第11話 1-11_冥宮師と力士、林檎と出会う
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それは、ほんの一瞬の交差に過ぎなかった。
けれど、視線の絡んだつかのま、ヘチ子と林檎B、それにつぐねの中でも、三者三様の思惑が閃いていた。
つぐねは状況を素早く理解した。
赤くたなびくマフラー。指先から流れ落ちる血の玉。向こうに黄色いスカジャンの男。
この少女が『
謎のヘヴィメタルスーツとマント姿。おまけに頭上の光輪のようなものが輝いているのは謎だけれども。
「見つけた!」とつぐねは叫んだ。
林檎Bも声を上げた。「なんでここに人が!」
同時に、ヘチ子も我に返った。
初めてすれ違った時と同様、不思議な憂愁が胸に燃え残っていた。もちろん、この状況。根拠のない感傷を引きずったりはしなかった。
「動くな『方屋開口』」
ヘチ子の美しい手から、
切紙は林檎Bの髪をかすめ過ぎた。沈香の匂が花開いたのは、林檎Bから見て、背後の空間上だった。
「あっ。ああッ?」
男の叫び声。無論つぐねではない。
花模様の切紙が、スカジャン男の腕を捕らえている。
ヘチ子が狙ったのは彼の方だったのだ。彼女の位置からは林檎Bの背へ襲いかかる男が見えていたからだ。
「ああっ? ああ! ああああ!」
まるで渦にとりこまれたかの様に、男が身もだえする。
叫ぶだけで意味のある言葉を発しないのが、やや奇妙ではあった。
悲鳴と怒声を繰り返しながら、彼は進むも戻るもできない様子だった。
右腕が、
「片腕を『迷わせ』た。その腕が
異類の美しさと、沈香の匂いを漂わせながら、少女はそう宣言した。
一方、林檎Bは取り乱して叫んだ。
「何? これ何!?」
彼女もまた、一瞬の酩酊状態から、すぐに自分を取り戻した。
混乱した声は、半ばで本気だった。もう半分は警戒から来る演技である。
彼女は隠し持った得意のヌンチャクを、ヘヴィメタルスーツの秘密のポケットへ、そっと押し戻した。男へ不意打ちをかけるための武器だった。
だが、今は状況が不明である。
何も知らない被害者を演じようと彼女は考えていた。戦力と目的はぎりぎりまで隠すべし。
再び、闖入者と目が合った。林檎Bはまた意識を奪われるところだった。宝石で作った造花のような美しさを持つ少女だ。
完璧な形を持った唇が開いて、奇妙な言葉を紡いだ。
「私の頭の中にはレントゲンにも写らない空洞があって、それが
「あ……え。マジで何の話? あと睫毛長いね」
再び一瞬の酩酊。林檎Bは胡乱な発言を洩らしてしまう。
林檎Bからは知りようもないが、今の言葉はヘチ子からの「探り」だった。
冥宮師は、その技術のコントロールに『存在しない空洞』を使う。それは、己の体内にある穴なのだという。
『空洞』のことは、冥宮師ならば必ず知っているはずの知識である。それへ林檎Bは応しなかった。同意するでも、シラを切るでもない。理解できていなかった。それはつまり、彼女が冥宮師でないことを示唆していた。
「……やはり冥宮師の技を使ったのではない、か」
美しいものは何かを納得した様子で、長い睫毛を伏せた。
林檎Bにはその真意が分からない。彼女はただ、目の前の密かな動作にすら、妖異といっていいほどの美しさを感じて慄いていた。話しているあいだ、時が静止して感じられたほどだ。
「ばあああ!」
そこへ下品な音が響いた。
スカジャン男が息つぎをした声だ。拘束が解けたらしい。
役目を終えた切紙が、雪のように溶けていくところだった。
「ファーック」林檎Bは思わず呟く。
ここで、彼女はどういう心理からか、二人の闖入者たちを庇おうとした。自分の方が年上である。その意識が働いたのかもしれない。あるいは『光輪を戴いた男』の危険を熟知していた、という事実もあるにはあった。
とにかく林檎Bは二人の子供を下がらせようとした。
「何か知らんけどあんた達、どいてなさい――よ?」
「まあ、まあ、まあ」
しかし、そこで林檎Bを押しのける者がいた。
もう一人の方の闖入者――四方宮つぐねである。
「さて。ここは一番、おれの出番が来たようですなあ」
何がおかしいのか微笑んでいる。
