第2話 1-2_冥宮師への指令「どや? ここか? ここか?」



「どや? どや? ここか? ここか?」

 などと。

 四方宮しほうみや継禰つぐねは商店街に設置されたカッパの石像『かわいじりくん』に悪戯している。

 一方、離れた駐車場では、相棒の――丿口へちこうナンが久我から『役目』の説明を受けていた。


「『かるら座』の側で、若者が朦朧とした状態で発見された。状況から見て〈宮隠し〉と判断される。役目の時間だ。〈冥宮師めいきゅうし〉」

 久我は冥宮師の姿をじろじろ点検しながらいった。二十代ですでに眉間の皺が癖になっているというような男で、今日も最初から詰問口調で話し続けていた。

 丿口へちこうナンは斜め下へ視線を游がせたままで返事もしない。別の事でも考えていそうな態度だった。


 この年は、十一月になったばかりだというのに、急な冷えこみを見せていて、急な対応を強いられた通行人達は、皆羊みたいに着ぶくれしていた。

 そのなかで丿口へちこうナンは中等部のセーラー服一つで寒がる素振りも見せない。姿は黒い髪、紺の制服にタイツとほぼ闇一色である。ただだけが雪のように白い。


 彼女は手袋もしていない白い手を垂らして、掌なかで何かを躍らせている。

 白い紙だった。それを素速い指の動きで挟み、扱き、裏返し、また畳んで、できたツノを鋭い爪で切り飛ばす。

 そういう正確極まりない作業を、手元も見ないまま続けていた。折り紙ともまた違うようだった。

 冬の風の中に、ぴしりぴしりという音といっしょに、清冽で、しかし秘密めいたような匂いが混じっていた。

 切り飛ばされた紙片は、どういう素材なのか宙にあるうちにほぐれて雪のように溶けてしまう。どうやらそのとき、紙に焚きしめられていた沈香の薫りが解き放たれるらしかった。


 無視には慣れているらしい。久我は説明を続けた。


「若者たちのチームがある。そのうちの一人が、譫妄せんもう状態で保護された。意識はすぐに回復したが前後の記憶を失っていた。持病も目撃者もなし。発見された場所も考慮して我々はこれを〈冥宮めいきゅう酔い〉だと判断した。つまり記録上実に八〇年ぶりに〈宮隠し〉が起こったと判断される。彼は一時的に冥宮へ囚われたのだ」

 そういって久我はじろりと少女を見た。やはり返事はない。


「……そいつの親がこの街の有力者で、かつ信心深い男だったため、我々まで話が回ってきた次第だ。繰り返すがバカ親は街の有力者だ。よって本家は『冥宮師が処理した』という実績を求めている。お前達がやるのだ」


 さらに追加の調査で同様の事件が複数確認できた。そう説明したところで、久我はさすがに言葉を切った。「――聞いているのか」


 丿口へちこうナンが初めて面を上げた。


 その貌を見たとたん通行人たちが棒立ちになった。

 後続の仲間が追突するが、その彼女たちも丿口へちこうナンを直視すると息を呑んだ。

 刃を突きつけられたかのような反応だったが、その表情は恍惚を浮かべている。

 人の形をした宝石が発掘されたなら、発見者は彼らと同じ反応をしただろう。

 その唇が動いて言葉を話したというだけで、奇跡を目の当たりにしたような陶酔と本能的な畏怖に包まれるのだった。

 冷たい宝石の様な唇から意外に俗な言葉が紡がれる。


「――バカ息子は……クスリか何かやってただけだと思うけど?」

 

 久我は慣れている。少女の美貌にも言葉遣いにも眉ひとつ動かさず淀みない口調を返した。


「バカ息子の所属する不良チームのルールで薬物は禁止されている。街で違法薬物が流行っているという事実もない、というのは蓬莱ほうらい氏から得た情報だ。そこは信頼できる」


 少女もその点では同意したようだった。花のように静かに頷いた。

 久我がまた話し始める。


「バカ息子が発見されたのは『かるら座』の近くだ。ここは巡回ルートだったはず。〈宮隠し〉が起こったとすれば、お前たちの見落としだったということになるな」

「人を呑むほどの冥宮はひと晩で発生するようなものじゃない。私たちが見落とすことはありえない」


 丿口へちこうが反論するが、久我は彼女の過失と決めつけているようだ。


「本来ならお前の師であるイナミ氏が尻拭いするところだが、日本にいないのではしかたがない。お前は汚名返上の機会を得たと思え。役に立たないようであれば、私も本家に報告せざるを得ない。そうなればお前はお役御免だ。身寄りの無い子どもに戻るか、運が良くとも、この街ともあの義弟とも別れることになる。それが――」

