第17話 2-3_ディス子「お前もザビエルにしてやろうか!」



 まず少女の声が轟いた。

「天地、逆転!」

 周囲の景色が崩壊しはじめる。

 すべてが砂糖菓子のように拡散したのち、塔の形に再構築されていく。

 塔は下から上へと崩壊、そして構築を繰り返し、螺旋を描く蛇のように空を上っていく。

「おっ? おっ! おおおおおおッ!」

「んんんんんんッ!」

 崩れ落ちる階段に巻きこまれないよう、二人はハムスターのように昇り続ける。二重螺旋の階段を何度も交差する。

 序の月天。

 二段目水星天。

 三段金星天。

 幕下太陽天。

 十両火星天。

 前頭木星天。

 小結土星天。

 関脇恒星天。

 大関原動天。

 かすかに歌が聞こえた。

 やがて塔は至高の天蓋へ達する。

 凍る大気のなかに塔の頂が丸く広がっている。かつて林檎Bが土俵と呼んだものだ。故にこれは土俵である。

「おらああああっ!」

「ンーーーーーッ!」

 全力疾走からのジャンプで二人は土俵へ入る。

「し、しんど……」

「おぇええ」

 つぐねは汗を拭いながらチョコレートを補充し、隣ではヘチ子がしゃがみこんでいる。

 その二人を哄笑が迎えた。

 大気が違うせいか、重力の問題か、それとも地面の反響のせいか、声はやたらと澄んで、同時に奇妙に反響して聞こえた。

「フハハハハハッ!」

 更に歓声、拍手、拍子木の音が鳴り響く。すべて出所のない幻のような大音声である。すべて冥宮の創りだす物真似――それは間違いない。間違いないのだが、それらを明らかに主催する者がいる。

 二人は視線を巡らせる。円形の広間を包むのは菫色の宙の果てと星ばかりだ。

「誰だ……?」

「――フーハハハハハッ! こっちだ愚か者ども。フハッこっちだって……ちょっと早くして」

 声は続いている。

 円形闘技場の奥、望遠レンズみたいにせり出た祭壇の上に彼女はいた。

 冥宮の主催者。哄笑の主は逆さまになった林檎B――に見えた。

 果実星の流れ続けるすみれ色の銀河を背景に見事な三点倒立。一枚板のような体幹、コンパスの足をして厳かに聳えている。原理は不明だが、赤マフラーもビンビンである。

 ヘチ子たちが祭壇まで辿り着くと、林檎Bの姿をしたそれは、異様に澄み通る声でこう宣言した。

力士パワーたちよ! 海とも山ともつかぬ星屑どもよ! お前どもに願いはあるか! ならば戦い勝ち取るがいい!」

 宣言しつつ、それは手を打ち鳴らす代わりなのか、ヘビーメタルブーツのカカトを音高く打ち合わせた。

 それに煽られた形で、また四方から姿のない歓声、拍手、拍子木が高まった。

 祭壇では逆しまの少女が得意の絶頂、一際大きな笑い声とともに宣言を締めくくった。

「フゥーッハハハハハ! お前もザビエルにしてやろうか!」

 何だこいつ、と二人。



「――フハハハハハ!」

 奇妙なことだが、壁もスピーカーもない天上の大気の中を、笑い声がこだましている。

「ハーハハハハハッ」

 ヘチ子は汗を拭って、周囲を観察する。

「ハハーハフ!」

 ここが冥宮であることは確かだ。

 しかし冥宮の『物真似』にしてもその風景の雄大さに驚く。

 空というよりはそら。夕暮れというよりは星雲だった。呼吸できているのが不思議なほどだ。すべてがやけにはっきり見えて、それゆえ遠近感が希薄である。

「フーハハハハハハ……ハーア。頭に血が上って気持ち悪い。よいしょ」

「あ。普通に立つんだ」

 メタルスーツの少女は正位置へ戻った。そしてややふらふらしながら、こちらでも尊大な姿勢をとる。

 腕組みのうえに足をピンと伸ばした仁王立ち姿。

 冥宮の風に亜麻色の髪を靡かせている。

 オリオン座に似た額のきずがあらわになっている。が、その創を彩るような菫色の痣は、奇妙に渦まいて見え、背後の星雲を透かし見ているかのようだった。更に観察すると分かることだが、彼女の大きな瞳にも同様の星雲が宿って回転していた。彼女の虹彩は、一本のヒビのようなものが入って、傷物のガラズ玉みたいに歪んでいる。

