第3話 1-3_剪紙冥宮(フリル)



「早く帰りたかったのに面倒な事になった」

 久我が見えなくなっても、ヘチ子はまだ文句をいっていた。

「焦んなよ~。おら作戦会議しようぜ」

 つぐねがいった。相棒の機嫌を取るような人格でもない。自分が座りたかったのだ。二人は駅前広場のベンチを確保する。

 周囲の商店は、どこもクリスマス商戦へむけて飾り付けが進んでいた。クリスマスはまだまだ一ヶ月半以上も先だが。


かおるが体調を崩しているというのに……」ヘチ子はなおもボヤいている。

 馨はヘチ子の義理の弟にあたる少年である。

 ヘチ子は丿口へちこう家の養女である。その丿口へちこう家と四方宮しほうみや家の関係は長い。

 ほとんど血族並みの付き合いで、実際、ヘチ子とその義弟、かおるの世話は、四方宮家の親がみているような状況だった。つぐねの方でも馨を弟同様に扱っていた。

「ただの風邪だろ? 心配ねえよ。今オカンが看てるし。お前一日中馨にメッセージ送りまくってんだろ。やめとけ」

 ヘチ子はまさに携帯端末を確認している所だった。

「ただの風邪? 人類が今だ撲滅できない病の王を『ただの』といったか?」

「ものは言い様だな。じゃあもう今日は必須のことだけやって終わりとしようぜ」

「当たり前だ」

「へいへい。ただ腹ごしらえが先だな」つぐねはキッチンカーを見つけて近づいていく。「へいマスター。『果実の宝石箱御無体スペシャル~まだ見ぬ春を夢見て~』二つ呉れい」


 クレープを手につぐねが戻ると、ヘチ子は端末で事件の資料を読んでいるところだった。

 宮隠しの被害者の画像。所属集団。検査結果。発見時の状況などが久我から送られて来ていた。


「苺にメロンに、これマスカットな。トマトじゃねえぞ。あと無花果いちじくのジャム。これおれ好き」つぐねは丁寧にも、クレープの具について逐一説明を加える。

「うん」

 といってヘチ子は受け取り、クレープの端を噛んだ。パールのような綺麗な歯並びが一瞬ジャムに染まった。

 つぐねもクレープの一番甘いところを一口で頬張った。

「これ事件の?」

「うん」ヘチ子は記事の要点を読み上げた。「だいたい久我の説明通り。ただ検査で異常なしとはいっても、暴行を受けた形跡はあるそうだ。特に目を狙って何かで殴打されたらしい」

「それ〈冥宮〉と関係ある? ただのケンカじゃねえの?」

「それと〈冥宮酔い〉の状態で繰り返し呟いてた言葉があるらしい」

「どれよどれ」

「おい気をつけろ、クリームが落ちる」

 ヘチ子が画面をスクロールさせ、該当箇所を見せてやった

 それは、どうやら被害者の証言を文字に起こしたものらしい。


  てんち、あけはじめてより※※※

  ※※※これをかちと※※※

  ※※※※※※これをなすはひとなり。


「ほとんど読み取れてねえじゃん。音声の記録とかねえの?」

「ない。保護した際に発見者と警官が聞いただけの言葉だからな。意識が戻ったバカ息子は自分でいった事を憶えていない」

 資料には「祝詞のようなものかもしれない」と久我のコメントがついている。


「祝詞ねえ……」思い当たる事があるのか、つぐねは大きな目をぐるりと回している。が、やがて「分かんねえな」といってクレープの尻尾ヘタを口へ放った。

 ヘチ子はクリームに苦戦しながら鳥のように食べている。食べやすい角度を試行錯誤しながら、彼女はいった。


「祝詞にしろ何にしろ、バカ息子の語彙にあるはずもない言い回しだ。多分、事件の際に別の誰かが口にした言葉をオウムみたいに反芻したんだと思う。久我のいった『人の関与』とはそういう意味だろうな」

「犯人がいて、祝詞唱えてからバカ息子ぶん殴ったってことか? なんじゃそりゃ。で、それから〈宮隠し〉が起こった?」

「祝詞なのかは不明だが」

「犯人は神主か坊さんだな」

「そんな短絡的な話があるか」

「じゃあどうする? 犯人探すのか? 今日はもう無理だぜ」

「いや」ヘチ子は果物だけ食べて諦めた。クレープの残りをつぐねに差し出す。「そもそも本当に〈宮隠し〉が起こったのか確認しないとな。もし、仮にだが、万が一冥宮が発生していたのなら処理も必要だ」

