第12話 1-12_なぜパン巨大化する
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「水の中で藻掻くみたいな不思議な感覚だろう? 今、あなたは私の創った小さな冥宮に捕縛されている。あなたはその切紙を越えてこられないが、私はあなたに触れることができる」
美しい少女はそういった。
「どういう意味……? ていうかどういう仕組み? これ」
林檎Bには何一つ理解できない。自分が拘束されているという事実以外は。彼女の体に、美しいクラゲの切紙が巻き付いていた。
「――本当に冥宮のことは知らないようだ。まあ、つまり、今からいくつかの質問をするが、必要ならば拷問も簡単にできる、という事をいいたい」
「女の子が拷問とかいうの善くないと思うな」
「私としてもやりたくはないが――まあ、あなた次第だな」
「ところであんた名前は?」もう一人の闖入者が話しかけた。「おれのことはつぐねって呼んでくれていいぜ」
林檎Bは返事をしなかった。この二人が何者なのか。何の目的で自分を捕まえに来たのか、その理由を考えていた。
「なあ、名前は? 名前知っとかないと質問するときとか不便だからよ」
つぐねがもう一度話しかけてきたところで、林檎Bは方針を決めた。何も知らない巻きこまれただけの一般人。これで通すべし。
「いーやー。助けてくださーい。私の紐パンが奪われてしまうー」
「……パンツっつった?」
「ひも?」
二人が目を丸くする。
「逃げてー! 二人とも逃げてー! なぜならここは危険だから! 私には何ら説明の仕様がないけれども! 私に構わず逃げてー! やっぱり助けて! 拷問しないで!」
「落ち着いてほしい。話ができない」
「あのさあ……」
二人が何かいっても林檎Bは聞いていないふりをした。マシンガンのようにシラを切り続ければ、案外何とかなるものだ。
「あー分からない。何も分からないんですう! あの男が無理矢理! 私をこんなわからんちんな場所に! しかも危うく襲われて、命からがら逃げてきたと思ったら今! まさかの拷問宣言! 助けて!」
息継ぎがてら、林檎Bは二人の様子を窺う。まだだな、と判断する。つぐねの方などはむしろ白けた様子にすら見える。
「あー何もわからない。怖ぁい! どうして私がこんなめに! お給料も少ないのに! 怪我したところが痛ーい。手当てをしないという拷問! ジュネーブ条約違反! 今まさに怪我をしている少女を見つけたとき何をするか。拷問でしょうか? いいや違う。病院へ連れて行くべきではないでしょうか! どーなんだい!」
とにかく話し続けた。やがてマシンガンの種も尽き、いったん弾込めしようとしたところで、つぐねが口を開いた。
「こいつも大根だな」
「大根? 『こいつも』とは?」ヘチ子が訊き返す。
つぐねは相棒を下がらせる。今度は彼が言葉の弾丸を撃つ番になった。
「ヘタな演技だって話だよ。『男に連れてこられた』は明らかに嘘だろ。あと泣き真似が異常にヘタ。涙出てねえし。つうか嘘泣きしてる時点でもうクロじゃん」
「違いますう! 涙は涸れ果てただけですう! 人生は闇! こんなに苦しいのなら涙などいらない!」
「北斗の拳みてぇなこというじゃん」
「私は可哀想な子! 親にも社会にも見放され、労働に明け暮れる毎日! こんな私を疑うなんてひどい!」
「おれらな、お前が男を住宅街まで連れこんでくの見てたんだよ。だから嘘じゃん? 『男に連れてこられた』ってお前の主張、嘘じゃん?」
「それは……それはぁ――」
「嘘泣きしても無駄だぞ」
「クソァ!」ついに林檎Bは開き直った。かに見えた。しかし彼女はこの期に及んでも嘘を重ねた。「はい正直にいいますう、いえばいいんでしょ! ほんとは男を誘惑しました! なぜなら私は闇バイト中の身! あの男たちはお客様ですう! 私は悪い大人に脅されてこんな仕事をしているのです! 助けて!」
「また妙なこといいだしたよ。それも嘘だろ」
「嘘じゃないですう!」もちろん嘘である。「嘘じゃない! 年齢無用の闇仕事ですう! 借金を返すため紐パン撮影会の毎日! 今日も寒風吹きすさぶなか紐パン一丁でフラフープを回す仕事が始まるんですう。哀しい! おーい。おいおい」
「おいおいって泣くやつ嘘泣きにしても初めて見たな……」
