1.復讐相手は噂の魔女

「ここが、噂の森……」


びゅうびゅうと激しい風が吹き荒ぶ暗い森の前に、わたしは大きな斧を構えて立っていた。

家にある防寒着をこれでもかと着込んできたのに、強い風はそれでもなお、わたしの身体を痛いくらいに冷やしていく。思わずぶるりと身体が震える。その震えが寒さのせいなのか、はたまた曰く付きの森に足を踏み入れようとしている恐怖からなのか。今のわたしにはもう、分からなかった。


「ここに、お父さんとお母さんの仇が……」


わたしは、ぐっと斧を握り締める。そして、暗く陰気で、更には恐ろしい噂のある森に、足を踏み入れた。


お父さんとお母さんが、森に棲む恐ろしい魔女に殺されたかもしれない。そうわたしに言ったのは、近所に住んでいる叔父さんだった。

なんでも、お父さんが、お仕事で使う大事な道具を、あの森の周辺で無くしてしまったらしい。お父さんとお母さんは、道具を探しているうちに、あの森へ、足を踏み入れてしまったらしいのだ。

嘘だと思いたかった。だって、あの森のこわい噂を数日前に教えてくれたのは、他でもないお母さんだったからだ。あんなにこわい顔をして、わたしに口酸っぱく「あの森に入るな」と言ったお母さんが、お父さんと一緒にあの森に入ってしまうなんて、思いたくなかったのだ。

だけど、きっと嘘ではないのだと、わたしは思った。

叔父さんはわたしを気の毒そうな顔で見て、わたしに、自分たちの家に来なさいと言った。

その、気の毒そうにわたしを見る目が、お父さんとお母さんがもう二度と戻ってこないことを、裏付けているような気がしたのだ。


それと同時に、許せない、と思った。

お父さんとお母さんを殺したかもしれない「魔女」とやらを、絶対に許せないと思ったのだ。

それからのわたしの行動は早かった。

叔父さんの手を振り払い、自分の家に戻ってきたわたしは、まず、箪笥をひっくる返して、ありったけの防寒具を身につけた。

コートにマフラー、手袋、耳当て。まるで雪だるまみたいになってしまったが、それでも構わない。あの魔女が棲むという森は、曰く、とても寒いとのことだから。

それから、武器になりそうなものを探した。目についたのは、薪を割るときにお父さんが使っていた、わたしには少し大きめの斧だ。

お父さんには危ないから触るなと言われていたが、生憎、この場にそんな注意をする人はいない。わたしは躊躇いもなく、その斧を両手で握り、持ち上げた。

重さで少し身体がよろめいたが、踏ん張ってなんとか姿勢を正す。

これで準備は万端だ。わたしは、例の曰く付きの森へ向かって、歩き出した。


そうして森に辿り着いてー今に至る。


一歩足を踏み入れた森の中は、まるで別世界だった。

そこには、一面の銀世界が広がっていたのだ。


吹き荒ぶ風は雪混じりで、もはや吹雪だった。きっとこの吹雪が、あの銀世界を作り出したんだな、と。わたしはそんなことを思いながら、ザクザクと新雪の上を歩く。

歩いたそばから新しい雪が降り積もり、わたしの足跡を隠していく。もう、帰り道なんて分かりやしない。魔女の噂を抜きにしても、遭難して死にそうな森だな、と、わたしはそんなことを思った。


ザク、ザク。わたしが歩く音だけが響く。

だけどきっと、この森にいるのはわたしだけじゃないのだと、わたしはなんとなくそう感じていた。

だって、微かに匂いがするのだ。

人が住んでいるような、生活の匂いが。そして、それと共に、微かに血の臭いも。


ーいる。何かが、近くに棲んでいる。


不意に、視界が開けた。

開けた視界の先にあったのは、一軒の古ぼけた、小屋のような家だった。

そこからは灯りが漏れていて、なんだかいい匂いもする。

間違いない、魔女がそこにいるのだと、わたしはそう感じた。

寒いはずなのに、手や背中にはじんわりと汗が滲む。

怖い。確かにそう感じた。斧を握る手に、力が入る。足が震える。

だけどあそこに行かなければ、お父さんとお母さんの仇はとれないのだ。

わたしは、震える足を無理やりに動かして、ひたすら目の前の小屋に向かって歩き続ける。

歩いて、歩いて、ようやくわたしは、小屋の前に辿り着いた。

息を大きく吸う。冷たい空気は毒だったようで、まるで喉が刺されたように痛んだ。

ひとつ、大きく息を吐き出すと、わたしは、古ぼけた小屋のドアを開ける。


そこには、まるでこの世のものではないような美貌を持つ、少女が佇んでいた。


緩いウェーブを描く銀色の髪は腰まで伸び、更に毛先には可愛らしい花の髪飾りが編み込まれている。

薄青の瞳はやや吊り目気味で、まるで愛らしく気高い猫のよう。

その姿は、まるでお人形だった。フリルがふんだんにあしらわれたケープにブラウス、それからペチコートでふんわりとボリュームを出した膝丈のスカートという服装が、少女の人形性を助長させているみたいだった。


