第16話 2-2_冥宮師と鍋を食う
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「いえいえいえいえ。いいです。いーえいえお礼なんてコチラこそお世話にあー青果店を。えっ。そのお値段で中古車が?」
エリさんは古代力士の実家へ電話して、子供たちの外食許可を取り付けている。バックヤードからの声が座敷の林檎Bの所まで聞こえてくる。
二人を夕食に引き止めさせて頂く、という断りの電話が、妙な方向に弾んでいるらしい。
「ごっちゃんで~す」
少女力士――とこの時点では林檎Bはそう思っている――は振る舞われたちゃんこをするすると食べている。手品のように、本当にするすると、大量の食べ物が愛らしい唇のへ消えていく。
黒髪のヘチ子の方も、正座にすまし顔で、しかし遠慮無く食べた。鶏皮が苦手らしく、引き剥がしては、となりのつぐねの取り皿へ押しこんでいる。
林檎Bは食欲をもたない。具材をつついて誤魔化しながら、二人を観察していた。
二人はそれぞれそう名乗った。変な名前だし妙な二人だ。
血縁にしては似ていない。だが単なる友達とは違う密な感じがある。まさか恋人同士でもないだろう。
似た雰囲気を持つものとしては、芸事かペアスポーツのパートナー同士といった所に見えた。だとしたら、かなり年季の入ったペア。
二人が説明するには、林檎Bの所持品の中から連絡先を入手してこの店へつないだのだという。確かお薬手帳の緊急連絡先に「ライディーン」の番号を書いていた、と林檎Bは思い出す。
二人の説明は、すでに〈匣の世界〉から出た後の話らしい。
林檎Bの記憶は「なぜパン」を倒したあたりで途切れている。何があったのか気になったが、とりあえずは黙って聞くことにした。
「それで『
ヘチコウカナンがいった。
林檎Bは曖昧に頷くに留まった。
なんだか古風な芸事の師匠が使うみたいな切り口上だ、と考えていた。不思議な切紙の技術といい、どこで習ったのだろう?
そこへ、四方つぐねの方が脳天気に話しかけてくる。
「あんた十七だっけ? 手帳に書いてあった。おれら中三」
「年上って分かったんなら敬語使いなさいよ」と林檎Bはいってやった。
「やだ。友達になれなくなるじゃん」
「そういうナンパ師みたいな切り返し方、どこで習うわけ?」
「あんた高校生? どこ高?」
つぐねに皮肉は通じそうになかった。
不祥事起こして高校には行っていない、といってやろうか。林檎Bは想像した。気まずい雰囲気になって尋問がうやむやになってくれれば善いのだ。もちろんそう上手くは運ばないだろう。
これは世間話ではなく尋問なのだ。
どう躱そうか思案しているところへ、別の声が割って入ってきた。
「じゃあ雪ちゃんはうちの妹と同年代かな。僕は大学二年」
声はヘチ子でもエリさんでもない。
「――亜喜良さん」
追加の皿を手に、アルバイトの
聞くと、意識のない林檎Bをこの座敷まで運んでくれたのは彼らしい。
「そいつはまたご迷惑を。すんません――」
「ホールから抜け出す口実ができて楽しかったよ」
林檎Bは頭を下げた。彼の方は人慣れした様子で受け流した。
「妹?」とつぐね。
「箸で指さすな」とヘチコウ。
片食亜喜良の背後に、妹の
そうとうな人見知りで、彼女は仕事中でも兄以外と口を訊かない。
それでも兄妹で一緒にしておくと、仕事は極めて優秀なのだという。最近雇われたばかりだが、エリさんはすでに仕事のほとんどをこの二人に任せていた。
「亜喜良さん、あんまり気を使わないようエリさんにいっておいてよ」
林檎Bがいう。
すでに机一杯に鍋の具材やジュースのビンが列んでいる。エリ叔母は、姪の友達だという二人のために、次々食べ物を運ばせてくるのだった。
「やらせてあげなよ。エリさんも嬉しいんだよ」彼はいった。
「やめてくださいよ大げさな」
「まあまあ、付き合いだと思って」
ヘチコウたちは、林檎Bとの関係を「劇場で知り合った友人」という設定で説明した。「不良狩りをしているところで出会った」とはいえるはずもなく、林檎Bも話を合わせるしかなかった。
「まだまだ期待しててよ」
片食兄妹は仕事へ戻っていった。
亜喜良へ対してのつぐねの感想はこうだ。
「あのハンサムだいぶ女泣かせてるな。おれと目が合ってもキョドらなかったぜ」
ヘチコウが林檎Bへ目配せしてくる。話を再開しようという合図だった。
「さて」
林檎Bは、何も知らないという体裁で進める方針に決めた。IQを下げた口調で切り出す。
「ええっとぉ。もう一回お礼をいっておきたいなぁ。助けてくれてほんとうにありがとう。本当の話、私には何が起こったのかぜんぜん分からないけど。ほんとぜんぜん、まったくわけが分からなくて混乱してるんだけども~」
