第19話 2-5_再びライディーン前



「ほんとに送らなくていいのかい?」

「余裕。結構近いし」

「またね。次は一ヶ月後くらいにする?」

「また明日、詳しい話をしよう」

「……へい」


 そういって『ライディーン』の前で別れた。

 帰路へ着きながら、二人は後方にいるはずの林檎Bを振り返る。

羽根井はねい雪だったな。林檎じゃなく」

「ディス子が出ていた時のことは記憶してないようだった。おそらく〈願いを叶える匣〉が人格を持ってることすら知らないのだろう。気を失っていたあいだのことを不安視していない。匣を盗まれることは警戒してるようだったが」

「『あいつら匣のことには気づいてねーぜ』って感じの顔してたな」

「〈ディス子〉のいうことが確かなら、羽根井はねいゆきが身につけている〈匣〉がすべての元凶だ。〈匣〉を破棄する必要がある」

「やっぱ奪っとけば良かったんじゃねえか?」

「いや。迂闊なことはできない。ディス子は自分の同類が存在するかのように話した。つまり〈匣〉は複数存在するかもしれない」

「――その発想はなかったわ」

「もし彼女が匣を二つ以上所持していたなら、一つ奪っても姿を隠されるだけだったろう。それに仲間がいる可能性もある。〈匣〉には気づかないふりで探っていく方がいいと思う」


 しばらく沈黙が落ち、足音だけが響いた。やがてつぐねがいった。

「本家へ報告するのか? おれはまだ――」

「まだ報告はしない。本家が出しゃばってくる可能性があるからだ。調査を乗っ取られるだけならいいが、あの家を追い出される可能性が高い。〈願いを叶える匣〉なんてものの存在を知ってる私たちを、〈匣〉のある街へは置いておかないだろう」

「そうか。かもな。本家は匣を欲しがるかな」

「とにかく様子見だ。羽根井雪もさすがにしばらく大人しくしているだろう」

「まあ。被害もバカどもがシバかれる程度みたいだし急ぐことはねえか」やがて彼はいった。「――あいつ創〈きず〉だらけだったな」

「……ああ」

「願いの叶う匣、ねえ」

 またしばらく無言で歩いた。それからつぐねはようやく切り出した。やや唐突な質問になった。

「お前、あの匣使ってみようとか考えてねえよな? 嘘だぜありゃ。そもそも運命までいじれるようなヤツが、人間に頼る必要なんかねえはずだからな。餌なんて自分で獲ればいいんだからよ。つまり何がいいてぇかっていうと……死人を生き返らせたリなんてのは――」

「分かってるよ。そんなの考えてない」ヘチ子がいった「かおるに会いたいな。早く帰ろう」

「……そうかい」

 つぐねは少しだけ不穏を嗅ぎとっている。

 話を即答で打ち切るのも、口調が少しだけ幼くなるのも、この幼なじみが嘘をつくときの癖なのだった。

「願いの叶う匣、ねえ」

 つぐねはもう一度繰り返した。が、それ以上は何もいわなかった。

 匣、つまりディス子についての謎はまだいくつもあった。

 しかし実際のところ、二人がもっとも理解できていない相手は、ディス子より持ち主の羽根井雪の方だった。彼女の目的も、それに懸ける執念も二人には想像すらできていなかったのだ。

 『しばらくは大人しくしているだろう』と推測された彼女は、皆と別れたその足で街へ舞い戻った。そして痛んだ身体で、新たに三つの摩訶=曼珠沙華を刈り取った。

 この夜の狩りで、彼女は奥歯を一つ欠いた。

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