 ここで鋭い音が鳴った。

 丿口へちこうナンが久我の頬を打ったのだ。

「あーあー。キレたわ、またキレた」

 背中を向けたままで、四方宮しほうみや継禰つぐねが茶化した。

 久我はこれすら当たり前に受け流して、話を締めくくった。


「拒否権はないという事は分かったようだな。細かい資料はデータで送る。必要な物が出ればいつものカードで買え。それとこれは支給だ」


 そういって久我は鞄の中から平らな木箱を出して渡した。香気があふれた。

 箱の中には一目で上質のものと分かる紙の束が収まっていた。沈香を焚きこんだ〈冥宮師めいきゅうし〉のための特殊な和紙である。

 丿口へちこうナンは紙の束へ貌を寄せると、身内にはそうと見るか見えないか程度だが、満足げな吐息を洩らした。仕事は拒んでも、この仕事道具は気に入っているのだ。

「つぐね」

 丿口へちこうは、説教のあいだ折り切りしていた紙を手から離した。


 それは紙から切り出された蝶だったが、放ったというよりは自分から羽ばたいたかのように見えた。飾り切りが施された骨組みのようなはねで羽ばたいて、通行人の視線の中、ひらひら飛んで行く。

 沈香の蝶は、つぐねの背へ到達すると、ちょっとした音ともに燃えあがった。アルコール成分みたいな一瞬の燃焼。やや遅れて、沈香が強く匂った。


「あ? お説教終わった?」

 合図をもらって、つぐねが振り返る。

 通行人の瞳が、丿口へちこうの時とも、蝶の焼失とも違う、また別の驚きで揺れた。特に男たちが目を見張った。

 西洋人形めいた可憐な顔が、大柄な笑みを浮かべていた。

 メガネの奥に大きな目があるのだが、その虹彩の色がまだらになっていて、そのせいで他者からは瞳が黄金きんの火花を散らしているように見えた。


「話がなげーから、おれ腹減っちゃったんだけど」

 つぐねは自身のことを『おれ』と呼ぶ。

 可愛らしい声に似合わない伝法な口調も、粗野な仕草も平常運行である。首や肩の関節をぐるぐる回しながら、丿口へちこうたちの方へ歩いて来た。


「お前も一緒に聞くべき話だぞ」

 丿口へちこうがたしなめるがつぐねはけらけら笑っている。

 丿口へちこうの手から、和紙の入った木箱は消えていた。鞄も持たず、制服のポケットに入るはずもないのだが、つぐねも久我もそんなことは当たり前の事と話題にもしない。

 それより久我はつぐねの格好の方に眉をしかめた。

「またふざけた格好を……」

 つぐねは丿口へちこう同様制服姿である。

 だがそれは刺繍飾りなどを付け足して好き勝手に改造してあった。


「ヨコヅナフリルよ」

 返すセリフも謎だったが、動作も傍から見れば奇妙なものだったろう。

 腰を落として相撲の張り手の構えをとったのだった。小柄で細身な外見に似ず、堂に入った所作だった。


「意味が分からん……絶賛行方不明中の君の兄貴でもそんな格好まではしなかったぞ」

「あんなのと一緒にしないでほしいね」

 と、つぐね。

「まあいい。頭がおかしくなりそうだ。要点の説明を続ける」

 久我は眉間をもみほぐして、仕事の話へ戻った。

「注意すべき点がある。〈冥宮酔い〉の状態での証言から、このケースには他者の関与が可能性として存在する」

「関与~? 冥宮の事件に人間が関わってるって何?」

 つぐねが顔をしかめる。元が可愛らしいぶん、生意気な感じが強くなった。

「それは――」

 久我が説明しかけるが、その時にすでに、丿口へちこうナンは歩きだしていた。

「おいおい」とつぐね。

「どうせ資料に書いてあるんだろう?」

 という。

「せっかちだな~。ここはどっかで飯食いながらミーティングする流れだろヘチ子~」

 ヘチ子は振り返りもせず、

「お前のメシは長い」

「じゃあ途中でなんか買って食いながらで行こうぜ。じゃあな久我ちゃん」

 二人は列んでろくな挨拶もなしに遠ざかっていく。


 久我ちゃんはいっさいを諦めた人のように頭を振ったが、最後の警告を投げるのだけは忘れなかった。

「忘れるな。冥宮めいきゅうを祓い、その被害を終息させる。それがお前たちの役目だ」

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