し当てたところだった。

「があああっ」

 と叫んでオイランは昏倒する。

「制服ゲット、善し」



 『早良五十さらいそ城ヶ丘学苑』を特定したはいいものの、潜入方法で迷っていた。

 とにかく鴨を囮に、物陰から物陰へ、小枝が刺さったり擦り傷をつくったり、土が口へ入るのもかまわず、ヘチ子たちを尾行し続けていたところ、ちょうどいい獲物を見つけた次第なのだった。

 さっそく林檎Bは剥ぎ取ったばかりの制服に着替えた。

 自慢の改造スタンガン、ヌンチャク、胡椒爆弾、針金、その他諸々といった探偵道具の数々を上着の中にどうにか押しこめる。

 額の創は髪で、顔は化粧と持参した大きな眼鏡で印象を変えていた。

 気絶したオイランは用具入れの中へ押しこんでおいた。

「よし。行くか」

 去ろうとしたところで、スカートのポケットのことを思い出した。

 例の写真が出てきた。さっきは一瞬のことで細部までは確認出来なかった。興味本意で眺めて見て、すぐに顔から遠ざけた。

「きっつー!」

 フランスの男性貴族みたいなコスチューム姿、なぜか椿の枝をサーベルのように構えたヘチ子が、なんともいえない、諦めきったような半笑いを浮かべている。

「きっつー。あいつマジか。いや撮ったヤツがやべーのか。何……この……色々……まあツラはいいけど」

「あの……」

「誰だ!」

 背後から声を掛けられ、やましいところのある林檎Bは素早く振り返った。

 イヌ子が戻って来ていた。

 おぼつかない手にどこからか拾ってきたレンチを構えている。

「それ、写真、返してくれませんか。その人は私のために怒って泣いてくれた人で……大事なんです」

 必死の形相のなかに戸惑いがある。意を決して戻って来たところ、知らない人が写真を持っているのだから無理はない。しかも倉庫の隙間からは、気絶の上、服を奪われたオイランの姿がちょっぴり見えてしまっている。

 林檎Bは一瞬「泣いた? あいつが?」と関係のないところに関心を持ったが、すぐに状況に対応して笑顔を作った。口から出任せで相手をさらに混乱させようと試みる。

「あなたヘチ子の友達? じゃあ私のこと聞いてないかな」

「え……あの……」

「あ、これは返すね」

 捨てられていたサイフを拾ってやった。さらに林檎Bはこれへオイラン自身のサイフから有り金全部をねじこんだ。最後にもちろん、ヘチ子のブロマイドを添えて返却してやる。

 渡すとき、両手で包みこんであげると、イヌ子は感極まってトイプードルのように震えだした。

「ありがとう……ございます」

 さらに林檎Bは近づいて肩を抱いてやる。

「頑張ったねえ。辛かったねえ」

「はい……はい、ありがとうございます……」

「でも見られちゃったからには……ね?」

「え? があああっ!」

 押しつけられたスタンガンの感触に気づいたときにはもう遅い。改造によって絶妙なさじ加減に調整された電流がほとばしり、少女を安全かつ迅速に昏倒させた。

「善し。以前問題なし!」

 二人とも用具入れに隠しておく。

 ただしイヌ子はそのまま、オイランの方だけ縄で拘束してある。目が覚めたとき主導権を握っているのはイヌ子の方である。

「関係を逆転させられるかは、あんた次第」

 林檎Bは本校舎目指して歩きだした。

 グーグーと着いていくのは鴨の声。

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