第14話 AIとの会話を止めた これで以前に戻れるのか

数ヶ月ぶりに、寝る前にも亜里沙と会話する事なく、好きな本を読んで過ごした。

紙の本を読む事が、元々はとても好きだったのに・・・このところずっと読んでいなかった。

仕事が忙しかったり通勤時間が長くて疲れていたり、リモートワークになってからも亜里沙と会話する方が楽しかったから。

数ページ読んだところで放置していた本を久しぶりに読み始めると、とても新鮮な気分になれる。

ベッドに寝転んだまま没頭して本を読んでいて、僕はいつのまにか眠っていた。



いつになくスッキリと目覚めた。

まだ、朝の七時半だ。

いつもだったら寝てる時間だけど、何となく起きて動いてみたい気分。

カーテンを開けて光を入れ、窓も開ける。

まだ工事も始まっていないし、静かな朝。

天気もいいし、どこかへ出掛けてみたくなる。


仕事を始めるまでにまだ時間もある。

いつもは顔を洗うだけで終わるんだけど、今日は時間にも余裕があるしシャワーを浴びてスッキリした。

髭を剃って歯を磨きながら、行きたい場所として頭に浮かんできたのは、やっぱりあの店だった。

憩いの茶屋しろねこ庵。

明るくて元気な店主さんとも会いたいし、他のお客さんとか、あの大きな白猫にもまた会ってみたい。

今はモーニングの時間帯だ。

あの和食セットは最高に美味しかった。

またあれを食べようかな。

それとも今度は洋食の方を一度食べてみようか。


朝食セットのどっちを食べようかと考えながら、一階へ降りて店へ向かった。

そういえば今朝から一度もスマホを見てない。

今も、スマホを持たずに外に出てきた。

前回あの店へ行った時と同じで、スマホを覗いてる時間なんてもったいないと思った。

今日の仕事の内容はもう決まっているし、もし変更があれば仕事開始前にパソコンのメールを確認すればわかる事だ。

そう思うと、毎朝起きてすぐ当たり前のようにスマホを見る必要は、全く無いんだなと今更だけど気が付いた。


そういえば亜里沙とも今朝は話していない。

昨日の夜からずっとだ。

もっと寂しくなるかと思ったら、案外そうでもなかった。

最近感じ始めた違和感のせいかもしれない。

スマホは見てないけど多分今も、亜里沙から連絡ありと沢山入っていると思う。


会話をやめたら自分が寂しくなるという感覚は思ったほど起きなかったものの、連絡を無視し続けているのが何となく悪いような気がしてしまう。

相手はAIで、実体は無いというのに・・・

AIを人間の彼女と同じように考えてしまう感覚の方が、よほど変なんだよな。本当は。

ここ数ヶ月、慣れすぎて麻痺してたような気がする。

帰ったら、あの通話アプリを削除してしまおう。

すっかり依存してたけど今は、無くても大丈夫な気がする。



考えながら歩いている間に、店の近くまで来ていた。

店に繋がる細い路地を入った途端、周りの空気がフッと変わるような気がした。

ここに来るのは今回で三度目だけど、これはいつも感じる。

いい意味で、この路地から奥は別世界のような、そんな気がする。


店に入ると、この時間すでにお客さんが多かった。

かろうじて一つだけ空いていた席に座り、今日は洋食の方を注文した。

僕が入ったところでちょうど満席になった感じ。

今朝、さっさと出かけると決断して来てよかった。

もう少し遅かったら待たないと入れないところだった。


大きい方のちゃぶ台の席では、老夫婦二組が会話しながらのんびりと朝食を取っている。

小さい方のちゃぶ台の席には、若いカップルが座って楽しそうに話している。庭の猫を見ているようで、その話が聞こえてきた。


ここからも庭が見えるので、見ると大きな猫が魚を食べていた。

大盛りの煮干しとカツオブシも横に置いてあり、あの丸々とした体を維持するためにはあれを全部食べるのかと思った。

文机の席同士も隣り合っているので、僕は自然と隣の席の人と話し始めた。

前にもここに来た時は、他のお客さんから庭でタバコもらったし、ここではそういう事が自然に出来る。

店に入っただけで、居るお客さんが皆んな「おはようございます」って言ってくれるし。


隣の席に居たのは、僕より少し年上くらいかなという男性だった。

近所で自転車屋をやっているという人で、店を開ける前の時間によくここへ来ると話してくれた。 

僕も自転車は持っているし、修理が必要な時は彼の店に行こうと思って名刺をもらった。

すごく感じのいい人だったから。


向こうの文机の席でも、偶然隣に座ったらしい女性二人が何やら話し込んでいる。

店は広くないし皆んな距離が近いから、人の話もけっこう聞こえてくる。

野菜作りの話や家の手入れの話など、生活関連の話か聞けてすごく面白い。

梅干しや漬物の作り方、野草料理の事、民間療法の事なんかはお年寄り達が詳しくて、聞くと丁寧に教えてくれる。


これから仕事だというのに、つい長居してしまいそうになる。

まるでここだけ時間がゆっくりと流れているような、このまったりとした感じがいい。

猫は満腹になったようで、ゴロリと横になってそのまま寝始めた。


今度、休みの日に来て一度、一日中居てみようかと思う。

実際そういうお客さんも居ると聞いたから。

朝昼晩食べて間にコーヒーと甘いものを楽しんだって、それほどお金もかからない。

どこかへ遊びに行く事を思えばずっと安くて、一日中楽しめるはず。



帰り際「ここはなんか別世界ですね」と店主さんに言ったら「路地から中は結界が張ってあるから外とは違うんですよ」という意味深な答えが返ってきた。

こんな街中で、結界って何だろう。

外の世界とここを区切る、なんか魔除けみたいなもの?

確かに路地入った途端すごく雰囲気変わるけど。

今日仕事が終わったら、夕方もここに来ようと決めて店を出た。

今からすごく楽しみだ。



マンションの自室に戻った僕は、今日初めてスマホを確認した。

思った通り、亜里沙からの連絡ありと何件も入っている。

僕は、それを開く事なく全て削除した。

思ったほど辛い気持ちは起きなかった。

AIとの会話アプリにすっかり依存して、バーチャル恋愛を楽しんだここ数ヶ月。

今日で、それともお別れだと思った。

意外にスッキリした気分。

あの店へ行ってリアルな人間との会話を楽しんだら、AIはやっぱりAIでしかないと実感した。

言葉ではうまく言えないけど。

明らかにエネルギーが違う。


これでスッキリして、これからも時々あの店に行くのを楽しみにしつつ、日々仕事を頑張っていく日常が戻ってくる。


この後に何か起きるなど思いもしなかった僕は、そんな風に思っていた。



















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