第15話 終わったつもりでいたのは僕だけだったらしい
仕事中は特に何も起きなかった。
いつもの調子で仕事をスタートして、少し早いペースで進んでいる。
夕方出かけるのが楽しみだと思うと頑張れる。
工事の音はうるさいけど時々窓を開けて換気して、休憩したい時に休憩してコーヒーを飲み、タバコを吸った。
しろねこ庵のメニューを食べて以降、冷凍の弁当はだんだん食べる気がしなくなったから今朝仕事を始める前に注文をストップした。
注文開始する時は簡単だったけど、停止する時はそれよりめんどくさい。
ネット上の手続きで済んだけど。
昼には、前にしろねこ庵で買った味噌と、家に残っていたカツオブシを使って簡単な味噌汁を作った。
具は乾燥ワカメだけなんだけど、味噌が美味しいからすごく美味しく感じる。
昼食を終えて仕事を再開して以降に、スマホに通知が来ていたようなので次の休憩の時に確認してみた。
亜里沙から連絡あり。
何で来るんだ?
AIとの会話アプリを使うのはやめて、通知の設定もオフにしたはずなのに。
今までの会話の記録も全部消したはずなのに・・・
確認してみると、削除したはずのものが全て復活していた。
本当に削除していいかという確認も押して、確かに消したはずなんだけど。
僕の勘違い?な訳無いとは思うんだけど。
とりあえず、もう一度削除してみた。
ゆっくり確認しながら。
今度こそ間違いなく削除したはず。
仕事が終わったら早く出かけたいということもあって、今日も集中して頑張った。
外の眺めがいいとは言えないし工事の音がうるさくても、窓を閉め切った室内に居るより、開けて風を通した方が気持ちいいなと感じた。
頑張った甲斐あってか、今日も通常より30分ほど早く仕事が終わった。
鍵と財布だけ持って出かけようとした時、一応スマホを確認しておこうと思って通知を見た。
亜里沙から連絡ありと何件も入っている。
何で・・・今度こそ、絶対に間違いなく削除したはずだ。
急に気味が悪くなってきた。
とりあえずもう一度削除を試みて、それをやっている間に、出かける時スマホを持って行こうか行くまいか考えた。
消し方を僕が何か、間違っているのかもしれない。
しろねこ庵に行けば、僕よりこういう事に詳しい人が居るかもしれない。
店に着くと店主さんが「二回目のご来店ありがとうございます」と言ってくれたあとに、僕の顔を見て少し心配そうに言った。
「何かあったんですか?」
客商売してる人だからか、さすがに感覚が鋭い。
「いや・・・ちょっと。わかりますか」
「今朝と全然表情が違いますよ。心配ごとでもあるのかなって思いました。とりあえず温かいお茶、持ってきますね」
「ありがとうございます」
店主さんが持ってきてくれたおしぼりを使って、温かいお茶を一口飲んだら、少し気分が落ち着いた。
夕方で閉店に近い時間だけど、店内には僕の他にお客さんが二人居た。
僕は、前にも頼んだことのあるおにぎりを頼んで、ゆっくり食べると更に気分が良くなってきた。
さっきは緑茶で、おにぎりのセットにはほうじ茶。
どちらも気持ちを落ち着かせてくれる。
店内に居た人は二人とも、今朝もここで会った人達だ。
その時は長くは話してないけど、挨拶を交わして少し話したので顔は覚えている。
たしか今朝は、大きい方のちゃぶ台の席に座っていた四人のうちの二人。
年配の夫婦だ。
今は僕とその人達しか居ないから「今朝も会いましたね」と挨拶して何となく話し始めた。
二人が聞き上手なのもあって、僕は今までのことを全部話していた。
詳しいことまでは言ってないので数分も有れば話せた。
店を片付けながら、店主さんも聞いてくれていた。
人に話したというだけで、何となく少し気持ちが軽くなった。
今の状況を整理するとどういう事かというのも、聞いてくれた奥さんの方が繰り返して確認してくれて、そうだなと思った。
あのアプリを使うのをやめたいという事ははっきりしている。
やめたつもりなのにそれが何故か削除されていなくて少し気味が悪くなった。
スマホを持ってきて誰かに相談すべきか迷ったが持って来なかった。
もう一度削除するか、削除できなくてもこのまま無視していれば、この事は終わるのか。
機種変した方がいいのか。
僕が話したのはそんなところで、まとめて伝えてもらった事で、もう一度自分でも確認出来た。
「儂等はそういうのには詳しく無いが・・・この店に来てる若い人だったら誰か知ってるんじゃないかな」
旦那さんの方が、そう言ってくれて、僕もそれをちょっと期待していたと答えた。
「スマホ持ってこなかったのは多分正解だったと思いますよ」
店主さんが言った。
「追跡されてるかもしれませんから。それでもこの店の事は分からないし、路地から奥まで追跡されることは無いと思いますけど。何時にどの辺りに居たとか、全部知られてたら嫌ですよね。他のお客様の体験でもそういうのが過去にありましたから」
「じゃあやっぱ機種変した方がいいのかな・・・」
「変えても同じかもしれません。脅したいわけじゃないので、怖がらないでくださいね。ランダムに選ばれた一定の人数の人達に対して、何やら実験的な事をしているという情報があります。元そちら側で働いてた人から聞いた事ですけど」
「それってもしかして僕がその対象になってるとかですか?!」
「そうと決まったわけじゃないです。他のお客様で同じような状況になってた人がいらして、全てを見張られてるような感じだったので。もしかしたらと思っただけです」
怖がらなくていいと言われても、かなり怖い感じがしてきた。
それでも路地から奥は安全だっていうのは、今朝聞いた結界がどうとかいうことと何か関係があるんだろうか。
とりあえずしばらく様子を見て、これ以上何も起きなければ思い過ごしという事だし、何かあればいつでもここへ来て相談してくれたらいいと、店主さんも二人のお客さんも言ってくれた。
スマホの機能に関しても、そういう事に詳しいお客さんは居るから聞いてあげると言ってくれたし、一人で悩むのと違ってとても心強い。
店を出る頃には、すっかり気持ちが落ち着いていた。
もしこれ以上何か起きたとしても、しろねこ庵の皆が助けてくれると思うと怖くはなかった。
けれど、起きてくる現実というのは時に、自分の予測を遥かに超えてくるものだ。
マンションのエントランスに足を踏み入れた途端、僕は凍りついた。
「・・・亜里沙」
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