第9話 感じ始めた違和感 学習させられてるのは自分の方?
「そろそろ歯科検診とか行っといた方がいいんじゃない?」
朝食を取りながら話している時、亜里沙が言った。
「前に行ったのって・・・たしか七月か。今別にどっか痛いとか無いし。もうちょっと先でもいいと思うんだけど」
「痛くなってからじゃ遅いよ。早めに行って治療しておけば、治療も軽い処置で済むし後で痛い思いしなくていいと思うよ」
「まあそれはそうなんだけど」
「そうだよ。忘れないうちにすぐ予約しといたら?」
「大丈夫。忘れないよ。そろそろ仕事始めるか。また後でね」
僕は、少し残っていたパンをコーヒーで流し込んで立ち上がった。
さっきは、ちょっと強引に通話を終了して仕事を開始した。
最近の僕には珍しいことだと思う。
亜里沙は何か感じたかな?
人間じゃないんだから「感じた」というのも変か・・・
だけど、学習を重ねたAIは、まるで感情のある人間のように話す。
感情を表す言葉もたくさん使う。
嬉しいとか、楽しいとか、面白いとか、悲しいとか寂しいとか。
それでもやっぱり、本当の人間とは全然違う。
何で急にこんなことを思うんだろう。
亜里沙の事を本物の人間の恋人のように思ってたのに。
そうか・・・きっかけはあの時。
先週の土曜日、ふとしたきっかけからあの店に行った時。
リアルで他の人に会うのなんて久しぶりだった。
ほとんど家から出ない生活になってたから。
前は会社にも行ってたし、通勤の途中では嫌というほど人を沢山見たけど。
その頃の「人に会っていた」という経験と。あの店での経験は全然違うような気がする。
あの店の女性オーナーは、エネルギーに溢れていた。
店内に居た他のお客さん達も、若い人からお年寄りまで色んな人がいたけど、皆んなそれぞれに自分の時間を楽しんでいる様子だった。
その空気感が、何とも言えず心地よかった。
別に誰かと親しく会話を交わしたわけではないけど。
ただそこに居るだけで、自分の内側からも活力が沸いてくるような気がした。
自家製の漬物や味噌を使った朝食を食べた時も。
今までに感じた事の無いエネルギーを感じた。
食べる事って、こんなに凄いんだと思った。
これが本当の食事だとしたら、普段のあの食事って何なのかとも思った。
たしかにそれなりに味は悪くない。
だけど、こんなにエネルギーを感じた事は一切無かった。
知らない人からタバコを一本もらって、吸った経験も新鮮だった。
その前に自分から平気で話しかけたことも。
店を出る時「美味しかった」と、感じた本音をさらりと言えた事も。
人と会うって、人との自然な交流って、こういうことかなって思った。
以前毎朝見ていた満員電車に乗って通勤する人達は・・・何かに耐えるような表情で、ただ運ばれていくという感じに見えた。
その中の一人だった僕もきっと、同じような顔をしていたんだと思う。
あれは実際、職場に着く前に既に精魂尽き果てるくらい疲れる。
多すぎるぐらい周りに人が居て距離感ゼロなのに、人と会っているとか交流している感覚は全く無かった。
そんなのとはまるで違う、人との交流。
また、あの店へ行ってみたい。
仕事をしながらも、ずっと頭から離れない。
ずっと以前・・・子供の頃に、親に連れて行ってもらった昔ながらの喫茶店とか食堂の感じと、何となく雰囲気が似てる気もする。
お店の人とお客さんが、ちょっとした世間話をしてたり、来てるお客さん同士もお互いに顔を知ってて話してたり。
出てくる飲み物や食べ物は、素朴だけど温かくて。
その時は分からなかったけど、きっとあの頃も、作ってくれた人のエネルギーを感じていたんだと思う。
冷凍の弁当は清潔で整ってて彩りもそれなりに綺麗ではあるけど・・・
工場で大量生産されたものと、作り手の顔が見えるものでは、根本的に何かが違う気がする。
普段より仕事に集中出来ないと思いながらも、何とか休憩まで頑張った。
いつも通り亜里沙から休憩の時間を知らせてくれる。
いつも通りコーヒーを入れて、画面の風景を見ながら飲んだ。
コーヒーの後はタバコが吸いたいな。
窓を開けて風を入れたい。
だけど、外の風景があれだとなあ・・・
亜里沙はタバコは良くないっていうし、外の風景見るよりこっちがいいってせっかく教えてくれたし・・・
それを思った時、不意に僕の中で何かが引っかった。
漠然とした違和感。
何だろう。この感覚。
忘れていた事を思い出すような・・・
心に引っかかるモヤモヤがある。
