第6話 1-6_かるら座「レッドマフラー・キモノコート・ガール」



「ヘイヘイ。来たよ美人さんたちが」

「あんた達、うちで出演するって件考えてくれた? 役者じゃなくていいのよ。特にヘチ子ちゃん。あんた演技へたくそだから」

「いい体幹してんねえ! 何かやってんの?」

「ちょっと私のマスカット色の靴が片方ないんだけど。探すの手伝ってくんない?」

「どいてどいて熱いの通るよ」

 『かるら座』のバックステージは、開演前という事もあっておそろしい騒がしさだった。

 押し合いへし合いする劇団員とスタッフ、その怒鳴り声に近いやり取り、汗と化粧、湿布にマニュキュアかあるいはペンキの臭い等が充満している。

 『かるら座』は役目での見回りのルート上である。

 顔見知りの劇団員たちが本番前の高揚した精神状態で次々押しかけて来る。世間話の苦手なヘチ子はすでに心をくじかれたのか能面のような顔になっている。「つぐね、つぐね」と繰り返すのは「変わって対応してください」というほどの意味である。

「お姉さん方に聞きたい事あって来たんだけどね……お兄さんだったわ」

 つぐねは用件を伝える。それから、混雑の中、劇団員か、劇場関係者か、あるいは知らない誰かに、いつの間にか握らされていた豆菓子に気づいて、それを食べた。

 もちろん冥宮の話は伏せて、人を探しているとだけ伝えた。被害者であるバカ息子の画像を見せ、事件の日付にも留意してもらった。

「お兄さん、これ。こいつ。この日か、前日とかでもいいけど見た人いる? その時どんなやつが一緒にいたかとか、どんな様子だったかとか聞けたら最の高なんだけど」

「なになに?」

「何か人捜しだってよ」

「借金? 女関係?」

「どっちでもねーよ」

 子犬のニューロン並に活発な劇団員たちによって、質問はすぐさま小屋全体に伝達された。ややあっていくらかのメモ書きになって返って来た。いわく――、


「知らない」(劇団員A)。

「開演時間を過ぎている」(常連の『ヤジ飛ばしすだれハゲ』)。

「↑ 過ぎてねーよ」(劇団員の娘)。

「カラーギャングがナンパしてて迷惑」(タダ見の芸大生)。

「久我ちゃんの電話番号教えて下さい」(劇団員B)。

「四方宮くん、連絡待ってます」(出入り口にいた男A)。

「カナンさま。私です」(セーラー服の少女A)。

「客が立ち小便をして困っています」(劇場スタッフA)。

「すみません、監視カメラぜんぶダミーです」(劇場スタッフB)。

「ビニールテープ買ってきて。白いヤツ」(劇団員C)。

 それに、誰かが探していたマスカット色の靴は屋根裏で見つかった由(なぜか田植えのように垂直に立った状態で発見された)。

 以上。


 要するに収穫はなかった。

 バカ息子が消えたと思われる時間帯に異変はなかったか訊ねてみたが何もなかったという。例えば争う声だとか、停電だとか、Wi-Fiが止まったとか、あり得ないが局所的な地震だとかを期待したが、そういったものも起こっていない。

「ロクな情報がねえな! 最後の方のはただのお使いのメモだしよぉ!」

 つぐねがメモ用紙を投げ捨てた。そんなところへスタッフの一人がビニールテープ(黒)をなぜか大量に抱えて近づいて来て有力かもしれない情報をつけ加えてくれた。

「テープ探すついでにもっかい聞いてきてあげたよ。ロクな情報かは知らないけど、なんか見たってヤツがいたよ」

「まじ? どんな? どこ?」とつぐね。

 親切なスタッフさんは答えて、

「二階で煙草吸ってる照明係。今上にいたから訊きにいってみたら。僕は会いたくない」



「見たよ。迷惑な客って俺の中で有名なヤツだからね。客ですらないけど」

 照明係の男ははっきり、そう証言した。バカ息子を目撃したという。しかも冥宮事件当日のことである。バカ息子の写真を見せて確認したが間違いないと言い切った。

「どこ? どこで見た?」

「ここから――あっち」

 男が指さす。二階の窓からは『かるら座』横の隘路が見える。方向的にも、バカ息子が発見された場所と近い。

「あいつら迷惑してんだよ。たむろして客にちょっかいかけるし万引きしてきたトレカ捨てるし吸い殻捨てるし。あ、俺はちゃんと持って帰ってるよ。吸い殻。禁煙だけどね。ここ」

