第3話 1-3_冥宮調査へ「剪紙冥宮(フリル)」
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駅前の広場には、数週間も先のクリスマスの飾りと音楽とで賑わっていた。
「早く帰りたかったのに面倒な事になった」
「焦んなよ~。おら、作戦会議しようぜ」
苛立っているらしいヘチ子を、つぐねがベンチへ座らせる。
別段機嫌を取るような声色でもない。自分が座りたかったのだ。
「
馨はヘチ子の義理の弟という事になっている少年である。
ほとんど血族に近い付き合いで、実際にヘチ子と
「ただの風邪だろ? 心配ねえよ、今オカンが看てるし。お前一日中馨にメッセージ送りまくってるし」
「ただの風邪? 人類が今だ撲滅できてない病の王を『ただの』といったか?」
「ものは言い様だな。じゃあ今日は必須のことだけやって終わりとしようぜ」
「当たり前だ」
つぐねはキッチンカーの方へ買い物に行った。
「へいマスター。『果実の宝石箱御無体スペシャル~まだ見ぬ春を夢見て~』二つ呉れい」
「そんなもの、ウチにはないよ。ミックスクレープ二つね」
待っているあいだヘチ子は事件の資料を読んでいた。久我からすでにデータが送られてきている。
宮隠しの被害者の画像。所属集団。検査結果。発見時の状況などが記されている。
「苺にメロンに、これマスカットな。トマトじゃねえぞ。あと
つぐねが戻って来た。丁寧なことにクレープの具について逐一説明を加えてやっている。
「うん」
といってヘチ子は受け取り、クレープの端を噛んだ。パールのような綺麗な歯並びが一瞬ジャムに染まった。
「これ事件の?」
つぐねが覗きこむ。クレープの一番甘いところを一口で頬張っている。
ヘチ子が読み上げてやる。
「だいたい久我の説明通り。ただ検査で異常なしとはいっても、暴行を受けた形跡はあるそうだ。特に目を狙って何かで殴打されたらしい」
「じゃあケンカじゃねえの?」
「それと〈冥宮酔い》の状態で繰り返し呟いてた言葉があるらしい」
ヘチ子は画面をスクロールさせて、該当の箇所を見せる。
てんち、あけはじめてより※※※
※※※これをかちと※※※
※※※※※※これをなすはひとなり。
「ほとんど読み取れてねえじゃん。音声の記録とかねえの?」
「ない。保護した際に発見者と警官が聞いただけの言葉だからな。意識が戻ったバカ息子は自分でいった事を憶えていない」
資料には「祝詞のようなものかもしれない」と久我のコメントがついている。
「祝詞ねえ……」思い当たることでもあったのか、つぐねは大きな目をぐるりと回している。が、やがて「分かんねえな」といってクレープの
ヘチ子はクリームに苦戦しながら鳥のように食べている。クレープの食べやすい角度を試行錯誤しながら、彼女は説明した。
「祝詞にしろ何にしろ、バカ息子の語彙にあるはずもない単語が含まれているように見える。多分、事件の際に別の誰かが口にした言葉を反芻しているのだろう。久我のいった『人の関与』とはそういう意味らしい」
「犯人は祝詞唱えてからバカ息子ぶん殴ったってことか?」
「祝詞なのかは不明だがな」
「犯人は神主か坊さんだな」
「そんな短絡的な話があるか」
「じゃあどうする? 犯人探すのか? 今日はもう無理だぜ」
「いや」
ヘチ子は果物だけ食べて諦めた。残りをつぐねに食べて貰いながらこういった。
「そもそも宮隠しが起こったのかを確認する必要がある。本当に冥宮が発生したのなら処理も必要だ」
「現場は?」つぐねがもぐもぐ訊ねる。
「聞いてなかったのか。『かるら座』の近くの路地だ」
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「とりあえず、私達が冥宮の気配を見落とした可能性を潰しておく。まああり得ない事だが」
そういう指針に決まった。
歩いて行くと、やがて大通りの向こうに西洋教会風の古い建物が見えた。
『かるら座』である。
二人は正面口へは向かわず、隣の細い路地へ入った。
そこからでも、改装工事の後がおびただしい一部レンガ造りの劇場が見えた。
「いつ見てもイカれたネオンの数だな、あの劇場」
つぐねが呟いたとき、前を歩くヘチ子が立ち止まった。
通路には他に誰もいない。
「どうした?」
すでにヘチ子は無数の切り紙を展開していた。
もらった箱は手にしていない。いつどこからそれらをとり出したのかは謎である。
それは、折り紙で作った風船に似ているが、細かい模様の細工が施されている。
切紙細工の中から漂う沈香の匂いといい、風船というよりは香炉と呼んだ方が適切かもしれなかった。
紙香炉の数は十器にも及んだ。風に乗るわけもないのに、作り手の周囲に浮かんでいる。主人の動作ひとつで、前方へ向かってゆっくり流れて行った。
