第11話 1-11_冥宮師と力士、林檎を捕まえる「遊神仏(あそびしんぶつ)」



 視線の絡んだつかのまに、三者三様の思考が閃いてた。

 つぐねは即座に状況を理解した。

 赤くたなびくマフラー。謎のヘヴィメタルスーツ。マント。頭上の光輪。肌に覗くキズあと。指先から血の玉が流れ落ちている。『方屋開口かたやかいこう』の女だ。

「見つけたあ!」

 つぐねが叫んだ。

 同時に林檎Bも声を上げた。

「なんでここに人が!」

 ヘチ子の方はまたしても謎の憂愁に囚われたがすぐに立ち返った。

 手から剪紙冥宮フリルを飛ばす。

 沈香の薫りが林檎Bをかすめて、その背後で花開いた。

 真っ白い花模様がスカジャン男の腕を捕らえていた。

 ヘチ子からは林檎Bの背中へ襲いかかる男の姿が見えていたのだ。

 男はまるで渦の流れにとりこまれたかの様に進むも戻るもできなくなる。「その腕の軌道を『迷わせ』た。腕が剪紙冥宮フリルを抜けるまでお前は動けない」

「何? これ何?」

 というのは林檎B。

 彼女は半ば演技、半ば本気で驚きながらも迎撃用に隠し持っていたヌンチャクを、ヘヴィメタルスーツの秘密のポケットへ押し戻した。その動きはマントに隠れて闖入者たちからは見えなかったはずだ。戦力と目的はぎりぎりまで隠しておくべし。

 突然現れた少女が、林檎Bを見つめ続けながら口を開く。

「私の頭の中にはレントゲンにも写らない空洞があって、それが剪紙冥宮せんしめいきゅうのコントロールを助けてくれているんだそうだ」

「あ……え。マジで何の話? あと睫毛長いね」

 それは冥宮師なら誰も知っているはずの知識だったが林檎Bはその言葉にまるで反応できない。

「……やはり冥宮師ではないようだ」

 美しいものは何かを納得した様子で、長い睫毛を伏せた。たったそれだけの行為が妖異といっていいほど美しい。

 スカジャン男の拘束が解けた。

 切紙が香りだけになって消えていく。

 林檎Bが前へ出ようとする。

「何か知らんけどあんた達、下がりなさい――よ?」

 林檎Bより先に、つぐねが割りこんでいた。

「さて。ここは一番、おれの出番が来たようですなあ」

 もう一人の漫画みたいな美少女(林檎Bからはそう見えた)の方は、外見から想像もつかない伝法な口調で、なぜかわくわくと指を鳴らした。

「ここはおれの仕事だよなあ? ヘチ子。千年も前からそう決まってんだ」


 河尻市の丿口へちこう四方宮しほうみや家には、千年以上前からの協力関係が存在する。

 冥宮師には古来より護衛役をつけることが慣わしだった。

 冥宮を自由に出入りできるのは冥宮師だけである。よって冥宮へ踏み入る際には彼を護る者が必要だったのである。

 彼らは鞘の象徴である冥宮師に対応して〈太刀持ち〉と呼ばれた。

 実際に太刀を使う者もあれば、そうでない〈太刀持ち〉もあった。

 すなわち力を振るう人であればそれで善いのである。

 力を持つ者。

 くらい宮である冥宮師を守護まもる、人の形をした陽物ようぶつ

 太刀持ちとはそのようなものである。

 太刀持ちとしての四方宮しほうみやは何を扱うか。

 彼は己のからだのみで役目を遂行する。


「まあね! ワヤワヤやってる訳だけども、何やかんやでおれがお相手つかまつる感じになったんでひとつ……あれ? なんかイメチェンした? そんなガタイだっけ?」

 つぐねが四股を踏みながらコミュニケーションを図る。

 のだけれども、スカジャンの青年はまともな返事をしない。街で見たときよりも、体が一回り逞しくなっていて、黄色いスカジャンの肩周りがほつれてはち切れそうになっている。まるでこの数十分で一気に成長したかのようだ。