「最近は、人間がよく迷い込んでくるのねえ」


その愛らしくも美しい容姿によく似合う、鈴を転がしたような愛らしい声で、目の前の少女はぽつりと呟く。

次の瞬間、ドン!と大きな音がして、わたしは思わずしゃがみ込んだ。

「ふん、避けたのね。運がいい小娘だわ」

恐る恐る、目を開く。少女の手には、いつの間にかその姿に似つかわしくない、無骨な銃が握られていて、わたしは恐怖からヒュッと息を吸い込んだ。

嫌だ、怖い、死にたくない。

「うわああああああああ!!」

わたしはがむしゃらに、手に持っていた斧を振り回した。何も考えずに、振り回して、振り回して、ひたすらに振り回す。しばらくそうしていると、ガッ!という衝撃が腕に伝わった。

わたしが振り上げた斧は、少女の脳天に突き刺さっていた。

やった!殺した!!そう思った次の瞬間だ。

確かに少女の頭に刺さっていたはずの斧が、ゴトン、という鈍い音を立てて、床に落ちた。


そして、少女の頭の傷は、綺麗さっぱり消え去っていた。


「え、ど、どうして……」

「だってぼくは『魔女』ですもの」

そう言って、少女はにこりと微笑んだ。その笑顔に一瞬見惚れる。いや、見惚れて、しまった。

その一瞬の隙を逃さないとでもいうかのように、少女は手に持った銃を、わたしの眼前に突きつけた。

ああ、嫌だ。わたしはここで死んでしまうのか。

親の仇もとれないまま、こんなところで、こんなわけのわからない化け物に殺されて。

怖くて怖くて仕方なくて、気がつけばわたしは、ぼろぼろと泣いていた。

「や、やだ……死にたくない、死にたく、ないよぉ……」

わたしは少女に縋りついた。

「お願い、殺さないで、なんでも、なんでもするからっ!だから……!!」

少女が一瞬、その鋭い瞳をまあるく、見開いた気がした。

それはわたしの気のせい、だったのかもしれない。だって次の瞬間には、その瞳は、まるでオモチャを見つけた子供みたいに、楽しそうな笑みを浮かべていたから。

「おまえ、今のは本当?」

「え、今の、って……」

「なんでもする、って言葉よ」

わたしはほんの一瞬躊躇って、でも、やっぱり命は惜しいと思ったので、ゆっくりと頷いた。それを見た少女は、嬉しそうに微笑む。

「おまえ、名前は?」

「え、っと……トワイライト、です。長いので、トワって呼ばれることが多いけど……」

なんとなく、フルネームを伝えることは躊躇われて、わたしは名前だけを少女に伝える。それを聞いた少女は何やらうんうんと頷き、そして、わたしを指さすと、尊大な口調で言い放った。

「決めたわ。おまえ、いいえ、トワ!わたしの遊び相手になりなさい!」

「は?」

「命を助けてやる代わりに、ここでぼくと暮らしなさいって言ってるのよ。おまえ、きっとぼくを殺したいんでしょう?だからそのチャンスをあげる」

「え……」

願ってもいないチャンスだと思った。正直、親の仇に命乞いをして、更に親の仇と一緒に生活するなんてあり得ない!とも思ったが、それ以上のチャンスが今、わたしの目の前には転がっている。

乗らないなんて選択肢は、なかった。

「分かりました。ここで、お世話になります」

わたしはぺこりと頭を下げた。親の仇に頭を下げるなど、冷静に考えればますます理解不能の状況だ。

だけど、こうするしかないのだ。

わたしが生きて、わたしの復讐を完遂するには、もう、これしかない。

わたしは頭を上げると、少女をキッと睨みつけ、そして言った。


「そしていつか、絶対に、あなたのことを殺してやります」


その言葉を聞いた少女は、切ないような、苦しいような、それでいて喜びが隠せていないような、そんな表情を浮かべて、そして。


「ええ、期待しているわ」


まるで祈るように、そう、呟いた。


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