第3話 1-3_冥宮調査へ「剪紙冥宮(フリル)」



 まだ一ヶ月以上も先だというのに、駅前の広場は、クリスマス用に飾り立てられ賑やかに輝いている。

「早く帰りたかったのに面倒な事になった」

「焦んなよ~。おら、作戦会議しようぜ」

 苛立つヘチ子を、つぐねがベンチへ座らせた。

 別段機嫌を取るような声色でもない。自分が座りたかったのだ。

かおるが体調を崩しているというのに……」

 馨はヘチ子の義理の弟、という事になっている少年である。

 丿口へちこう家と四方宮家には古くからの付き合いがある。

 ほとんど血族に近い濃い付き合いで、現在もヘチ子と馨の世話は四方宮家の親がみているような状況だった。

「ただの風邪だろ? 心配ねえよ、今オカンが看てるし。お前一日中馨にメッセージ送りまくってるし」

「ただの風邪? 人類が今だ撲滅できてない病の王を『ただの』といったか?」

「ものは言い様だな。じゃあ今日は必須のことだけやって終わりとしようぜ」

「当たり前だ」

「当たり前と来た」

 つぐねはキッチンカーへ買い物に行った。

「へいマスター。『果実の宝石箱御無体スペシャル~まだ見ぬ春を夢見て~』二つ呉れい」

「そんなもの、ウチにはないよ。ミックスクレープ二つね」

「そいでよろしく」

 待っているあいだヘチ子は事件の資料を読んでいるようだった。久我からすでにデータが送られてきている。

 宮隠しの被害者の画像。所属集団。検査結果。発見時の状況などが記されている。

「苺にメロンに、これマスカットな。トマトじゃねえぞ。あと無花果のジャム。好き」

 つぐねが戻って来た。丁寧なことにクレープの具について逐一説明を加えてくれる。

「うん」

 といってヘチ子は受け取り、クレープの端を噛んだ。パールのような綺麗な歯並びが一瞬ジャムに染まった。

「これ事件の?」

 つぐねが資料を覗きこむ。クレープの一番甘いところを一口で頬張っている。

 ヘチ子は読み上げてやる。

「だいたい久我の説明通り。ただ検査で異常なしとはいっても、暴行を受けた形跡はあるそうだ。特に目を狙って何かで殴打されたらしい」

「じゃあケンカじゃねえの?」

「それと〈冥宮酔い〉の状態で繰り返し呟いてた言葉があるらしい」

 ヘチ子は画面をスクロールさせて該当の箇所を見せる。


てんち、あけはじめてより※※※

※※※これをかちと※※※

※※※※※※これをなすはひとなり。


「ほとんど読み取れてねえじゃん。音声の記録とかねえの?」

「ない。保護した際に発見者と警官が聞いただけの言葉だからな。意識が戻ったバカ息子は自分でいった事を憶えていない」

 資料には「祝詞のようなものかもしれない」とコメントがついている。

「祝詞ねえ……」何か思い当たるのか、つぐねは大きな目をぐるりと回している。が、やがて「分かんねえな」といってクレープの尻尾を口へ放りこんだ。

 ヘチ子はクリームに苦戦しながら鳥のように食べている。クレープの食べやすい角度を試行錯誤しながら、彼女は説明した。

「祝詞にしろ何にしろ、バカ息子の語彙にあるはずもない単語が含まれている。多分、事件の際に別の誰かが口にした言葉を反芻しているのだろう。久我のいった『人の関与』とはそういう意味らしい」

