第5話 1-5_冥宮調査二日目。犬の肉球の小冥宮



「どすこい」

 次の日、二つ目の〈小冥宮〉を発見した。これは予想外のことだった。

 切紙の扉を開くと、冥宮の中から辛うじて犬に見えるものがトコトコ近づいて来た。質感は砂でつくった像である。

 つぐねが張り手見舞うと、そいつは排気ガスやコールタール、ガムの噛みカスの臭い、それと犬の肉球の臭いになって霧散した。

「冥宮できるペース早くねえか? それも同じ地区でよ――あ、コレくっさ。でも癖になる臭さだな……くっさ」

 昨日の〈小冥宮〉は『バカ息子発見現場』近くで発生していた。そして今回の小冥宮も同様だった。

 ヘチ子は少し考え「バカ息子を呑んだ冥宮の影響かもしれないな」といった。昨日から考えていたことなのだという。


 この日、二人は二つのプランを立てて調査へ赴いていた。

 一つ目は『かるら座』で目撃情報を探すこと。事件の日にバカ息子と、それに『方屋開口かたやかいこうの人物』を見た者がいないか聞いてみるつもりだった。

 二つ目は、『バカ息子発見現場』とその周囲も、もう一度調査しておくことだった。

 先に『バカ息子発見現場』を見に行こうとして、その途中で〈犬の肉球の小冥宮〉を発見した次第なのだった。

「やはり通常の冥宮事件とは別に考えた方が良いのかもしれない」ヘチ子がいった。

「はい次、次。次行こうぜ。とりあえずバカ発見現場まで」これはつぐねだ。



 バカ息子発見現場へ到着した。

「変化はない、前より痕跡が薄くなっている程度」ヘチ子が断定する。

「……なあ。さっきいってた『犬の肉球の小冥宮がバカ息子の冥宮の影響でできた』みたいなこといってたろ? あれどういう意味よ?」

 しばらくしてから、つぐねはそう訊ねた。ヘチ子の触診のあいだ、考え続けていたらしい。

 ヘチ子はちょっと思案した後、その場にしゃがんだ。それから彼女は、和紙を地面に敷いた。この時点では皺ひとつない、平らな紙面である。


「この紙を私達のいる空間だとする。そして、そこに何らかの原因で力が加わると――」

 ヘチ子は紙を握り潰した。それからまた丁寧に広げ直した。皺だらけの紙が地面に置かれた状態になった。

「力が加わった結果――このように空間は歪むことになる。歪みが少しなら紙としての機能は問題ない」

 ヘチ子は仕草で文字を書いて見せた。

 確かに、小さな皺ができた程度では、キャンバスとしての機能に支障はない。

「文字が判別不能になる訳じゃないもんな」つぐねも納得した。


 ヘチ子は頷いて続ける。


「だが小さな皺ができた。この皺の谷間は、文字の側――つまりこのキャンバスという空間で生きている私たちのことだ――からは察知できない。キャンバスの機能とは関係のない方向へ刻まれたヒダだからだ。二次元の『キャンバス人間』には、三次元方向へ向かうヒダは感覚できない。分かるか?」

「おお」とつぐね。「次元を一個減らして喩えてんだな。物理の先生か? てめーは」

 ヘチ子は軽口を無視して続ける。

「この『感覚できない谷間』が冥宮といえる。このヒダの谷間には、ごくわずかであれば、小さな物質、あるいは概念的なものまで、しまいこんでしまえる。例えば『犬の肉球の臭い』だとかを」

「おん」とつぐね。

「――が、自然発生する程度の谷間に、人を呑むほどの奥行きはない。小さいから比較的簡単に発生する。同様に、小さいからすぐに自然修復されてしまう。〈小さな冥宮〉とはその程度のものだ」

 それを一応修正するのが、現代いまの自分たち仕事である、と彼女はいう。

「なるほど。完全に理解した」つぐねが頷く。「いや、ホントに」

 ヘチ子は続けて、

「では、人を呑むほどの谷間――つまり〈大冥宮〉の場合はどうか? これには大きな力が要る。どれくらいの力かというと、天変地異だとかのレベルだ。大地震で地下に冥宮が発生した事例がある」

