約束

古堂 素央

約束

 それはわたしたちのあとを追ってくる。

 引き千切るような突然の別れと、どちらが悲しいと言うのだろう。



「今年はお月さま、見れるかな?」


 すすきの穂をゆらしながらわたしが言う。


「週間予報では曇りだって。今年は無理かもね」


 スマホをいじったままのあなたに、わたしは唇を尖らせる。


「週間予報ってころころ変わるから、見れるかもしれないよ?」

「そうだね。見れるといいね」


 顔を上げあなたはこの頬をやさしくなでた。


「月見だから、久しぶりに日本酒が飲みたいな」

「しょうがないなぁ。でも体に悪いから少しだけだよ」


 頷いて、少し残念そうにあなたは笑う。


「クリスマスはどうしようか? また苺のケーキがいい?」

「うん。生クリームたっぷりのやつ。プレゼントは何がいいか考えておいてね」

「きみがくれるものならなんでもうれしいよ」

「もうそれがいちばん困るのに」

「あと見たいって言ってた映画、年明けに公開だって」

「一緒に観に行ってくれる?」

「もちろん。お正月過ぎてからの方が空いてていいかなぁ」


 そんなふうに重ねられていく、小さな約束たち。

 祈るように、ひとつずつ叶えられていく。

 ――いつかそれが守られなくなるその日まで。


「余命三カ月って言われてからもう何年も経つね」

「きみがいなかったら、ぼくは今頃もう生きていないよ」


 そう言っていつでもあなたは穏やかに微笑んだ。



 そんなふたりをあざ笑うかのように、現実は闇を突き付けてくる。

 一晩中吐き続けるあなたの背中を、わたしはたださするしかできない。

 激痛に身もだえるあなたのその苦しみを、ほんの少しも分かってあげられない。


 いなくなっては嫌だとわたしが泣くから。

 独りにしないでとすがるから。

 苦しんで苦しんで、もう死にたいって言いながら、それでも今もあなたはこうしてそばにいてくれる。



 細く、引き絞るように、その闇はわたしたちのあとを追ってくる。

 緩やかに追い詰められながら、わたしたちは今日も小さな約束を重ねてく。


 ひとつ年上のあなたを追い抜いて、いつの日かわたしだけがおばあちゃんになっていくのかな。

 いつかこの人のために泣く日が来るんだろう。

 あなたの手を取る覚悟をしたあの日に、わたしはぼんやりとそんなことを思った。



「今年の桜は見事だったね。来年はどこの桜を見に行こうか」


「誕生日にはまたケーキを焼くね。今年はチーズケーキにしようかな」


「花火、綺麗だったね。来年もビール飲みながらゆっくり見たいな」


 暗闇の中、小さな明かりを頼りに、わたしたちは手をつないで歩く。

 ささやかな約束をただ目指して。


 そんなわたしたちを見て誰もが悲しいって顔をするけど、これってそんなに不幸なことかな?

 わたしたちは共に在るしあわせを今日もそっとかみしめる。



 いつかその街灯を行き過ぎるとき、影がわたしたちを追い越して。

 振り向けばそこにもうあなたはいない。

 長くのびる影にむかって、わたしはひとり歩いてく。



「やっぱり曇っちゃったね」

「でも、去年の月は綺麗だったよ」


 奮発した大吟醸をゆっくりと含みながら、あなたは窓の外に目を細めた。

 暗くした部屋から見える曇り空。

 そこに浮かぶ、ぼんやりとしたお月さま。


「来年も一緒に見よう? 今度の十五夜は晴れるといいね」


 おちょこ片手に手をつないだまま、また交わされる小さな約束。


 やがて朝が訪れ、月明かりはうすれていった。

 白む空に溶けていく輪光に、わたしたちはかけがえのない明日あすを乞う。



「きみがいないと生きていけない」


 そう言ってあなたが泣くから。


「きみがいるから生きていける」


 そう言ってあなたが笑うから。



 だからわたしは今日も昇る朝日に願いをかける。


 一秒でも、あなたよりも長く生きられますように。

 この世界であなたが最期に目にするものが、とびきりのわたしの笑顔でありますように。


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約束 古堂 素央 @kodohmototika

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