 頭上には光輪。

 先ほどと違うのは、ヘヴィーメタル衣装の胸元に埋めこまれていたキューブ状の装飾が、光輪の中心に浮かんでいる事だった。

 匣の表面には奇妙な模様が彫りつけてあり、それが血管のように絶え間なく脈動して見える。あるいは模様の溝から漏れる光の方が蠢いているのかもしれなかった。

 加えて彼女の纏っていた不思議な芳香が強くなっていたのだが、その変化まではヘチ子達も気づかないままだった。


「いや、長ぇーこと笑ったな。つうかこれ何? 何タイム? 次はあんたが巨大化するのかと焦ったじゃん」

 つぐねが気安く近づこうとする。ヘチ子がそれを止める。

「別人だ」

 剪紙冥宮フリルが飛んだ。

「ぬっ!? ぬっ?」

 林檎Bの姿をした何者かを水母の切紙が拘束した。

「表現が正しいかどうかは分からないが、その女性に『取り憑いている』な。とにかく別人だ。『なぜパン』を冥宮へ引きこんだのもお前か?」

「ぬっ。ぬっ。ぬ……」

 林檎Bの姿をした何者かは真っ赤に力んで抵抗している。

 抵抗する力を迷わせた、とヘチ子がいってやる場面だが、その前にあり得ない事が起こった。

「――パワーッ(力士)!」

 相手の両腕が上がり、次に胸の前へ振り下ろされる。ゴリラのポーズ。剪紙冥宮フリルの拘束を振りほどいたのだ。

「馬鹿な」

 内側からの力では逃れられないように造られた剪紙冥宮フリルのはずだった。それが内側から引き千切られた。

 林檎Bの姿をした何かは、顔を赤くして息も切らしているが、特にダメージを受けた様子はない。

「フーハハハ。今何かしたか? なかなか善い化粧廻ヨコヅナ・フリルだ。気に入ったぞ? フフン。それとも今のは……攻撃だったかな? フッやめておけ、無駄無駄である。単なる三次元からの攻撃では吾輩を倒すことはできん。あ。あと吾輩に同じ攻撃は二度と通用せん、フッ」

 立て続けの警句。あるいは自画自賛。

「オイオイどういうこった。めちゃめちゃイキってんじゃん」

 つぐねも驚きを隠せない。「つうか、つまり敵って事でいいんだよな?」

 構えをとるつぐねを、祭壇の『何か』が傲岸に見下ろす。体は宙に浮かんでいる。

「おう、おう、おう。これはこれは。その佇まい。まだまだ茗荷のようにちみっちゃいが、まごうことなき力士。そして美麗な技を使うむっつり少女よ。非公式ではあるが、先ほどはみごとな取組ファイトであった。褒めてつかわす」

「――なに?」

 『なぜパン』との戦いを指しているらしい。それは分かる。

「おっと。吾輩が戦いに来たのではないという事を前置きしておこう。吾輩が林檎Bの体を借りて顕現したのは、一つはお前どもに賞賛の言葉を、二つ目は説明を与えてやるためだ」

「説明ぃ~?」

 つぐねが胡散臭そうに声を上げる。だが興味を覚えたらしい。

「そうだ。説明よ。吾輩とお前どもは共生関係にある。そのことに関するレクチャーだ」

「共生ねえ……『お前ども』ってのはおれとヘチ子のことか? それとももっと広い意味でか?」

 つぐねは戦いの構えを解いている。

「ディスコさんと呼べ」

 唐突に『何か』はそういった。

「ディス子ぉ?」

「〈ディスコ〉と林檎Bは吾輩をそう名づけた。正確には『吾輩の棲むこの匣にそう名づけた』だがな。林檎Bは吾輩の存在に気づいておらん故、仕方のないことだ」

「匣って? あ。その輪っかの中のヤツ?」

「うんむ。そういうことだ」

「いや、どういうことだよ」

「何だチミはってか?」

「あ?」

「何だチミはって訊いたか」

「いってねえけど、まあ……それでもいいや。話を――」

「フフン! 知らざあ教えてしんぜやしょう」

 ディス子は急に目を輝かせた。ついで腰を落とし、歌舞伎のような見得を切った。頭上の匣までミラーボールのように回転しはじめる。どうやら名乗りの口上を考えていて、それを披露したいようだった。