もう一人の方。
漫画の美少女みたいな格好をした少女――林檎Bからは少女にしか見えなかった――が、伝法な口調とともに進み出る。
散歩するかのような歩み。そのままスカジャンの男と向かい合った。
身長は男の方が遙かに高い。しかも、男の肉体は、ある力によって、今まさにボディビルダーのように隆起していく所だった。『ある力』の存在を知るのは、この場で林檎Bだけである。
「おーおー。分かるぜやる気だってことだけはさ」
体格ではるかに勝る相手を前に、フリフリ制服の美少女は、なぜかわくわくしてさえ見える。
不敵な声で彼はいう。
「ここはおれの仕事だよなあ? ヘチ子。千年も前からそう決まってんだ」
そういうと彼は腰を落とした。
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河尻市の
古来、冥宮師には護衛役をつける慣わしがある。
冥宮から出入りできるのは冥宮師のみ。よって冥宮内で彼を護る者が必要だったのだ。
護衛は〈鞘〉の象徴である冥宮師に対して〈太刀持ち〉と呼ばれた。
実際に太刀を使う者もあれば、そうでない〈太刀持ち〉もあった。
すなわち、力を振るう人であればそれで良いのである。
力を持つ者。
太刀持ちとはそのような存在であればよい。
では、太刀持ちとして
彼は己の
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「まあね! ワヤワヤやってる訳だけども、何やかんやでおれがお相手つかまつる感じになったんで。ここはひとつ……あれ? なんかイメチェンした? そんなガタイだっけ?」
などと。
一人で戦いを挑んでおきながら、つぐねにはまるで緊張感が見られない。むしろ高揚している様子だった。なぜか周囲にはチョコレートの匂いが立ち始めた。
彼は四股を踏みながら、敵とコミュニケーションを図ろうとする。しかし、ここまでスカジャン青年からの応えは無しだった。
スカジャンの男の様子も奇妙である。
彼は口を訊かない。目の前の美少女を見つめながら、唸り声を洩らすばかりである。
それに何より、体が街で見たときより一回り逞しくなっている。黄色いスカジャンの肩周りなどは、ほつれてはち切れそうになっていた。
彼の頭上に、謎の光輪が浮かんでいる。それはウイルスみたいに刺々しい円形で、毒々しい赤光を放っていた。林檎Bの頭の上にも光輪があったが、それとは形も輝きも違っていた。
男から漏れる赤光が、屋上の地面へ奇妙な影を作っている。
光が蠢くと、男の影もうねり、ぐるりと回転する。赤い光の舌がつぐねの顔を舐める。そういう距離で二人は見合っていた。一拍踏み込めば手が届く。
「なぜ……」
しばらくの後、男が初めて言葉を発した。
「あん?」つぐねが暢気に訊き返す。
「なぜパンツをくれないのですか?」
その謎の言葉が発せられたとき、すでにつぐねの姿は、男の懐にあった。
その一瞬に何が行われたのか。それはつぐね本人にしか知覚できない領域である。
傍から見える形でいえば、それは軽い諸手突きに見えた。バスケットボールのチェストパスにも似ている。つまり、体重を乗せたようには見えなかった。
男の体が、縦に跳ね上がった。奥ではなく縦。物理的に考えがたい現象だった。男はスピンしながら宙を高く舞っている。
すでにつぐねは背を向けていた。
やや遅れて、スカジャン男が落下してくる。終わったのだ。
「四方宮流〈
彼は自分の手のしたことを、どれほどにも考えていないようだった。それより相手の発言が気になっているらしい。
彼は汗一つかかず、服すら乱れていなかった。少しだけずれ落ちた眼鏡を押し上げただけである。
「終わったか?」とヘチ子が声を掛けた。
「おー……一応手加減しといた。本来は馬を打って騎手だけ落とすみてーな技なんだけどさ。マッチョだしそのうち目を覚ますだろうぜ。ところでアイツさっきパンツっていわなかった?」
「しらん」とヘチ子。
「いったって! 聞かなかったフリするなよ、いったよなあ!?」
ムキになったつぐねが振り返る。しかし男は仰向けに倒れたまま動かなかった。
「マジでもう終わりかよ」
