7.森の魔女、とは
魔女の力というものは、呪いである。
それを教えてくれたのは、とうの昔に死んでしまった、母親だったように思う。
曰く、ぼくたちの先祖にあたる女性が、なにか人智を超えたものの恨みを買ってしまったのだとか。そのときにかけられた呪いが、ぼくたち子孫までもを、蝕んでいるのだとか。
本当か嘘かも分からない、そんなおとぎ話のような伝承が、ぼくたち魔女の力の正体で、そして、ぼくたちが普通の人間から、忌み嫌われる理由でもあった。
森の奥には、恐ろしい魔女たちが棲み着いている。そんな、いつからか森の外で広まってしまった噂は、人間たちがぼくたちを嫌うには、充分すぎる理由だったのだ。
まあ、最も、ぼくの生まれた時代には、魔女の力というものは、そんな恐ろしいものでもなかったのだけれど。
魔女、と呼ばれたぼくたちの先祖が、恐ろしい力を持っていたのは、おそらく本当なのだと母親は言う。だけどその力は、時が経つにつれて、どんどん、その恐ろしさを削ぎ落とされていったらしいのだ。
現に、ぼくの母親の魔女の力だって、せいぜい小さな炎を生み出せる程度だった、とそう聞いている。
聞いている、というのは、ぼくが実際に、母親がその「魔女の力」というものを使っているところを、見たことがなかったからだ。
魔女の力は、呪いである。
呪いだからこそ、呪いを解く方法だって、当然、ある。
その方法を、母親は「愛する人からの口づけ」なのだと、そう言っていた。だからこそ、母親はとうの昔にその呪いを解かれた身で、だからこそ、普通の人間と何ら変わらない存在だったのだ。
ぼくはその話を聞いて、またおとぎ話のようなことを、とは思ったが、そもそも、魔女の力というものそのものが、まるでおとぎ話のようなものなのだから、当然のことかもしれない。
こんなふうに、昔のぼくが魔女の力というものを、どこか他人事のように思っていたのには、理由があった。
ぼくの魔女の力は、この頃はまだどういうものなのか、分かっていなかったのだ。
その力のことを、あんな最悪の形で知ることになるとは、そして、その力のせいでずっと苦しむことになろうとは、あの頃のぼくは、夢にも思っていなかったのだ。
母親と、それから父親との、三人での平穏な暮らし。その平穏が破られたのは、当時流行っていた「魔女狩り」などという儀式のせいだった。
ぼくたちが暮らしていた家に、武器を持った人間たちが殴り込みに来たのだ。なんの力も持たないぼくたちは、ひとたまりもなかった。ぼくの目の前で父親は殺され、続いて母親も殺された。
ぼくも、死んでしまうのだと思った。だけど、ぼくは死ななかった。
否、死ねなかったのだ。
どんなに心の臓を貫かれても、脳天をぐちゃぐちゃにされても、ぼくの傷は一瞬で治ってしまって、決して死ぬことはなかったのだ。
その光景に、人間たちは恐れをなしたようで、逃げ出した。ぼくはというと、自分の魔女の力をこの時初めて理解して、その力に絶望した。
不死の力。
まさに呪いのようなそれが、ぼくの力だった。
それからさらに時は経って、ぼく以外にもたくさんいた魔女は、一人残らず人間に殺されてしまって、気がつけばぼくは、この世界で唯一の魔女となってしまっていた。
不死だけでなく不老の力もあったのだということには、不死の力に気が付いてから数年経って、ようやく気が付いた。ぼくの容姿は、両親が殺されてしまったあの時から、何一つ、変わっていない。
ぼくは、ひとりぼっちになってしまった。
たったひとり、両親と暮らした思い出が詰まった小さな家で、ただ息をして過ごすだけ。慣れてしまえば、どうってことないような気がした。
気が、しただけだった。
そんな毎日は、当たり前だけれどどうしようもなく寂しくて、時々どこからかやってきた人間がぼくを殺そうとする度に、死ねない虚しさや悲しさが、積み重なっていくだけだ。ぼくはあくまで死なないだけで、刺されたり銃で撃たれたりすれば当然痛みは感じる。
痛いのは、嫌いだ。だからぼくは、武器を手に取って人間たちに応戦するようになっていた。できるだけ痛い思いをしないで済むように、必死になって反撃した。そうするうちに、いつからかぼくは、相手を殺してしまうようになっていたが、心は痛まなかった。
いや、違う。痛む心は、無視をした。
ぼくはぼくを守るだけで必死で、そこに他人を思う心を認識してしまえば、きっとぼくは、壊れてしまう。
だからぼくは、必死で鈍感であろうとした。
寂しさも、悲しさも、恐怖も、痛みも。
死にたいという、願いも。他人を慈しむ、心も。
何もかも感じないようにして、ただ息だけをして、生きてきたのだ。
そう、あの日。トワイライト、と名乗った、幼い少女に出会うまでは。
ぼくを殺意を込めた目で見る幼い少女は、今までこの森に来た人間とは、どこか違うような気がした。
ぼくに殺意を向けつつもどこか怯えているのは、ここに来る人間たちと同じだ。だけど、目の前の少女は、それだけではないような気がした。
ぼくの声を、ちゃんと聞いてくれるような気がしたのだ。
だからぼくは、この少女に賭けてみようと思った。
ずっと心のどこかで燻っていた願いを、彼女なら、叶えてくれるような気がした。
彼女のことなら、ぼくは、愛することができるかもしれないと。そう、思ってしまったのだ。
だからぼくは、彼女をぼくの家に住まわすことにした。
彼女にいつか、ぼくを殺してもらうために。
彼女と過ごす日々は、楽しかった。
誰かと過ごす日々の楽しさを、思い出した。他人を慈しむ気持ちを、思い出した。
彼女は時たま、ぼくを殺そうと、武器を手に取り、襲いかかってくる。人なんて傷つけたことのなかったのだろう彼女が武器を扱う様は危なげではあったが、ぼくはそんな彼女の攻撃を、受け続けた。
それは、ぼくを傷つけることで、彼女の怒りが少しでも収まるのなら、という思いからだったが、それだけではなかった。
彼女に与えられるなら、痛みだってなんだってよかったのだ。
それくらい、いつしか、彼女の存在はぼくの中で大きくなっていた。
トワのことが、好きだ。大好きで、だからこそ、大切にしたい。
だからこそ、早くトワのことを、解放してやりたかった。
トワに早く、ぼくの呪いを解いてほしいと思った。
だけどそのきっかけはなかなか訪れず、いつしかトワの方からもどこか熱っぽい視線を向けられるようになり、いよいよこれはまずいのではないか、と思っていた矢先だった。
トワの叔父さんとやらが、ぼくの家へとやってきたのは。
ああ、ようやくトワを解放してあげられる。
何度も、何度も、銃弾に貫かれながら、ぼくはそんなことを思った。
ああ、痛い。傷つけられて「痛い」と感じたのは、なんだか久しぶりのような気がした。
きっとこれは、罰だと思った。トワを、ぼくから解放してあげられなかった、罰。だからこそ、反撃なんてできなかった。してはならないと思った。
トワは、どうして反撃しないんだと、怒っていた。トワがぼくのために怒ってくれるのが嬉しくて、だけど、馬鹿だな、と思った。
ぼくが反撃しなかったのは、罰だと思ったのと、それからもう一つ、理由があった。
ぼくがあの人を殺してしまったら、トワの帰る場所がなくなってしまうからだ。ぼくが一度は奪ってしまっていたらしいトワの居場所を、二度も奪うことなんて、あってはならない。
だから、反撃なんてできなかった。トワを解放したその先の人生を、不幸で苦しいものになんて、したくなかったから。
ぼくは、彼女の名前を呼んだ。
呼べば素直に、少女はぼくの元へとやってくる。
ぼくは、そんな少女の小さな身体をそっと抱きしめて、言った。
大好きだと、そう、言った。
この言葉を伝える必要は、あったのだろうか。だってこの言葉はきっと、トワを、おまえを呪う言葉になってしまう。
だけど、それでも、伝えたかった。トワに不幸な人生は歩んでほしくなかったけど、だけど、ぼくという存在がいたことを、忘れないでほしかった。
ぼくがおまえを愛したという感情だけは、なかったことに、したくなかった。
トワがぼくに、口づけをした。
途端に、身体が重くなる感覚がした。ふわり、と意識が遠のいて、手足の末端が、どんどん冷えていく心地がする。
不安そうな表情を浮かべるトワに、種明かしをするために語りかける。だけど、声を出すだけの、たったそれっぽっちの行為が苦しくて、なんだかもう、どれだけ言葉にできているかさえ、分からなかった。
ああ、怖い。死ぬのって、こんなに怖かったのね。
最期に、トワの声をもう一度だけ、聞きたいと思った。トワがきっと、呼ぶのを避けていたのであろうぼくの名前を、呼んでほしいと思った。
それが聞けたなら、もう、思い残すことはないと、そう思った。
「レイラ、さん」
その声は、いやにはっきりと聞こえた。優しくて、あたたかくて、そのあたたかさで、死ぬことの怖さなんて、どこかへ吹っ飛んでしまったような気がした。
ああ、おまえって。
おまえは、そんなふうに、ぼくのことを呼んでくれるのね。
その声を最後に、ぼくの意識はぶつりと途絶えた。
愛してる、トワ。
もう一度だけそう言いたかったけれど、そう言ったつもりだったけど、その声がトワに届いたかどうかは、もう、ぼくには分からなかった。
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