第8話 1-8_色色との交渉(暴力)「あれ男だぞ」



「うめえ~。たまに食うと旨えなあベイクドモチョチョ。ちょうど焼きたて買えたしよ~ベイクドモチョチョ」

「今川焼きもほどほどにしておけよ。これから荒事になるかもしれないんだからな」

「交渉(暴力)」


 大判焼きを食べながら二人はバカ息子の仲間たちを探した。

 彼らには縄張りがあり、いつも決まった場所にたむろしている。縄張りはステッカーや落書きで判別できた。


 彼らは古い言い方でいえばカラーギャングある。それらがこの河尻市で、かつて都会で流行したより後に発生して、今現在も河尻市に棲息している。本人たちは『色色カラーズ』と呼んでほしいらしかった。


 ステッカーにはまず『色色カラーズ』のロゴがあり、そのあとには個々のチーム名が入っている。これで『色色カラーズ』に所属する正式なチームであるという証拠になる。

 例えば『色色シルバー・ポールズ』『色色スカー・プラチナ』のように。

 チーム間での抗争は禁止されている。

 一応、彼らは『色色』の中で争いを避けるようなルールを設けていて、それが良い方には作用しているといった状態である。久我がいっていた『薬物の使用禁止』もそのひとつである。


「たのもーう」

 つぐねがニコニコ顔で挨拶すると『シャーク・ブルー・ムーン』のメンバーは一斉に嫌な顔をした。


 そこは商店街の外れの、数年前から空き店舗になったままの元バイク屋だった。

 あまり素行の夜露死苦よろしくなさそうな若者たちが店の前に集まっている。 バカ息子が在籍しているはずのチームである。

 今のところ彼の姿はない。


「おーう。元気に悪事やっとるかねメンバー」

「やってねえよ」

 『シャーク・ブルー・ムーン』のうちの誰かが憎々しげに呟く。五人いる男たちは皆、つぐねから距離をとって近づこうとしない。

 一方彼らの連れの女の子たちは陶酔の潤んだ瞳でヘチ子に釘付けになっている。

 ヘチ子本人は我関せずといった様子で、食べ飽きた大判焼きを紙袋へしまった。焼きたての皮の所は好きだが、大量の餡子を持て余したのである。

 それから冥宮師はいつものように沈香和紙で手遊びを始めた。


「まあちょっと集まってようだいよメンバー」

 つぐねが繰り返す。

「……なに?」

 一番年かさの、青い野球帽の男が半歩だけ近よって見せた。

 彼はもう迷惑顔を通りすぎて、虚無的な顔になっていった。

「用があるんならよ……さっさと済ませて帰ってくんねえかな。俺ら合コン的なモンをこれからしようと思ってっから。多分あの子たちもうダメだけど」


 つぐねは一向気にしない。親しげに話し続けた。


「あー。君は確かリーダーのジョーカーくんだっけ?」

「……俺はリーダーじゃねえよ」

「つうかジョーカーなんてやついねえよ!」

「いたこともねえ!」

 他の青色の若者たちが一斉にいきりたつ。


「そうだっけ? いなかった? ジョーカー? 悪いヤツらのリーダーなんてたいていジョーカーだろ。おれちょっと前にリーダーってヤツに会ったぜ」

「それ内山さんだろが……」

「つうか『ジョーカー』『やまうっさん』一文字も合ってねえよ!」

「そうそう。内山くん。あー思い出した。ここまで出てきてた」

「嘘つけボケ」

「悪いんだけどさあ、その内山くん呼んでくんない? おれらぜんぜん待つし」

「内山君オメーにやられて田舎へ帰っちまったよ!」

「あそう。じゃあお前らでいいや」

「お前っていうなコラ!」

「あと内山君にもっと興味持てよ! 内山君泣いてたんだぞ!」

「悪かった。悪かったって。おれ山内くんに何かした?」

「ウチヤマだよ! ヤマウチじゃねえ! ぜんぜん憶えてねえじゃねえか内山くんのこと」


 場が殺気立ってきた。

「ごめんなさい」

 つぐねは拘らず謝罪した。へらへらしてはいるもののこれで本気で謝っている。

「悪いことしたよ。なんなら今度果物もって謝りに行くよ。内山君ち。でも今日はちょっとだけ質問に答えてほしいんよ。内山君の代わりにさ。ほら。食うか? ベイクドモチョチョ。一口囓ってるけど。仲直りしようぜ」