「これは……時間が掛かりそうだ」
つぐねの横で、ヘチ子も溜息をついた。
さっきはああいったものの、拷問までする気はない。
「どうする? このまま久我ちゃんのとこまで連れてく?」
「この様子を人に見られたらコトだぞ……」
二人が途方に暮れた、ちょうどその時だった。背後で黄色ジャンパーの男が目を覚ましていた。
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黄色ジャンパーの男が目を覚ました。
その瞬間を林檎Bだけが目撃していた。だが彼女は以前拘束されたままで動けない。
男は体を起こそうとしている。
「おい……おいおいおい!」林檎Bは声を上げる。
二人は背後に気づかない。うんざりしたような、それどころかバカを相手にするような目で林檎Bを見るばかりだ。
「まーた始まったよ」
「もういい加減にしてくれ」
「違うって。そうじゃなくてオイオイ後ろ、ヤバイわ」
「オイオイとかそういう嘘泣きいいから。後ろって何? 紐パンの尻への食いこみがどうとかって話だろ? こっちが恥ずかしいわ」
「嘘にしてもリアリティのある嘘にしてもらいたい」
「いやいやいや。違うあんた達の後ろ。私からいって前」
「もう~やめろって。おれ下ネタ苦手なんだよ。パンツの前とか後ろとか。ああ、パンツっていやあさ、さっきの男もパンツパンツいってたけど何なん? 流行ってんの?」
「確かにあの男、様子が変だったな。冥宮酔いの一種にしても異様な雰囲気だった。体に変調のようなものも……おい」
そこまでいって、ようやくヘチコが男を振り返った。
周囲の影の動きが奇妙なことに気づいたのだ。背後から赤い光が射している。それに荒い息づかいが聞こえた。
「何だよ、お前まで急に――」相棒の様子を見て、つぐねも振り向いた。「おいおいおい」
男が立ち上がっていた。
頭上に、赤い光輪がギラギラ輝いていた。光によって男の影が濃くなり、地べたを秒針のように回り始める。不吉なネオンランプのようだ。
「なんか……さらにでかくなってね?」つぐねが指摘した。
彼のいう通り、男のサイズが変化していた。
体のあちこちが不規則に隆起している。まるで肉の内側から、何かがとびだそうとノックしているみたいだ。
それは、実際には、男の筋肉や骨が、急速に成長しているのだった。皮膚が内側から暴れるたび、男の体は変貌していく。太く。大きく。それどころか別の存在へ。
「ヤバイヤバイヤバイ」拘束されたまま、林檎Bが喚く。「上、上ッ」
「うえぇ?」つぐねが訊き返す。「後ろ、前と来て今度は上かよ」
「頭の上ッ」
「あんたの頭の輪っかのこと?」
「おしいッ」
「あ。男の方? 男の方のあの輪っかのことか? あれって実際何なん――」
「
「マ……何? ごめん。もっかいいって?」
「
「ごめん長い。なんで?」
「マゲ!」
「まげ? いや新しい単語出てきたじゃん。まげ? 何すりゃいいのよ」
「あいつの
「……つぐね。もしかしてあの光輪を壊せということじゃないのか?」
ヘチ子が察したが、その時にはもう遅かった。
「――なぜ、紐パンをくれないのか!」
男は言葉を天へ向けて放った。
それは毅然としていて穏やか、しかし抑揚がなく、にもかかわらず大音声の宣言だった。人間の声帯から発せられる声だとは思えなかった。
宣言と同時に、男の
「今なんつった? うお眩しっ――」
閃光の中で男のシルエットが急激に変化する。その影はもはや人間とはかけ離れていた
「――お? お? おおおお!?」
光を手で遮りながらも、つぐねは敵である男から視線を切らなかった。
だが、彼のその目線がどんどん上へ向いていく。
やがて光が収まったとき、彼は男を真上に見あげていた。
「っデッカぁああああ!」
男は三メートルを優に超える巨体に変化していた。
つぐねの身長は同年代男子の平均からいって、中の下といったところである。だが、『それ』はその倍以上の体長がある。
『それ』とはもちろんスカジャンの男――だったものの事である。
「でかすぎんだろ……それに何だよその姿」
つぐねの脳裏を、なぜか「金ぴかの仏像ってなぜか好色そうに見えるよね」という思考が閃いた。男の姿からの連想である。男はすでに人間の姿をしていなかった。