 さらに男の頭上には、謎の光輪が浮かんでいて、それが有害なウイルスみたいに刺々しい赤光を放っているのだった。

「なぜ……」

 男が初めて言葉らしきものを発した。

「あん?」

「なぜパンツをくれないのですか?」

 二言目が発せられたときには、すでにつくねは男の懐へもぐりこんでいる。

 その一瞬に何が行われたのかは、つぐね本人にしか知覚できなかっただろう。はたからではバスケットボールをパスするみたいな、軽い諸手突きを見舞っただけにしか見えない。

 男の体が縦に跳ね上がった。スピンしながら高く舞う。横方向から打ったにもかかわらず、上へ跳ねたのである。

 すでにつぐねは背を向けていて、彼の背後ではスカジャン男が時間差で落下してきた。


「四方宮流〈遊神仏あそびしんぶつ〉……えっ。今こいつ『パンツ』っていった? 何こわ……」

 彼は汗一つかかず、服すら乱れていなかった。少しずり落ちた眼鏡を押し上げただけである。

「終わったか?」

 ヘチ子が声を掛けた。こちらも当然のような口調である。

「おー。一応手加減しといた。本来は馬を打って騎手だけ落とす技だ。マッチョだしそのうち目を覚ますだろうぜ。ところであいつさっきパンツっていわなかった?」

「しらん」

「いったって! だよなあ!?」

 つぐねが確認するが、男は仰向けに倒れて動かなかった。意識を失っている。

 つぐねは遊びたりない子犬のような顔になる。

「しかしよぅ……冥宮はでけえけど出てきた相手は普通の人間だったなあ。拍子抜けだ」

 しゅんとして制服のポケットから一口チョコレートを取り出し、口へ運んだ。

 彼はカロリー補給のためいつもチョコレートを持ち歩いている。基礎体温が高いこともあって彼の体からはいつもチョコレートの匂いがするのだった。

「迷宮?」

 林檎Bが不思議そうに呟く。

 ヘチ子はそれを横目で観察する。

 状況的にも彼女が『方屋開口かたやかいこう』の少女で間違いない。

 情報通り、歳はヘチ子たちより二つ三つは上、高校生ほどの年代に見える。

 額に大きな傷痕があり、その周囲の皮膚が紫雲のような色に染まっている。かなり古い、つまり消える見こみのない痕に見えた。他にも肌の見えるところに擦り傷や打ち身がある。指先から血の玉が滴っている。

 なぜか例の着物コートは見当たらず、代わりにメタルバンドかコスプレのようなレザースーツを身に纏っていた。コートの下に着込んでいたのだろうか。

 胸の所に四角い飾りのようなものが埋めこまれていて、その表面に刻まれた不思議な模様が目を引いた。ヘチ子は急に自身の沈香の匂いを意識した。理由はこの時には分からなかった。

 頭上の光輪のようなものも大きな謎である。男とは微妙に形も光りかたも違いがあるが、光の輪であることは共通している。

 これも冥宮が創りだした『真似っこ』の一つなのだろうかとヘチ子は推測した。それは今のところ、自分たちの頭上には顕れていない。

 そして、ここまでの言動からいくつか分かった事。

 まず、彼女は冥宮師ではありえない。剪紙冥宮フリルの存在を理解していないようだったし、ヘチ子達が冥宮へ入ってこられたこと自体に驚いていた。冥宮師なら『入ってきたこと』ではなく『同業者に会ったこと』に驚くはずだ。彼女は冥宮師ではない。

 では、彼女がどうやってこの大冥宮を発生させたのか。現状では推測すらできない。しかし彼女がやったことは間違いない。

「まあ。じっくり調べればいいことだがな」

「おああ!?」

 というのは林檎Bの困惑声。

  芳香。月下美人に似た水母くらげの触手が精緻な網となって林檎Bの身体を絡め取っている。ヘチ子の放った剪紙冥宮フリルである。美しい切紙師がいう。

「言い忘れたが私たち仕事はあなたを助けることじゃない」

「うーん。というとぉ?」

 拘束された少女は引きつった笑みを作っている。

「とりあえずは捕獲完了ということだ。仕事の続きが尋問になるかどうかはあなた次第だな」

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