 野生動物にとって食物を分け与えるというのは最大級の譲歩である。

 つぐねがそのような気持ちで食べかけの大判焼きを差し出したことは重要な点である。問題はそれが伝わらず、バカにしたようにしか見えなかったことだ。


 誰も近づいて来ない、かに見えたが一番若い少年がつかつかと歩み出てきた。一連のやり取りの間、唯一黙って睨み続けていた少年である。

「お。君は何山君かな――」

 笑いかけたつぐねの手を、少年は思いきり払った。

 大判焼が宙を舞い、餡子の断面を下にして地面に落ちた。

「タメ口かよ。あと内山君のことナメてんじゃねえぞ」


「――おい」

「バカ!」

 といったのは『シャーク・ブルー・ムーン』の男たちの方だった。彼らの間に緊迫感が張り詰めていた。だが、それだけで誰も加勢には動かなかった。

 そんな彼らへ対しても少年は怒りを向けた。

「アンタらがそんなだからこんなメスガキに舐められるんじゃないっすかねえ!」 


 その剣幕、無礼な態度に対して、仲間たちの反応は薄かった。

「おいおい……」

「やめとけ新入り」

「拾っとけ、それ。今のうちに。な?」

「取り返しつかねー事になるから、お前」

 誰もが熱のない、諦めきったような態度で腕を組んだり足を組み替えたりするばかりだった。単に恐れているというのとは違う、同情のこもった声だった。

 離れたところでは、ヘチ子が切紙へ、ふう、と息を吹きかけていた。

 つぐねはまだヘラヘラしていた。


「あらら。地面にお裾分けしちまったなぁ。ああいい、いい。次は気を付けなよ。なに? 『回転焼き派』だった感じ?」

「舐めるな、つってんだろオラ」

 つぐねが大判焼きを拾おうとした所を見計らって、少年はその菓子を蹴飛ばした。


「おい――」

 ここでようやくつぐねは声のトーンを落とした。

「――あのな、食いもんを粗末にするのはいい。無理に食おうが捨てようが最終的に土に還るわけだからな。だが、おれの食いもんを粗末にするって事はおれの命を脅かそうって行為だぞ。それはもう戦争だろが」