「地震って原爆何個分とかのエネルギーって話じゃなかったか?」

「つまり、それくらいの力が要るという事だ」

「それってガンダム何個分?」

「知るか。話を戻すぞ。〈大冥宮〉の発生には強い力が必要になる。それ同時に修繕が難しいということでもある」

「皺がデカすぎるわけだ? 地震で出来た断層みたいに」

「うん」

「てことは〈大冥宮〉は普通発生しないはずなんだよな?」

「そう。これは言い伝えに過ぎないが、そもそも冥宮の起こりは、遙か古代に起こった大規模な歪みのせいだといわれる」

「『歪み』っつうと今の例えでいう『皺』のこと?」

「小冥宮の皺とは比べものにならない、という意味で歪みといった。とにかく地震だとかよりもっと大きな衝撃のせいで、巨大な冥宮が複数発生してしまったのだな。以降に発見される冥宮は、すべてその最初の『歪み』から生まれた余波しわよせに過ぎないのだという」

「言い伝えだろ?」とつぐね。

「言い伝えだな」とヘチ子。「だが、現に冥宮の発生と規模は、波が静まるように減って来ている。最初に何かがあったのは事実だと思う」

「ほーん」つぐねは少し考えていう。「……でもよ、それなら今回の〈大冥宮〉はなんなんだ?」

「そこだ」とヘチ子。


「バカ息子を飲んだ冥宮はデカい冥宮の筈だろ? でもその〈宮隠し〉事件の前に天変地異なんか起こってねえぞ。大地震も竜巻もガス爆発も、あとたぶん太陽コロナとかもよ。冥宮ができるための力がねえじゃねえか」

「だから有り得ないと最初はいった。しかし〈大冥宮〉が現れたのは事実だ。それれは私が確認した。だからその原因は調査する」

「雲を掴むみたいな話だな」

「それで最初のお前の質問に答えるが――」ヘチ子が立ち上がった。説明が終わりに近いという事だろう。

「質問って何だっけ」と当のつぐねがいう。

「昨日今日の小冥宮は『バカ息子の冥宮』の余波じゃないかと私はいった」

「そう。それな」

「……真面目に話して損したな」

 ヘチ子は憮然とした顔になった。これも身内以外には見分けられないわずかな表情の変化である。

「まあ、おれが話聞かねえのはいつものことじゃん」

「自分でいうな」

「まあとにかく話は理解したぜ。『肉球の小冥宮』とかはバカ息子の〈宮隠し〉事件の余波だったって事だな。古代のデカい歪みのときみたいに」

「規模では比べものにならないだろうがな。それに被害者はバカ息子以外にもいたらしい。ということは、それぞれの〈宮隠し〉の後にも小冥宮は発生していたのかもしれないな。あまりに小さい冥宮だから、私たちが見回る前に消えてしまったんだ」

「また久我ちゃんに小言いわれちまうかな」

「いわせないさ」とヘチ子はいった。

「でもよ。そうなると根本の〈宮隠し〉がどうやって起こったのかって謎が残るぜ」

「そうだな」

「地震、竜巻、カミナリ。でかい冥宮が生まれるような力は働かなかったはずなんだよなあ。何かあるとすりゃあ――」

「『方屋開口かたやかいこう』」ヘチ子が引き取っていった。「けっきょく、この人物を探すしかない」

「そうなるかあ」

「それしか手がかりがない。『方屋開口かたやかいこう』が犯人なのか目撃者なのかは不明だが。〈大冥宮〉が現れ〈宮隠し〉が起こったのなら、その場にいた『方屋開口かたやかいこう』が何を見たはずなんだ。とにかくそれを知るべきだ」

「バカ息子の方からは久我ちゃん何も聞き出せなかったっていうしな。他の被害者も同様なんだろうな」

「久我なりに、すでに調べたみたいだからな」

 そういいながら、ヘチ子はすでに歩きだしている。

 二人が目指すのは、この日のもう一つの目的地。劇場『かるら座』である。

「『かるら座』かぁ~。お前あそこの人ら苦手だろ? だいじょうぶ?」

 前のヘチ子からは「お前に任せる」という返事。

「出たよ内弁慶」

 つぐねも立ち上がる。尻についた砂を叩きながら、彼は思いつきを口にする。

「でもよ、そもそものまたそもそもの話だけどよ。大昔の超でかい歪みってのはどうやって発生したんだろうな? 地震とか火山活動とかの影響が何千年単位で残るもんかね? 原爆とか現代の震災でさえ大した冥宮は創らなかったわけだろ? それくらいで創れてたら、冥宮が枯れたりしてねえはずだもんな。一体最初にどんだけの事があったんだろうな」

 ヘチ子はやや歩幅を落として考えたあと「想像もつかないな」といった。

 それは人知を超えている。


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