「
つぐねはヘチ子の横へ立つようにして、一応の護衛体勢に入った。
だがつぐねが呼ぶのを面倒くさがって、
十器の〈泪香炉〉はゆらゆらと揺蕩いながら飛んで行き、空間のある地点へ到達すると、すべてが音とともに燃えあがった。炎がどのように空気を揺らすのかは謎だ。それは弦楽器つまびいたような切ない音が鳴った。
「そこ? ある?」
つぐねが訊ね、ヘチ子が答える。
「ああ。そこに小さいが冥宮がある」
狭い路地の風景は一見なんの異常もない。
〈泪香炉〉の燃えた場所、沈香の強く残った空間をヘチ子は手でなぞって確かめている。爪に、不思議な飾り彫りを施してあった。
「ある」
と彼女はもう一度いい、またもどこかから沈香紙を取り出すと、竪琴を奏でるように爪を振るった。紙の雪が舞う。ここで切紙細工を施しているのだ。
出来上がったのは、模様ばかりの切紙に見えた。
息を吹きかけて宙へ放つと、それも「泪香炉」と同様の場所で燃えあがった。
ただし今度は、灰が散らず空間に残った。
まるで、飾切りの影が空間に焼き付いたような格好である。あるいは地場に吸い付けられた砂鉄。
空中の模様へ、ヘチ子の爪が触れる。
すると、模様へ縦に、観音開きの切れ目が入った。これは扉だ。
空間の表面に扉が出来上がっている。
実在しない壁に、現れた扉の向こうにあるのは、当然実在しない異界である。
「まずは成功だな」
淡々といって、ヘチ子はまた別の切紙をとりだす。
沈香紙に飾り切りを施したリボンだった。彼女はそれで髪を結ぶと、つぐねにも投げ渡した。
「つけないと冥宮酔いを起こす」
「おうよ。しかしおれは今日もかわいいな。世の女どもに申し訳ねえよ」
「もう行くぞ」
つぐねは端末アプリで自分を確認するなどしていたが、ヘチ子が異界への扉を開き始めると、すぐに興味をそちらへ向けた。唇に不敵な笑みが浮かんでいる。
「さあ何が出る?」
ゆっくり開いた沈香扉の向こうは何もない空間である。
距離感もない真っ白な背景の中を、やがて何かが駆けてくるのが見えた。
それは二人の膝丈ほどの体高しかない、何かもじゃもじゃした塊で、かろうじて足と見える何かを必死で回して走ってくる。
「……ちっさ」
と呟いたつぐねが何をするまでもなく、もじゃもじゃしは扉を出るやいなや、煙のように散って消えてしまった。砂塵の中から人びとの呟きや車の排気音のような雑多な音がかすかに聞こえた。
「何これ」
「冥宮はあらゆるモノを『迷わせ』る。こいつは冥宮へ迷いこんだ街の雑踏が形を成したモノ、といったところか。まあ形のある木霊だな。それが冥宮から解放されてただの残響へ戻った」
ヘチ子がそう説明した。
「え。終わり? これがバカ息子を食った冥宮?」
構えた張り手の行き所を失って、つぐねが情けない声を上げる。
ヘチ子は否定していう。
「いや。これは無害な小冥宮だ。人を呑みこむような力は無い。放っておいても消えたはずだ。それに事件の現場はもう少し先だ」
「じゃあ関係ないって事? でも小っさい冥宮だってめったに出来ねえはずなのにな?」
つぐねが不思議そうにする。
ヘチ子も同じ意見のようだった。二人の仕事は見回りがほとんどで、今のような小さな異変すらめったに起こらない。
「行ってみよう」とヘチ子はいった。「現場はすぐそこだ」
だが、現場でも冥宮に遭遇することはなかった。
ヘチ子が「泪香炉」と触診で丹念に調べたが、解ったのはここに冥宮は存在しないという事だった。だが、その残滓はある。
「つまり、事件のとき確かに大きな冥宮が発生したが、それはすぐに消えてしまった、という事のようだ」
とヘチ子が。
「じゃあ久我ちゃんのいった通りおれらが冥宮の気配を見落としてたって事? ていうかお前が」
「それはない。数日前までここに冥宮なんてなかった。そもそも奇妙なのは、人を呑むほどの大きな冥宮は唐突に発生したりしないし、もし発生したなら、あっさり消えるようなこともない。宮隠しがあったのなら、その冥宮はここにまだあるはずなんだ。いったいどうやって現れ、どうやって消えた?」
「ふーん」
気のない相づち。つぐねに冥宮を探知する力はないし、その理屈に興味もないのだ。「でも昔は宮隠しがいっぱいあったんだよな?」
「千年も昔の話だ」
冥宮師の歴史は古い。しかしその役目が歴史から忘れられてもう久しい。
ヘチ子はすでに帰り支度をしている。もうここで得られる情報は無いと判断した。処理が必要な脅威も今のところ存在しない。
「あーあ。昔の人らはもっとエキサイティンティンな体験してたんだろなあ」
「行くぞ、つぐね。あとティンが一つ多い」
「ティンティン」
「二度というな」
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