「もう冥宮へは関わるな」
「わあ剛速球」
せっかく馴れ合いの空気を作ろうとしたのに、美しい少女はまっすぐな要求をぶつけて来る。
「冥宮というのは、あの異空間のことだ。危険性はすでによく分かっていると思うが」
「なぜパン」が起こした凶暴性を指しているのだろう。
話を聞くと、どうやら二人は「なぜパン」のような被害者を辿って林檎Bへ辿り着いたらしい。つまり〈匣〉のことは知らないのだ、と林檎Bは確信する。つまり、たまたま彼女たちの仕事(?)と、自分の目的がぶつかっただけ。この二人は〈願いの叶う匣〉を奪いに来たわけではない。
「今回のような行為を今後一切やめてもらいたい」ヘチコウはまっすぐに要求を繰り返してくる。
「嫌。無理。っていったら?」
「それなりの手段をとらせてもらう。私としては大事にしたくないが、こちらにも組織の中の役割というものがある」
組織。後ろ盾の存在を知って林檎Bは少し怯む。
彼女は質問を返して時間稼ぎを試みる。
「『今回のような行為』って要するに――」
男を〈メイキュウ〉とやらへ引っ張りこむのをやめろ、ということ? そういいい終える前に、また横から邪魔が入った。片食兄である。
「追加を持ってきたよ。おかみさん張り切ってるみたいだからどんどん来るよ」
ヘチコウたちが話を中断する。
他人のいるところでメイキュウの話はしないつもりらしい。
林檎Bとしても〈願いの叶う匣〉にまつわる話は、誰にも聞かれたくなかった。
そうした訳で、お互いナイーブに議論を進める必要があった。
なのだが、その後も話がナイーブな部分へ及んだ頃合いで、毎回、
またまた皿が増えて、座敷にまでひしめき合うことになった。
「苦手な食べ物はある?」「試作品食べる?」「期限切れ直前のゼリーの素が出てきたから食べきるの手伝ってよ」「手の怪我は平気?」「妹を置いていくから何か用があったらいってね」
最終的には妹の片食桃が居座る形になって、談合を進めるのは不可能となってしまった。シラを切り通したい林檎Bとしては万々歳だ。
とはいえ、ここを乗り切ったところで事態が好転するわけではない。二人にはこの店の存在も、たぶん住所すら知られているはずなのだ。
「一つだけいっておくね。『なぜパン』的な男どもは意識を失うだけで障害とかが残ったりはしない。害はないんだよ」
林檎Bはお手上げのポーズをしてそれだけ伝えた。とりあえず、寝込みを襲われるような状況だけは避けようと考えたのだ。彼女は万歳のまま続ける。
「とりあえず今は休戦しない? 疲れてるんだよね。この通り怪我もあるし、不眠で困ってる。そっちは私の住所もみんな知ってるわけだし『談合』は今日じゃなくても善くない?」
「……いいだろう。今夜のところは」
ヘチコウも同意して、それからはただの食事会になった。
兄においていかれた桃ちゃんは終始無言だったが、試しに林檎Bがゼリーを近づけてみると、意外に素早い吸引動作でこれをたいらげた。かわいい。
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「ほんとに送らなくていいのかい?」
「余裕。結構近いし」
ヘチコウとつぐねは片食兄の申し出を断った。
エリさんや兄妹の手前、お互い友達のように別れた。
「またね。次は一ヶ月後くらいにする?」
「また明日、詳しい話をしよう」
「……へい」
何も解決してはいないが、とりあえず今回は乗り切った。エリさん達が店へ戻ったのを見届けてから、林檎Bは心胸をなで下ろす。
「やっと帰ってくれた。それにしても、冥宮師か……」
あの〈匣の世界〉へ〈匣〉なしで出入りできる者がいるとは、考えたこともなかった。
これまで、そういう存在と遭遇せずやって来られたのは、幸運だったのだろう。
そう考えれば、今回〈願いを叶える匣〉の存在を隠し通せたのは命拾いといえた。もし匣の奪い合いになれば、あの漫画みたいな戦力の二人からは逃げようもない。
それに、二人の背後には組織があるという。二人の意思がどうあれ、組織なら〈願いを叶える匣〉を必ず手に入れようとするだろう。
「おお……あっぶねー」
去って行く背中を見送りながら林檎Bは呟いた。
だが、彼女の期待通りに事が進んでいたわけでは、実はなかった。
すでに遠くなった二人は、次のような会話を交わしていたのだ。
「『しめしめ、あいつら〈匣〉には気づいてねーぜ』って顔してたな」
「警戒されるよりは善いだろう」
「かもなあ」
「〈ディス子〉のいうことが確かなら、
冥宮師はそういって、林檎Bのいるであろう方向を少しだけ振り返った。
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