 照明係の男は、物置部屋の窓を開けて何だか変に甘い匂いの煙草を吸っている。

 バカ息子を見た日も、ここで隠れて喫煙していていたらしい。

「バカ息子と一緒に誰かいなかった?」

 引っ張っても突いてもヘチ子が無言を決めこんでいるので、つぐねが尋ねる。ヘチ子は後ろ手にうまい棒の賄賂を渡してきた。

 妙にへらへらした男は答えて、

「俺はね、ロリコンとかじゃないんですよ。けど、つい目が行っちゃったっていうのは『センスいいな』って格好だったからね。洒落者っていうか」

「うむ。意味が分からん。続けて?」

 うまい棒を両手で押しつぶしながらつぐねは先を促す。割れたやつが好きなのだ。

「あれナンパだったのかな? 女の子の方も自分からついてった感じだったな」

 要するにバカ息子のナンパを目撃したのだという。

「女の子?」

「そう女の子」

 ヘチ子が目配せした。つぐねも頷く。女の子が『方屋開口かたやかいこう』を唱えた人物だとは考えにくい。

 『方屋開口かたやかいこう』の口上はテレビ中継で取り上げられるわけでもない。客を入れるでもないマニアックな儀式である。その口上を女の子と言われるような年齢の子が知っているだろうか。

「若い女だったんだよな?」

「そうだよ。俺は断じてロリコンじゃないけど、判別わかるんだよね。コート着てても歩幅の感じとか足首の感じとかで年齢とか体型が分かる。その子は高校生くらいじゃなかったかな」

「きしょ」とヘチ子。

「え。何かいった?」

「何も」

「なら安心」

 男は甘い煙草をくゆらせて頷く。

「あー着いて行ったとしたら、そのあとの事件を目撃しているかもしれないな。見てるかもしれない」

 ヘチ子がぼそぼそ呟く。独り言に見せかけた、つぐねへの催促である。劇団員のいったとおり演技は絶望的だった。

 二本目のうまい棒の賄賂をつぐねは受けとる。

 彼はそれをまた潰しながら男に尋ねた。

「その女の子の特徴は? いや。あんたがロリコンじゃないことはマジ理解してるけど」

「真っ赤なマフラー」男は答えた。

「マフラー」

「それにあのコートは着物を仕立て直した物だと思う。ポケットをたくさん縫い付けてて、そこにいろいろ入ってる感じだった。重さで地面へ引っ張られるみたいになるから分かるんだな。遠目で柄は判らなかったけど、たぶん男物。お爺ちゃんか誰かのお下がり。おじいちゃん子なんだね、きっと。性格は気の強い方。でもしたたか」

「待った。性格って声も聞いたのか? 話してる内容がここまで聞こえた?」

「歩き方とか仕草で分かるんだよ。俺は。体脂肪率も多分当てられるよ」

「あ、そう。顔は?」

「顔はマフラーとかニット帽で見えなかったけど、不細工ではないはず。むしろ逆だろうね。分かるんだ」

「はい。後は、えー……何か気づいた事とかは? 特徴的な仕草とか、あ、あと髪の色とか。日本人だよな?」

「だね。骨格的にも。髪は黒か染めてない渋皮色。長くはない。男たちに対しては素直についてく感じだったな。でもうわついた感じでもない。ナンパっていうよりクスリの売人みたいな印象あったな。そうなのかい?」

「違う……よな?」

 つぐねは振り返って確認するが、ヘチ子は答えなかった。眉間のわずかな皺に、もうこの男の前から立ち去りたいという気配がありありと現れている。

 きょしょい男はなぜか上機嫌になって続けた。

「――あと、ちょっとだけ足を引きずるような感じはあったな。そしてそれを隠してる感じだった。どっかで転ぶとかしたんじゃない? 多分足首は細くて小さいと思う。あ。煙草もう一本吸うね。煙草じゃないけど」

 男から聞き出せたのはこれだけだった。二人は礼をいってその場を後にした。

 念のため『レッドマフラー・キモノコート・ガール』の目撃情報を募ってみたが、劇場での目撃情報も得られなかった。

「この辺り、そのくらいの格好のした人結構いるからねぇ」

 と掃除のおじさん。

 そういうおじさんの背後を、和服のドイツ系学生と、天狗そっくりの格好をした赤ら顔の男が通りすぎていった。チワワがその後に続く。

 近所に芸術大学の寮があるのだった。

「……まあ全部の芸大生がイカれた格好してるとは分からんけど」

 とつぐね。

 こうして二人は『かるら座』周辺の調査を一旦終えた。

「まあ、この変じゃなきゃ目立つ格好だし、それらしいやつの存在が分かったのはデカいよな」

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