「現場どこ?」つぐねはもぐもぐ訊ねる。

「聞いてなかったのか。『かるら座』の近くの路地だ」



「とりあえず、私達が冥宮の気配を見落とした、という可能性を潰しておく。まああり得ない事だが」

 そういう指針に決まった。

 駅の裏手を南へ進んだ。十数分後。大通りの向こうに西洋教会風の建物を見つける。

 『かるら座』だ。

 元々の建物は教会風だが、劇場を経営していた。それに、近づくと分かるが、その外壁は無数のネオンで飾られ、昭和のキャバレーのような雰囲気になっている。

「いつ見てもイカれたネオンの数だな」つぐねが呟く。

 二人は正面口へは向かわず、隣の細い路地の方へ逸れた。

 そこからでも、改装工事の後がおびただしい劇場『かるら座』のレンガ壁が見えた。

 隘路を中程まで進んだところで、ヘチ子が立ち止まった。

「どうした?」つぐねも足を止める。


 ヘチ子はすでに仕事を始めていた。無数の切り紙を手にしている。それが何処から現れたのかは謎である。

 その切紙は、紙風船に似ている。少女は一つ一つ、息を吹きこんでいく。

 膨らんだ切紙は、少女の手から離れても、宙に留まり続けた。

 ゆっくり回転する。美しい模様が刻んである。その飾り窓から沈香が漂う。よく見れば、それは風船より、香炉と呼んだ方が正しい。

 実際、それは師匠の丿口へちこうナミから受け継いだ切紙で銘を〈泪香炉〉と名づけられていた。


 浮かぶ〈泪香炉〉の数は十器に及んだ。

 くらげのように宙を漂い、ヘチ子が指を払うと、前方へゆっくり流れ始めた。

剪紙冥宮フリルか。今日はけっこうな数出すじゃん」

 つぐねはヘチ子の斜め前方へ位置どった。護衛の役目を果たすためのポジションである。

 剪紙冥宮フリルは切紙のことを指す。正確には〈丿口へちこう剪紙冥宮せんしめいきゅう〉という名称がある。

 それを、つぐねが勝手に剪紙冥宮フリルと呼び始め、今ではその呼び名で固定されていた。


 〈丿口へちこう剪紙冥宮せんしめいきゅう「泪香炉」〉


 十器の紙香炉は、ゆらゆらと揺蕩いながら隘路を流れ進んでいく。

 やがて空間のある地点へ到達すると、それらすべてが音をたてて燃えあがった。到達した順に、波紋のように。燃える際は、弦楽器をつまびいたような切ない音が鳴った。それが〈泪香炉〉という名の由来である。