「この宇宙の開闢かいびゃくの、その以前より存在し。欲望を愛し、欲望に愛された願望器官。陸生生物。水生類。微生物。非生物。キリンさん。すーべての進化の産みの親! 空間と時間方向すべてに恐るべき身体をもつ大いなる母……から剥がれ落ちた欠片の一つ……ディスコさんとは! 吾輩の事だっ!」

 だッ。だッ。だッ……と語尾を繰り返すのはマイクのエコーを自前で演出しているらしい。だが誰もそれには反応しなかった。

「いや分からん」というのがつぐねの反応。「結局欠片なのか? じゃあ本体だせよ。保護者さんをよ」

 ディス子はよく分からない主張を繰り返す。

「吾輩は超すごい存在だってそういってんの。お前どもの上位者様だ。吾輩がデカくなればそれが本体なのだ。ほんとだぞ」

 ここで、ずっと黙っていたヘチ子が口を開いた。彼女はまだ疑り深い態度を維持していた。

「つまりお前が、我々より上位の次元に棲む存在であると?」

「おう。それそれ」

「そして本体は、今もその匣の中に閉じこめられていて――」

「まあ、そういっても善い」

「――今、林檎……という名の少女の口を借りて話している」

「名前はディスコさんだ。そう呼んで構わん」

「現れた目的は、この状況に関する何らかの説明を与えるためだと」

「うんむ。その通りである」

「本当にそうか?」

「信じぬか」

 ディス子がそういうより速く、ヘチ子の腕が走った。再び剪紙冥宮フリルが飛んで、ディス子を拘束した。

「ぬっ。ぬっ」

 ディス子が力をこめ振り払う。

「パワー(力士)!」

 ゴリラのポーズ。切紙が沈香の香りを残して消滅した。

「どうだぁ!」

 ディス子は顔を真っ赤にして勝ち名乗りを上げた。疲労はあるようだがダメージは見受けられない。

「フッ無駄だ。吾輩は三次元以外にも時間方向へ質量を持っているのでなぁ。そうでしょ? そういったよね? なんでもう一回やった?」

「……なるほど」

 ヘチ子は涼しい顔でいうが、どこか悔しそうに見えなくもない。

 ディス子が息を整えて続ける。

「吾輩の真のボディは時間方向へも大きさを持っている。これがどういう事か分かるか。吾輩が触手を伸ばせば、お前どもの未来や過去へも干渉できるということだ」

「未来や過去への干渉?」

「『なんでも願いを叶えてやる』そういっておるのだ」

 ヘチ子は黙ってディス子を睨んでいる。

 運命に干渉し変化させること。それがディス子のいう『願いを叶える』という言葉の意味らしい。しかし、それを提案してくる理由が分からない。

「迷うな。疑うな。吾輩の言葉を言葉の意味のまま呑みこめ。どんな運命だろうと、吾輩に掛かればチェスの『待った』をかけるようにちょちょいのちょい。そういっておるだ。ただ、それには力がいる。願いを叶えるためには、お前どもの欲望――〈摩訶まか曼珠沙華まんじゅしゃげ〉を刈る必要があるのだ」

 ディス子は頭上の光輪を親指で指し示す。

 その光輪を摩訶=曼珠沙華と呼んでいるらしい。そしてこの光輪は人の欲望で出来ている、とそういうのである。

「それを刈るとは?」

「文字通り破壊することよ」

「つまり願いとやらの詰まった『輪』を破壊することで、そこにあった願いを叶えるということか?」

「その理解は正しくもあり間違いでもあるが――信じぬか」

「抽象的だ」

「で、あろうな」

 ディス子は織りこみ済みといった様子で頷くと、身につけたマントを外して背後の祭壇にふわりとかけた。

 次にマントが取り払われると、そこには下へ置いてきたはずの『なぜパン』が手品のように横たわっていた。

 元の人の姿に戻っているが、光輪は以前輝いていた。

「では実際に見せてやろう」

 ディス子はいった。

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