『それ』は、金色のウロコに覆われた巨人である。
『それ』の目は、女子高生の太ももでも盗み見ていそうな半眼の目。
『それ』の唇は、好色そうに脂ぎっている。
『それ』の三本しかない指の形は、なぜか卑猥に見える。
『それ』には、さらに尻尾が生えている。それもやたら器用に、ねっとりと動く。
『それ』は、人というより人面二足の恐竜である。
林檎Bが叫ぶ。
「ファーック。間に合わなかった!」
ファック。
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「なぜ紐パンをくれないのか」
金無垢の仏像、あるいは人面の恐竜が声を発する。
何の感情もないのに、そのためにかえって欲望の強さがはっきり表れている、というような声である。言葉の内容は先ほどの宣言と同じものだった。それしか話せないようだ。
「またいった! 色々なんだこいつ! 『なぜ紐パンをくれないのか』略して『なぜパン』!」
「何が起こってる。さっきの言い様といい、お前何か知っているな」
つぐねとヘチ子が詰め寄る。
林檎Bも負けない声で怒鳴り返す。
「うるさいッ! とにかく逃げるか拘束を解くかしろ! ていうか両方――お?」
言葉の途中で、林檎Bの姿が陰った。
『なぜパン』が長い尻尾を掲げている。その尾の影が落ちたのだ。
「ワア……おっきい」
といったのが合図だったかのよう。大蛇のような尾が、まっすぐ落ちて来た。
「あぶね」
つぐねは猫のように余裕をもって躱す。両腕でそれぞれ、ヘチ子とグルグル巻きの林檎Bも抱いて避難させている。
ヘチ子の方は、下がると同時に切紙を構えていた。
尾が、雷のような音を立てて地面を叩く。
砕けたコンクリート片が少女らを襲う。
だが、破片の散弾が、少女たちを
ヘチ子の
物理法則を無視して跳ね返ったコンクリート片が『なぜパン』に命中する。金色の鱗が舞った。
「礫の軌道を『迷わせ』た――しかし何なんだ? こいつは」
ヘチ子は煙るような眉をしかめている。
冥宮の専門家である彼女から見ても『なぜパン』の変化は異様だった。
「なぜ、なぜ紐、パン、を」
なぜパンは同じ言葉を繰り返している。散弾のダメージはないようだ。
「今何した!? 何か分かんないけど善し。逃げるぞ――おい!」
グルグル巻きの林檎Bが指示を飛ばすが、二人の子どもは当然のように無視した。
目の前の現象に対して短い議論を交わしている。
「ヘチ子よぉ。こいつはあれか? 小冥宮の『もじゃもじゃ』とかみたいなことが人間に起こったって感じか?」
「まず有り得ない。有り得たとしてこんな短期間では起こりえない。それも、どうしてあの男だけがああなった?」
「自問自答始まった感じ?」
「問うにも答えるにも、情報がたりないな」
「じゃあぶっ倒したらどうなるか見ときてぇだろ?」
「うん。それに早く帰りたい」
「おうよ」
つぐねは不敵に笑っている。先ほど男へ戦いを挑んだ時と同じだ
チョコを一つ口へ放りこむ。
それから、彼は顔に掛かる髪を掻き上げると、一つに纏めて縛った。紐はここへ来る前、ヘチ子からもらった、あの
その切紙をこより状に折りたたんで、頭の高いところで結んでいる。花のように。あるいは髷のように。
彼は準備運動を始める。
「もしかしてアンタあれと正面からやる気? いや、やれるわけないでしょ、バカかクソガキィ――ぬ!」
林檎Bの抗議がやんだ。つぐねの所作に何かを感じたのだ。
彼は足を高く掲げて四股を踏むと、続けて腰を落としたままじりじり前進して見せた。雄大、かつ優雅な動きだった。
「これは……雲竜型の土俵入り! き、きれいだ! まさかアンタ――いえ、あなたは……力士!」
林檎Bが声を上げる。
余談ではあるが、林檎Bはとある『全宇宙スモウ博士検定』において総合成績第二位の成績を記録したことさえある。
その彼女の頭脳が告げていた。力士であると。実際それは正しかった。
〈冥宮師〉を
彼は古代相撲の技を二千年以上伝える一族の末裔である。
雄大かつ優美な動きを続けながら、彼は惚れ惚れするほどの傲慢さで宣言した。
「突然ですがこれは予告です。デケぇ変態のお兄さん。あんたを投げでぶっ倒す」
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