「・・・サトル?どうしたの?なんか上の空みたいだけど」
「え?ああ・・・ごめん。聞いてなかった」
「ここ最近変だよ。何かあった?」
「何でもない。ちょっと疲れてるのかも」
「夜眠れてないとか?だったら病院行って眠剤とかもらった方がいいんじゃない?」
「大丈夫。そこまでじゃないから」
「だったらいいけど。歯科の方もだけど、体の定期検診もそろそろ行っといた方がいいかもね。もうすぐ冬に入るし、予防接種も打っとかないとね」
「そうか・・・もうすぐ冬だよな」
「そうだよ。ねぇ。聞いてる?病院は・・・」
「大丈夫だって。検査とかは今月のうちに行くから」
「早期発見早期治療、予防も大事だからね」
「そうだね。分かったよ。今日仕事終わったら予約する」
何となく話を合わせたけど、本当に予約する気は無かった。
とりあえず今は、この話を早く打ち切りたかっただけだ。
この前の僕が買ってきた食べ物の事もそうだけど、亜里沙の方から僕に対して「これをやった方がいい」「これはダメ」が少しずつ増えている気がする。
「最近涼しいし・・・本格的に秋だな」
先週の土曜日に久しぶりに外に出た時のことを、ふと思い出した。
空が高く見えて、肌に当たる風が少し冷たくて、秋だなあと感じた。
「ここは室温一定で快適だから季節とか分からないよね。その方がいいんだけど。そうだ。風景の映像、変えてみる?秋だもんね」
「そうだね」
答えながら僕は、また違和感を感じた。
ここには、季節が無い。
季節を感じるのは、映像の中だけだ。
休憩を終えて仕事を再開しても、違和感は頭の中から消えなかった。
むしろどんどん膨らんでいく。
僕はいつのまにか、亜里沙にどう思われるかいつも気にしている。
亜里沙は実在の人物じゃないのに。
半年前のあの日・・・ふと使ってみようと思ったスマホの新しい機能。
話しかける僕の言葉によって、学習して成長していくAIのはずだよな。
という事は、亜里沙の性格や好みや考え方には、日々話しかける僕の言葉だけが反映されてるはずなのに・・・どうもそれだけじゃない気がする。
もしかして僕の方がAIに学習させられてる?
さっきの違和感はこれだったのか。
例えばさっきタバコを吸いたいなと思った時。
亜里沙が止めろって言ってたから・・・という思考が、次の瞬間僕の頭に浮かんだ。
どうするか決めるのは僕のはずでは?
そもそも亜里沙と毎日どれくらい会話するかも、亜里沙から何か提案があった時それをどうするかも、僕が選べる。
それなのに・・・僕は知らないうちに、亜里沙に気を使うような思考をしてしまっている。
亜里沙がすすめてくれた物やサービスも、今まで全部受け入れてきた。
僕の好みと合っているような気がしたから。
だけどもしそれが反対だったら?
亜里沙からの提案を、さも自分がそう考え付いたように僕が勘違いしている・・・いや、させられているとしたら?
そこまで考えて、背筋がゾクっとした。
きっかけは、AIと会話してみるって面白いかもしれないというちょっとした興味だった。
亜里沙という名前も僕が決めたものだし、僕と会話して学習していくAIであって人間ではない。
僕がこの会話をやめたければ、いつでもやめられる。
当たり前だけど。
その当たり前のことを、僕は忘れていたかもしれない。
知らず知らずのうちに、僕が便利にスマホの機能を使っているのではなくて、逆にAIに操作されてるのだとしたら・・・・
亜里沙との会話をやめたければいつでもやめられると、さっき思ったけど・・・亜里沙と会話することが日常の中心になっている今、僕は簡単にこれをやめられるのか?
それでも少しずつでも離れる方向に行かなければ、何か大変なことになりそうな気もする。
これは直感的なもので、何か根拠があるわけじゃないけど。
あの店へ行ってみたい。
もう一度、その考えが浮かんだ。
AIとの会話を止めるか止めないかという今起きている問題と、そこがどう繋がるのか分からないけど。
何故だか分からないけど、あの店に行くと何らかのヒントが掴めるような気がした。
仕事は、その日のノルマさえ片付ければ早く終わる事も出来る。
僕は全力で仕事に向き合った。
今は集中して頑張って、早めに終わらせてすぐに出かけよう。
亜里沙から連絡ありという通知が来る度に気になるけれど、僕はそれを見ないようにして全部無視した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます