6.あなたを殺すのは
翌日、少女の体調はあっさりと良くなっていた。
朝起きると完璧に用意された朝食がテーブルを埋め尽くしていて、一日ぶりのその光景に、わたしはなんだかほっとした。
彼女はというと、昨日の弱々しい姿が嘘のように、しゃんとした姿で、椅子に座っている。相変わらず、座っているだけで絵になる少女だ。
そんな、この森に来てからの「いつも通り」の光景は、どこか聞き馴染みのある声によって壊された。
「トワ!」
バン!と大きな音を立てて小屋に入ってきたのは、叔父さんだった。
「お、叔父さん!?」
驚いた。叔父さんが、どうしてこんなところにいるんだろうか。
叔父さんは、わたしの姿を視界に捉えると、わたしの方へ駆け寄ってきた。
「トワ……よかった、無事で……ずっと探してたんだぞ」
そう言いながら、ぎゅっとわたしを抱きしめる。その身体は冷え切っていて、わたしを探すために、この寒い曰く付きの森に入ってきてくれたんだな、と、嫌というほどに伝わってきた。
「さ、トワ。帰ろう。叔母さんも待ってる」
叔父さんはわたしの耳元で、そう囁く。だけど、わたしはその言葉に、すぐに首を縦には振れなかった。
どうしよう、と思った。
真っ先に思ったのは、背後に立っているであろう少女のことだった。
わたしの仇だった少女。
いつか自分を殺して欲しいと、そう、願うように言った少女。
寂しい、と言って、涙をこぼしていた少女。
その少女のことを放っておいて叔父さんたちのもとに帰るのは、なんだか、だめな気がしたのだ。
わたしは、叔父さんの腕の中から、そっと抜け出た。
「トワ……?」
叔父さんが、困惑したような声で言う。そんな叔父さんの目をまっすぐ見つめて、わたしは言った。
「ごめん。まだ帰れない」
叔父さんが驚いたように、目を見開いた。それから、わたしの背後に立っている少女へと、視線を移す。
それから、ああ、そうか、と、どこか納得したように呟いた。
「トワは、そこの森の魔女に、洗脳されているんだな」
え、と、今度はわたしが惚けた声を出す番だった。わたしが惚けている間に、叔父さんは背負っていた荷物を床に置いて、その中から大きな銃を取り出し、その銃口を少女へと向けた。
「トワのことは、返してもらうぞ」
やめて、と言う暇もなかった。
ドン、と大きな音を立てて放たれた弾は、いとも簡単に、少女の身体を貫く。当然だがこの程度で、少女が死ぬはずがない。
「くそっ。忌々しい魔女め、この程度では死なないか」
そう言うと、叔父さんは何度も、少女の身体を銃で撃ち抜く。少女は、なんの抵抗を見せることもなく、ひたすら撃たれ続けるのみで。わたしは堪らなくなって、叔父さんの腕にしがみついた。
「やめて叔父さん……!!あの人を撃たないで!!」
叔父さんはわたしに、憐れむような視線を向けた。
「かわいそうに、トワ。怖くておかしくなっちゃったんだな。でも大丈夫。叔父さんがちゃんと、助けてあげるから」
そう言って叔父さんは再び、少女の身体を撃ち抜いた。
少女はやはり、微動だにしない。少女が身に纏っていた純白のワンピースはすでに血で真っ赤に染まっていて、それだけの出血をしても尚平然と立っている少女の異質さを、際立たせているようだった。
「どうして」
わたしは堪らなくなって、少女に向かって叫んだ。
「あんたも……!なんで抵抗しないんですか!なんで前みたいに、反撃も何にもしないんですか!」
そんなわたしに、少女は困ったように笑いながら、言った。
「だって、この人を殺したら、おまえの帰る場所がなくなってしまうでしょう?」
頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。
帰る?何を言っているんだろう。
まだわたしは、あなたを殺してだっていないのに。
だからまだ、帰らなくたって。いや。帰れなくたっていい。
きっといつからかわたしは、そう思っていたのだ。
なのに、なんで。
どうしてあなたは、そんなことを言うのだろう。
「トワ」
少女が優しい声で、わたしを呼んだ。
その声に引かれるように、わたしは少女の元へ近づく。
少女はわたしをぐいと引き寄せると、それから優しく抱きしめた。
「トワ、ぼくはね、おまえのことが大好きよ」
少女の愛らしい声が、砂糖のように甘く、そんな言葉を囁く。
その言葉に、ぐわりと身体中の熱が上がったような心地がする。それと同時に、少女がわたしを見る目があんなに優しかった理由が、分かったような気がした。
それから、わたしがあなたのことを、どう思っていたのかも。
どうしてわたしが、あなたを殺せなかったのかも。
「うん、わたしも」
そこまで言って、だけどその先の言葉を紡ぐのには、少し抵抗があった。
これを言ってしまえば、全てが終わってしまうような、そんな予感がしたからだ。
だけど、言わなきゃ、と思った。
この言葉は、今言わなければきっと二度と伝えられないと、そう思った。
「わたしも、あなたが好きです」
そう言って、少女の身体を強く、抱きしめ返す。その身体は熱くて、あったかくて。ああ、この人はきっと人間なんだと、わたしとおんなじ人間だったんだと、そう、ようやく気がついた。
「トワ。お願いがあるの」
「なんですか?」
「……キスして」
その言葉を発した少女の声は、なんだかひどく震えていた。恥ずかしいのか、それとも何かに怯えているのか。少女の頬はひどく赤くて、恥ずかしがっているだけ見たいだったけれど、その表情とは裏腹に、わたしを抱きしめる腕は、少し震えているみたいだった。
わたしは、そんな少女の唇に、そっとキスをした。初めてのキスは、少女の好む甘いお菓子の味がするのかと思ったけれど、そんなことはなくて、ひどく不味い、鉄の味が広がった。
途端に、少女の身体がふらりと傾いた。
わたしは慌てて、少女を支える。その頬は、先ほどまでは赤く染まっていたのに、まるで病人のように青くなっていた。
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
「……ごめん、トワ。ちょっと血を、流しすぎちゃったみたい」
変なことを言うな、と思った。だって彼女は不死身なのだ。ちょっと血をたくさん流したからと言って、こんなふうになってしまうことなんて、今まで全くなかったのに。
わたしが変な顔をしていたのが分かったからか、少女は言葉を続けた。
「前に、ぼくを殺す方法はあるって、言ったでしょう?」
確かに、少女はそう言っていた。だからわたしは、それを探すために、ずっとここにいたのだ。
わたしがこくりと頷くのを見て、少女は更に続ける。
「ぼくの、この……不老不死の力はね、呪いだったの。むかーしむかし、ぼくのご先祖さんがかけられた、呪い。それでね、トワ。そんな呪いを解く方法、知ってる?」
そこまで言われて、やっと気がついた。
つまり、それは。
「……トワ、ありがとう。わたしを殺してくれて」
わたしが彼女を、殺したということじゃないか。
わたしは、なにも言えなかった。ずっと殺したかった少女を殺せたのが嬉しくて、だけど苦しくて、なんと言えばいいのか、分からなかった。
「……ねえ、トワ、最後にもう一つだけ、いいかしら」
「……はい」
少女の身体が、どんどん冷たくなっていく。さっきまであんなに熱かった身体が、今はひんやりとしていて、それが、どうしようもなく、怖かった。
彼女との別れの時が、近づいているのが、分かった。
「……ぼくの、名前、呼んで、くれないかしら」
「名前?」
わたしがそう返すと、少女は困ったように笑いながら、言う。
「おまえ、ぼくがちゃんと名前教えたのに、わざと、呼んで、なかったでしょ?だから、最後に、呼んでほしい、って、そう、思って」
そうだ。彼女の言うとおりだ。
名前を呼ぶと、彼女に情が湧いてしまうような、そんな気がして。だから彼女のことは、ずっとあんた、とか、あなた、とか、そんな呼び方しかしていなかった。
結局は、無駄な抵抗だったのだけれど。
「なあんだ。バレてたんですね」
「当たり、前よ」
そう返事をする少女の息は、荒い。顔色も青を通り越して真っ白で、いよいよ時間がないと、そう思った。
わたしは少しだけ息を詰まらせてから、その魔女の名前を呼んだ。
「レイラ、さん」
ああ、やっと呼べたと、そう思った。
美しいその姿にぴったりな、美しい名前。その名前を、本当は、ずっと呼びたかった。
少女ー否、レイラさんは、ひどく嬉しそうに微笑んで、それから、そっと目を閉じた。
「レイラ、さん?」
その声に、もう、レイラさんは返事をしなかった。
「レイラさん、やだ、死なないで」
なにを言っているんだろう、と思った。レイラさんの呪いを解いたのは、レイラさんを殺したのは、わたしなのに。
だけど、言わずにはいられなかった。
「レイラさん……!!」
何度名前を呼んでも、もう、レイラさんが嬉しそうに笑ってくれることは、ない。
そんなこと、分かりきっていて、だけど、何度も呼ばずにはいられなかった。
結局わたしは、叔父さんが声をかけてくれるまで、レイラさんの亡骸に縋り付いて、名前を呼び続けていた。
暖かい小屋の外は、ここに初めて来た時と変わらず、ひどい吹雪だった。
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