第10話 1-10_冥宮内「この冥宮、何か変」



 すみれ色の空に帚星ほうきぼしが流れ続けている。

 日が暮れるには早い時間のはずだが、冥宮は現実の時間と空間から切り離された場所である。

 周囲は現実と同じ住宅街に見えた。

 つぐねがドアを開けてみようとして、変な顔になる。


「開かねえ。赤マフラーがいるかもしれねえけど、ぶっ壊してみるか? これ現実の家も壊れちまうのか?」


「いや。これは冥宮が街の真似をしているだけだ。実際に果物や街が呑まれたわけではない」

「真似?」

「真似は比喩だ。私も実際に見たのは初めてだが、冥宮は飲みこんだ人間の意識を反映した姿をとるそうだ」

「赤マフラーの見てる夢みたいなもんか? あるいはおれらの」

「そういう理解でも不自由はない」

「じゃあ、この住宅街も偽物ってことか。そういや、さっき通った道とちょっと違くねえか?」

 つぐねが来た道を振り返っていう。確かに路上の軽トラックの横にあんな妙な形の標識はなかった気がするし、電線のつながり方も綾取りのようだ。民家もどことはなくちぐはぐな姿に見えた。

「この冥宮、何か変」

 つぐねが巫山戯ていい、ヘチ子が説明する。


「冥宮の本質は『迷わせること』だ。『真似』をするとはいっても、それは元通りのコピーではあり得ないのだろう」

「じゃあジャンプの立ち読みも出来なさそうだな」とつぐね。

「単独行動して迷わされるなよ。引き返しても、来た道とは違う風景が続いているはずだし、そもそも私が扉をつくらないとここから出られないからな」

「おれの命はお前の気持ちひとつか」

「せいぜい機嫌をとっておくんだな」

「へいへい。そういや空の色も妙だぜ。夕暮れ時みたいな――おああッ危ねえ!」


 つぐねがその場から飛び退く。同時にヘチ子の腕を引っ張って下がらせるのも忘れてはいない。

「どうした」ヘチ子が腕をさすりながらいう。

「『どうした』っていわれると説明に困っちまうな……何だこれ」

 つぐねは地面を指さしている。

 甘ずっぱい香りと果汁が足元に飛び散っている。どうやら青い林檎だったものらしい。

「ど……こから落ちて来た?」

 上に林檎の木がある、という訳ではもちろんない。

「いやとっさだったから……本物だし新鮮だぜ」

「食うな、拾ったものを」


 始め二人は周囲の家から投げられたものかと想像した。しかしそうではなかった。

 観察していると、果物はあちこちで落ちては砕けている。空には帚星。あの流れる星が果物なのだ。


「ンな阿呆な」

 とつぐね。ヘチ子の答えは単純だった。

「ここは冥宮だからな」

 雑踏の音が形をとって歩くような場所のこと、星が果物になって降りそそいでも不思議ではない。

「どんな世界だよ。これも赤マフラーの意識っつうのを反映してこうなってんのか?」

 つぐねが辺りを見回しながら声を落とす。犯人が近くに居るかもしれないと思い出したらしい。

「恐らく近くには居ないから平気だ」

 とヘチ子。「犯人はともかく、連れこまれた男はこんな異常に出くわしたら騒ぐはずだからな。その気配がないという事は、すでに遠くへ行っているのだろう」

「おい、ヘチ子――」

 周囲を探索していたつぐねが声を掛けてくる。何か見つけたという合図だ。少し離れた家の前もボンネットのひしゃげた車がある。近くに果物が砕けていた。ガラス片も飛び散っている。

 フロント硝子に果物の直撃を受けたのか、それとも別のもの、例えば人がぶつかるなどしたのか。それは判断がつかない。多分両方ではないかと二人は結論づけた。


「こっちも見ろよ。グロ注意だぜ」

 つぐねが別の地面を指さす。砕けた柿の実のなかに、種とは別のものが混じっている。血と、剥がれた爪が一枚。

「……犯人のものだと思うか?」ヘチ子が意見を求める。

「たぶん。形からいって男のモンじゃなさそうだ。バカ息子もシバかれてたらしいし、ここで争いになったんだな。で、逃げた。ぜんぶ俺らが入ってくる前にな」

「赤マフラーはそれを追っている、か」ヘチ子も頷く。

 周囲をさらに探すと地面に血痕を見つけた。これを辿って行けば赤マフラーまで辿り着けそうだった。


「当たる確率は低そうだが、対策はしておこう」

 追跡を始める前に、ヘチ子が紙を取り出してヴェールのようなものを切り出した。それを頭に羽織る。

「これで果物が落ちて来ても大丈夫だ。落下の衝撃はこの領巾ヴェールの中を『迷って』緩和される」


 そう説明してヘチ子は同じものをつぐねへ配った。

 冥宮の本性は迷わせること。ならばそれを扱う冥宮師も同様のことができうるのである。


「行こう」

「楽しくなってきたなあヘチ子」

「まあな」

 二人は血痕を辿りはじめた。



 やがて小学校の校舎へたどり着いた。

 ブラスバンドの練習が歪んで聞こえる。校内に人影はない。誰かが演奏しているわけではなく『物真似』の類いらしい。


「入るか? ぶっ壊すか?」

 つぐねが張り手を構えた。そのとき上から声が聞こえた。女性の声で「お前のマゲもう真っ赤っかじゃねーか」という用途不明の雄叫びだった。

「……どういう人生の局面になったらあんなセリフが飛び出すんだ?」

「――屋上だな」

 声の響きからヘチ子が断定する。

「ファーイ(FIGHT)」

 二人は駆け出す。

 すぐに非常階段を見つけて昇っていった。

「ドッソイ!」

 扉を吹き飛ばして屋上へ飛びこんだ二人が目にしたのは、黄色ジャンパーの男とガンマンのように向かい合う少女の背中だった。

 音に気づいた少女が油断なく振り返る。

 その林檎Bの瞳とヘチ子の瞳がぶつかった。


 視線の絡み合った一瞬、二人のあいだに何かが生じたが、後々になっても二人はそれをはっきりと名づけることができない。

 それは凡庸な者なら運命と呼ぶ何かだ。

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