「犯人は祝詞唱えてからバカ息子ぶん殴ったってことか?」

「祝詞なのかは不明だがな」

「犯人は神主か坊さんだな」

「そんな短絡的な話があるか」

「じゃあどうする? 犯人探すのか? 今日はもう無理だぜ」

「いや」

 ヘチ子は果物だけ食べて諦めた。残りをつぐねに食べて貰いながらこういった。

「そもそも宮隠しが起こったのかを確認する。本当に冥宮が発生したのなら処理も必要だ」

「現場は?」つぐねがもぐもぐ訊ねる。

「聞いてなかったのか。『かるら座』の近くの路地だ」


###


「とりあえず、私達が冥宮の気配を見落とした、という可能性を潰したい。まあ有り得ない事だが」

 冥宮が実際に発生したのかを確認する、とヘチ子はいう。

 歩いて行くと、やがて大通りの向こうに西洋風の教会に似た建物が見えた。

 『かるら座』である。

 二人は正面口へは向かわず、隣の細い路地へと入った。

 そこからでも、改装工事の後がおびただしいレンガ造りの劇場が確認できた。

「いつ見てもイカれたネオンの数だな、あの劇場――おっと」

 つぐねが呟いたとき、前を歩くヘチ子が立ち止まった。

 通路には他に誰もいない。

「どうした?」

 ヘチ子が無数の切り紙を取りだしている。やはり、それらがどこから現れたのかは謎である。

 それは紙で作った風船に似ているが、細かい模様の細工が施されている。

 切紙細工の中から漂う沈香の匂いといい、風船というよりは香炉と呼んだ方が適切かもしれなかった。

 紙香炉の数は十器にも及んだ。風に乗るわけもないのに、作り手の周囲に浮かんでいる。

 それらが、主人の動作ひとつで、前方へ向かってゆっくり流れて行った。

剪紙冥宮フリルか。今日はけっこうな数出すじゃん」

 つぐねがヘチ子の横へ立って一応の護衛体勢に入る。

 剪紙冥宮フリル。正確には〈丿口へちこう剪紙冥宮せんしめいきゅう〉という。

 つぐねが呼ぶのを面倒くさがって、剪紙冥宮フリルと勝手に呼び始め、いまではそれが浸透しているのだった。

 通常、剪紙冥宮フリルの後には作品名がつく。今出しているものは師匠の丿口へちこうイナミから教わった作品で〈泪香炉〉と名づけられていた。

 十器の〈泪香炉〉はゆらゆらと揺蕩いながら飛んで行った。

 それらが空間のある地点へ到達すると、すべてが音とともに燃えあがる。炎がどのように空気を揺らすのかは謎だ。それは弦楽器つまびいたような切ない音で鳴いた。

「そこ? ある?」

 つぐねが訊ね、ヘチ子が答える。

「ああ。そこに小さいが冥宮がある」

 狭い路地の風景は一見なんの異常もない。

 〈泪香炉〉の燃えた場所、沈香の強く残った空間をヘチ子は手でなぞって確かめた。不思議な飾り彫りを施した爪だった。

「――ある」

 彼女は確信のこもった声でもう一度いい、またもどこかから沈香紙を取り出した。竪琴を奏でるように爪を振るうと、紙の雪が舞った。ここで切紙細工を施しているのだ。

 出来上がったのは、模様ばかりの切紙に見えた。

 息を吹きかけて宙へ放つと、それも〈泪香炉〉と同じ場所で燃えあがった。

 ただし、今度は灰が散らず空間へ残った。半紙大の切紙が灰になると二、五メートル四方ほどにまで広がった。まるで影絵が空間に焼き付いたような格好である。

 ヘチ子が空間上の切紙へ、仕上げを施すかのように、鋭い爪を入れる。模様へ縦の切れ目が入った。それはかすかに「開いて」いる。

 これは扉だ。

 唐草模様を施した格子門。空間上に大きな扉が創られていた。

 実在しない壁面に現れた、実在しない扉の向こうにあるのは、当然実在しない異界だろう。

「まずは成功だな」

 淡々といって、ヘチ子はまた別の切紙をとりだす。

 沈香紙に飾り切りを施したリボンだった。彼女はそれで髪を結ぶと、つぐねにも投げ渡した。

「つけないと冥宮酔いを起こす」

「おうよ。しかしおれは今日もかわいいな。世の女どもに申し訳ねえよ」

「もう行くぞ」

 つぐねは端末アプリで自分を確認するなどしていたが、ヘチ子が異界への扉を開き始めると、すぐに興味をそちらへ向けた。唇に不敵な笑みが浮かんでいる。

「さあ何が出る?」

 ゆっくり開いた沈香扉の向こうは、何もない空間である。

 距離感もない真っ白な背景の中を、ややあって何かが駆けてくるのが見えた。

 それは二人の膝丈ほどの体高しかない、何かもじゃもじゃした塊で、かろうじて足と見える何かを必死で回して走ってくる。

「……ちっさ」

 呟いたつぐねが何をするまでもなく、もじゃもじゃは扉から出るやいなや、煙のように霧散してしまった。その砂塵の中から、人びとの呟きや車の排気音のような雑多な音がかすかに聞こえた。

「何これ」とつぐね。

「見たことあるだろ」

「そうだっけ?」

「……冥宮はあらゆるものを『迷わせ』る。こいつは冥宮へ迷いこんだ『街の雑踏』が形を成したもの、といったところか。まあ形のある木霊だな。それが冥宮から解放されてただの残響へ戻った」

 ヘチ子がそう説明した。

「で? これが?」

「これがも何もない。もう消えた」

「え。終わり? これがバカ息子を食った冥宮?」

 構えた張り手の行き所を失って、つぐねが情けない声を上げる。

 それにヘチ子が否定していった。

「いや。これは無害な小さい冥宮だ。人を呑みこむような力は無い。放っておいても消えたはずだ。それに事件の現場はもう少し先だ」

「じゃあ関係ないって事? でも小っさい冥宮だってめったに出来ねえはずなのにな? もじゃもじゃもめずらしくね?」

 つぐねが不思議そうにする。二人の仕事は見回りがほとんどで、今のような小さな異変すらめったに起こらないのだ。

 ヘチ子も同じ意見のようで、しばらく考える素振りを見せた。

「行ってみよう」とヘチ子はいった。「現場はすぐそこだ」


 バカ息子が発見されたという場所へ行った。しかし冥宮に遭遇することはなかった。ヘチ子が「泪香炉」と触診で丹念に調べたが、解ったのはここに冥宮は存在しないという事だった。

 だが、その残滓はある、とヘチ子。

「つまり、事件のとき確かに大きな冥宮が発生したが、それはすぐに消えてしまった、という事のようだ」

「じゃあ久我ちゃんのいった通りおれらが冥宮の気配を見落としてたって事? ていうかお前が見落としたって事?」

「それはない。数日前までここに冥宮なんてなかった。そもそも奇妙なのは、人を呑むほどの大きな冥宮は唐突に発生したりしないし、もし発生したなら、あっさり消えたりしない。宮隠しがあったのなら、その冥宮はここにまだ存在しているはずなんだ。いったいどうやって現れ、どうやって消えた?」

「ふーん」

 気のない相づち。つぐねに冥宮を探知する力はないし、その理屈に興味もないのだ。「でも昔は宮隠しがいっぱいあったんだよな?」

「千年も昔の話だ」とヘチ子。

 冥宮師の歴史は古い。しかしその役目が世間から忘れられてもう久しい。

 ヘチ子はすでに帰り支度をしている。もうここで得られる情報は無いと判断した。処理が必要な脅威も今のところ存在しない。

「あーあ。昔の人らはもっとエキサイティンティンな体験してたんだろなあ」

「行くぞ、つぐね。あとティンが一つ多い」

「ティンティン」

「二度というな」

 ふたりは取り敢えずその場から去った。

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