つぐねは遊びたりない子犬のような顔になった。
彼は制服のポケットから一口チョコレートを取り出した。
四方宮つぐねは、カロリー補給のためいつもチョコレートを持ち歩いている。基礎体温が高いこともあって、彼の体からはいつもチョコレートの匂いがするのだった。
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「しかしよぅ……冥宮はデケぇけど出てきた相手はちょっとマッチョなだけの普通の人間だったなあ。拍子抜けだ」
「あの男自体はただの一般人だったろうしな」
一連の戦いを、闖入者達は当たり前の様に受け止めている。
林檎Bだけは、呆気にとられたまま「何したの?」といい、次に闖入者たちの発言をオウム返しで口にした。「迷宮?」
冥宮師を知らない彼女には「冥宮」が「迷宮」に聞こえたのである。
ヘチ子はそんな少女――まだ名も知らない林檎B――を、横目で観察する。
状況的に見て、彼女が赤マフラー『
歳はヘチ子たちより二つ三つは上、高校生ほどの年代に見える。調査で得た情報通りだ。
間近で見ると、頭部の怪我のあとに驚かされる。街では帽子とマフラーをしていたため隠れて見えなかったのだ。
額のそれは、どうやら大きな創痕だった。前髪が掛かってはっきりとは確認できない。
ただ、創跡の周りの皮膚が紫雲のような色に染まって見える。かなり古いもの。つまり消える見こみのない痕に見えた。
他にも、肌の見えるところに擦り傷や打ち身が確認できた。爪の剥がれた指先からは、血の玉が滴っている。
着物のコートは身につけていない。
冥宮へ入る前は着ていたはずだから、途中で脱ぎ捨てたのだろう。そうヘチ子は考えた。
それにしても異様な格好である。
メタルバンドかコスプレのようなレザースーツを身に纏っている。これをコートの下に着込んでいたのだろうか。
さらに観察すると、レザーの胸の所に、四角い飾りのようなものが確認できる。
服へ直接埋めこまれているようだ。素材は石か、つやのある木材。表面に不思議な模様が刻まれている。
観察しながら、ヘチ子は急に自身の沈香を意識した。それがなぜかは、この時点の彼女には自覚できなかった。
さらに彼女は視線を戻し、頭の上の空間まで移動させる。
頭上の光輪。
これも大きな謎である。今のところ、そこに不穏な気配は感じられない。
が、一緒に冥宮へ入った男に同じものが顕れている。そこが気になった。
それとも、これは単に冥宮が創りだした『真似っこ』の一つなのだろうか、とヘチ子は推測した。
光輪は今のところ、自分やつぐねの頭上には顕れていない。
ヘチ子は更に考えを進める。
取りあえず判っていることがある。
まず、彼女は冥宮師ではありえない、ということ。
彼女は
異常の事柄から、彼女は冥宮師ではない。
では、彼女とこの大冥宮の関係はどこにあるのか?
この住宅街に、もともと冥宮は存在しなかった。それは確かなことだ。あればすでに自分が見つけている。
となれば、この大冥宮は創り出されたものだということになる。
それも今日、この場で。
本来、大冥宮を創りだすなどということは、現存する冥宮師にも、他の誰にも不可能なはずだった。それは人知を超えている。
しかし、それを実現した者がいるとすれば、目の前の彼女しかいないはずなのだ。
「まあ。じっくり調べればいいことだがな」
「おああ!?」
というのは林檎Bの叫び声。
ヘチ子の放った
月下美人にも似た
「ああん!? なんじゃこりゃあ!」自由に藻掻いているはずが、切紙の外へは一向に出られない。体験したことのない感覚に、林檎Bは声を上げる。
そこへヘチ子がいった。
「言い忘れたが、私たちの仕事はあなたを救助することじゃない」
「……うーん。というとぉ?」
拘束されたまま、少女は引きつった笑みを浮かべた。
「とりあえずは捕獲完了ということだ。仕事の続きが尋問になるかどうかはあなた次第だな」
美しい冥宮師は冷たくそう言い放った。
「ファーック」
林檎Bの悪態が冥宮の空へ響いた。
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