「つぐねやめろ。今川焼きなら私のがある」

 ヘチ子が一応の制止をする。

 しかしそれは諦めた切った口調で、一声かけただけで義理は済んだといった様子で完成した切紙を羽ばたかせたりし始めた。女の子たちが口を開けてそれを眺める。


「戦争上等だよ! オラこれは内山君に習った開戦のエルボー……」

 少年が先に仕掛けた。が、彼は口上を言い終えることすら出来なかった。内山くん自慢のエルボーも不発に終わった。


 先に、つぐねの掌が少年の胸を突いていた。

 音もなく、衝撃があったようにも見えない。にも拘わらず少年の動きが止まっていた。

「エル……ボー……」

 そこへ奇妙な問いかけ。

「ヒソカ好きか? HUNTER×HUNTERの。ピエロでもいい。つまりもみじマークより格好つくだろって話だけど。この後合コンだろ?」


 謎の問いかけの後で、打撃の音が響いた。

「アバーッ!」

 胸を突かれただけのはずの少年が、横面を張られたかのように吹き飛んだ。まるで見えない巨漢が張り手をくれてやったような絵面だった。

 つぐねは何も動いてはいない。


「おえ? え?」

 少年がたたらを踏む。

 何が起こったのか分からない様子だった。

 右頭部を気にしているのは、確かにそこに衝撃を受けた証だった。

 さらに奇妙なことが起こりはじめた。

 少年の右目の下が見る間にうっ血して、スタンプを押したかのような綺麗なダイヤ型になった。青アザである。


「な? 張り手の跡じゃ格好つかねーだろ? あれ? でもヒソカってダイヤマークじゃなかった気がしてきたな。だとしたらすまんな」

 原理の説明はいっさいなかった。代わりにとどめの脅しを加える。

「まだやるか? 次は乳首をハートマークにしてやろうか」

「やめて、それはマジでやめて」

「分かったら踏んだヤツ拾え」

「拾います」

「拾ったらそれおれに食わせろ」

「拾ったら食わせます……えっ?」

 ひしゃげた大判焼きを持ったまま少年は困惑する。

 つぐねは繰り返した。

「おれに食わせろ」

「えっえっ?」

「お前がやったんだからお前が食わせんだよ」

「いえ、これ地面……あわっ……」

 つぐねは舌をてろりと出して待ち受ける姿勢になった。

「ほらここ入れろ」

 ここで初めてはっきり目が合う。

 途端、少年は感電したように視線が離せなくなる。壊れた蛇口のようにドーパミンが分泌され、膝が抜け、心音が暴れ回った。


 四方宮しほうみや継禰つぐねの大きく輝く虹彩には、色斑むらがある。そのせいで無数の光が瞬いているように見える。加えて、左目の下に泣きぼくろがあって、これら二つが魔術的な働きをする。

 詳しい原理が解明されることは永遠にないだろうが、昂然と輝く瞳と、その衛星のようなほくろの精妙な配列が、見合った者の視線を激しく揺さぶるらしい。この視線の揺れが脳に対して、いわば視覚的ドラッグのように働く。

 被害者いわく、それは恋に落ちたような錯覚に陥るのだという。というより「自分の場合は本当の恋ですけどね」と皆が口を揃えるのだった。


 顔相師によるとこれは『銀杏落とし』と呼ばれる傾国の相の一つで、希有ではあるが一族衰退の兆しとして忌むべきとされているそうである。

 つぐね本人は鏡を覗いても何も感じることはなく、顔相師の話も半分ほどしか信じていない。『また一人男の人生を迷わせてしまった』などと楽しんでいる所もある。


 内山式エルボーの少年もその様になった。

 これも不思議なことだが『銀杏落とし』の威光の及ぶ対象はなぜか男性に限定されるのだった。


「あ……ああああッ! 俺、俺ェ!」

 少年の痙攣する手が無意識に大判焼きを握り潰した。そこでようやくヘチ子が止めに入った。

「もういい。さすがにそうなったら食えないだろ」

「え? おれ舐めるけど?」

「やめろ」

 それが合図だったみたいに『シャーク・ブルー・ムーン』の先輩も走ってきた。三人が少年を保護。年かさの男が、つぐねに手打ちの品を差し出した。


「カントリーマアムだ。これで勘弁してやってくれ」

「あそう?」とつぐね。「なに催促しちゃったみたいで悪いなあ」

「……用があるなら早くいってくれ」

「用? 用って何だっけ?」

「うそだろコイツ……」

「『バカ息子』の事だ。ここのチームに所属していたはずだろう?」

 ヘチ子がしかたなく説明して、彼らにバカ息子の画像を見せる。

 なお、彼女の後には匂いに釣られる蟻のように女の子たちが列を成していた。


 ヘチ子はバカ息子の最近の動向。ナンパした相手の話をしていなかったか。他の仲間で類似の事件はなかったか。などを訊ねた。

 男の答えは短かった。

「ぜんぶ『ねえ』だ」

「何?」

「てめ、協力する気ねえってか?」

 つぐねが脅しにかかる。

 男は落ち着いて説明をつけ加えた。

「違えよ。こいつら破門したからよ」

「破門て。ヤクザ気取りかよ、理由は? こいつ何かやったのか?」

「素行が悪すぎる。連れの車のパーツ盗んだりよ、俺の姉ちゃんの風呂覗いたりよ、話題が万引き自慢とかだったり、で、何かあるとチームのせいにして逃げるし。そんなヤツと一緒にいたくねえじゃん」

「それはそう」とつぐね。

「だから破門。最近は顔も見てねえ。つうわけで何も話せることがねえ」

「盗みに覗きねえ。クスリは?」

「そもそもこの街に売人はいねえよ」

「てか、ホントに仲間じゃねえの? 庇ってんじゃねえだろうな? もしそうなら見当違いだぞ、おれらは――」

「疑うんならアイツの住所でも親の職場でも何でも教えるよ」

 男が嘘をついているようには見えない。

「マジで何も知らない?」

「知らねえ」

「情報が古かったか~」

 つぐねが大げさに肩を落とす。

 ヘチ子も溜息をついていた。

 男は話を打ち切りたいようだった。

「訊くことねえんならもう行けよ。カントリーマアムもうねえし」

「ねえか~。んん~」

 つぐねがヘチ子へ視線を送る。ヘチ子はもう引き返す素振りを見せていた。


 彼らを脅してマフラーと和服コートの人物――『方屋開口かたやかいこう』を探させるという方法もあるにはあった。

 しかし、情報漏洩や人違いなどによる被害を憂慮して二人は目撃情報を募るだけに留めた。『それも見たことねえ』という返事だった。

 結局、何かあったら報告するよう男どもへ行ってから、二人は収穫のないまま引き返すことになった。



 二人の厄介者が去った。あとには半壊したチームだけが残った。野球帽の男は深い深い溜息をつく。


 今夜バーに誘おうと思っていた女の子たちは、ヘチ子の去った方角を見つめ両手を合わせたまま動こうとしない。今彼はひとつの宗教の誕生を目撃しているのだ。

 さらに、なかなか根性があると一目置いていた新入りは、印付きにされて、いまや魂が抜かれた状態になっている。


「何なんすかあいつ……アレぇ!」

 ダイヤマークの少年はへたりこんだまま叫んでいる。

「なんか……なんか俺ぇ……! 我慢できないッスよォ! これェ? これなに? 俺どうなってんすかこれえ!」

「お前、食いもんがあったからこんくらいで済んでんだぞ」

「忘れろ忘れろ。あらゆる意味でやめとけ」

「あんなもんシャブ中のチワワに力士のパワーを与えたみてえな生物だぞ」

 仲間たちがなだめるとも慰めるともつかない態度で言い聞かせにかかる。

 少年は悶えながら、這って野球帽の足元へ近づいて来る。


「一応訊くんすけど、バカ息子のことで何かあったらあいつに連絡するんすか?」

「……そん時はお前が伝言役するか?」

「えっ。まあ……えっ。やってもいいすけど……あ。あやります」

 といって、少年は手の中で潰れた大判焼きに今さら気づいたらしい。つぐねの食べかけだったものを見つめて、彼は今にもそれを貪りはじめそうな気配だった。

 野球帽の男はもう一度溜息をつくと最後の忠告を与えた。

「あれ男だぞ」

「嘘だ!」

 もうその声で手遅れだと分かった。

「もう駄目だなこいつ」

「その気持ち錯覚だぞ」

 他の仲間たちが集まって来ては彼の様子を見て諦めたように首を振る。

 実際ダイヤの少年はもうダメで、彼らの縄張りにはしばらく少年の懊悩する声が響き続けた。

「でもぉ! だとしてもぉ! この気持ちにウソはつけねえからぁ……! 俺のこの気持ちだけは本物の恋だからぁ!」


 野球帽の男は死んだ目で遠くを見ていた。

 実は赤マフラーの妙な女について、噂程度でなら聞いたことはあった。が、この事については絶対に口に出さないようにしようと心に誓った。

「だってもうあいつらにもう関わりたくねえもん」

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