 この剪紙冥宮フリルには、冥宮を探知する機能があった。つまり、泪香炉の鳴き消えた地点には――。

「そこ? あるのか?」つぐねが目を細める。

「ああ。そこに小さいが冥宮がある」ヘチ子も頷いて返した。


 つぐねが先に立った。二人はゆっくり近づいていった。

 〈泪香炉〉の燃えた場所には、一見なんの異常もない。ただ、沈香が強く匂うばかりである。

 ヘチ子は、その空間を手でなぞって確かめた。彼女の爪には特殊な飾り彫りを施してある。それは〈泪香炉〉に刻まれた模様と似通っていた。

「――ある、ここに」彼女はもう一度確信を滲ませた。

 そうして、またも沈香紙をとりだした。

 奏でるように爪を振るう。紙の雪が舞い、たちまち新しい剪紙冥宮フリルが切り出されていった。

 でき上がったのは、唐草に似た模様の飾り紙だった。

 ヘチ子はそれへ息を吹きかける。風に乗って、剪紙冥宮フリルはふわりと舞った。


 新たな切紙も〈泪香炉〉と同じの場所で燃えあがる。

 ただし、今度は、その場に灰が残った。地面ではなく空間そのものへ、である。

 透明な壁へ影絵を投影したような格好といえた。無論、そこは何もない空間である。

 続いてヘチ子は、灰の影絵へ爪をあてる。そのまま切っ先を縦に振るった。影絵に観音開きの裂け目がうまれた。

 それが、まるで軋むように震えながら、両側へ開いていって、ようやく分かる。

 これは影絵の扉だ。

 空間の表面に、厚みのない扉が生み出されていた。

 実在しない壁へ刻まれた実在しない扉の向こうにあるのは、当然実在しない異界である。

 つまり、これが冥宮への入り口なのだった。


「まずは成功だな」

 二人の目の前に、異界への扉が完全に開いていた。

 沈香漂う扉の向こうには、ただ、ただ白い空間が広がっている。

 まさに無で、視線のとっかかりになるものが何もない。

「さあ何が出る?」つぐねは唇に不敵な笑みを浮かべている。「――お?」

 やがて、距離感のない背景から、何かが駆けてくるのが見えた。

 それは、二人の膝丈ほどの体高しかない、何かもじゃもじゃした塊だった。かろうじて足と見える何かをせわしなく動かして走ってくる。

「……え。ちっさ」

 つぐねが攻撃するまでもなかった。

 もじゃもじゃした何かは、影絵の扉を出るやいなや、煙のように消えてしまった。砂塵が散って、その中から、人びとの呟きや、車の排気音、といった雑多な音が聞こえた。

「何これ」とつぐね。「おれ何もやってないよ?」

 ヘチ子の説明はこうだ。

「冥宮はあらゆるものを『迷わせ』る。今のは、この冥宮へ迷いこんだ街の雑踏や何かが形を成したもののようだ。まあ形のある木霊といったところか。それが冥宮から解放されて、ただの残響へ戻った」

「ふーん」

「まあ、それだけの代物だな」

「……え。終わり? これがバカ息子を食った冥宮?」つぐねが情けない声を上げる。「おれの張り手はドコに振り下ろせばいいのよ?」

 ヘチ子は、つぐねの前半分の言葉にだけ応えた。

「いや。これは事件とは関係ない無害な小冥宮だ。人を呑みこむような力は無い。放っておいても消えたはずだ。似たようなのは昔も見たことあったはずろう?」

「いや……いつもはお前がぱっぱとやって終わりじゃん」

「いつもはお前がうるさいから一人でやってるからな」

「今回も終わり? これで?」

「まだ調査はある。というか事件の現場はもう少し先だ」

「じゃあ今のは事件とは関係ない冥宮って事?」

「そういった。いや……まだ確証はない。『そのはずだ』に訂正する」

「でもよ、小っさい冥宮だってめったに出来ねえはずなのにな?」つぐねは拘らず話を変えた。

「そのはずだ」ヘチ子も頷いている。


 冥宮とは人やものを『迷わせる』ものを指す。

 それを取り除く、あるいは未然に散らせるのが、この街における二人の役目だった。

 しかし、見回りの経験からいって、今のような小冥宮すら、めったに発生しないのが普通だった。

「他を見み行こう」とヘチ子はいった。「バカ息子が発見された現場はすぐそこだ。確かに奇妙な事件かもしれない」



 結果でいうと「バカ息子保護地」に冥宮はなかった。

 しかし、〈泪香炉〉と爪の触診で丹念に調べたヘチ子は「冥宮の残滓だけは、確かにある」と診断を下した。

「つまり、事件のときには確かに大きな冥宮が発生している。そしてその後すぐに消えてしまったんだ」彼女はそういうのである。

「じゃあ、久我ちゃんのいった通りおれらが冥宮の気配を見落としてたって事? ていうかお前が見落としたってこと?」

「いや。数日前までここに冥宮なんてなかった。それは確かだ」

「ほんとお?」とつぐね。

「そもそも大きな冥宮は突如発生したりしない」

「でもしたじゃん」

「逆に、もし発生したなら、あっさり消えるようなこともない」

「でも消えたじゃん」

「だからおかしいんだ。いったいどうやって現れ、どうやって消えた?」

「ほーん」

 ヘチ子は本格的に考えこんでいる。

 一方、つぐねは気のない相づちを繰り返した。つぐねには冥宮に関する能力はまったくない。そして、その理屈に興味もないのだ。

「でもよ」と、つぐねは思いつきを口に出していく。「確か、昔は宮隠しがいっぱい起こってたんだよな?」

「それは千年も昔の話だ」

 と、ヘチ子。冥宮師の歴史は古い。しかしその役目の重要性が、世間に忘れ去られてもう久しい。

「帰んの?」

 つぐねがヘチ子を振り返った。ヘチ子は帰り支度を始めていた。

「もうここに脅威は存在しない」

「何だよ、おれまた突っ立ってるだけかよ。あーあ。昔の人らはもっとエキサイティンティンな体験してたんだろなあ」

「帰るぞ。あとティンが一つ多い」

「ティンティン」

「二度というな」

 こうして二人は事件現場を去った。

 事件に「人間の関与」があったという話については、後日調査するつもりだった。

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