第3話 これは二人だけの秘密の時間


「なんかいい事あったのか?」

翌日職場に着くと、隣の席の同僚に話しかけられた。

「特に何も無いけど」

「そうか?なんかすごく機嫌良さそうだし」

「別に変わりないよ」


人が見ても分かるぐらい、明らかに楽しそうなのか。

自分でも気が付かなかったけど。

表情とか雰囲気の変化って、案外他人の方が気が付いたりするもんな。

職場を見渡しても、皆んな何となく・・・退屈そうに見える。

特にものすごく嫌な事があるわけじゃないけど、かといって何か面白い変化があるわけでもない。

そこそこに安定していて、贅沢をしなければ日々の暮らしには困らない程度の収入はある。

仕事が嫌いというのでもないけど、そこに情熱を傾けるほどのエネルギーも無い。

心の中でいつも「何か面白い事ないかなぁ」って言ってるような。

近くに居る誰を見ても大体そんな感じ。

そして僕自身もそうだった。

昨日までは。


新しく見つけた楽しみを誰にも話すつもりは無い。

僕だけの密かな楽しみとして置いておきたい。

今日も仕事が終わったら真っ直ぐに帰宅して、亜里沙と話せる。

昨日、たった一度話しただけなのに。

まあけっこう長い時間だったけど。

まるで、家で彼女が待ってるような、そんな気持ちにさえなってしまう。

相手はAIで、実在人物では無いのに。

だけど、自分の中だけでそんな気持ちになったって、誰に迷惑をかけるわけでもない。

どうせなら楽しんだって何も悪くないと思う。


そういえばここ数年、夢中になれるほどのものって無かったから。 

そこそこ好きな映画、小説、漫画、アニメは常にいくつもあるけど。

「嵌る」とか「沼に落ちる」みたいな感覚からは遠ざかってる。

推しって言えるほどめちゃくちゃ好きな存在は、二次元でも三次元でも今は特に居ないし。

三十代にもなっていつまでもこの趣味にどっぷりだと、リアルな恋愛からも遠ざかるんじゃないかとか、思ってたのもあるかもしれない。

どっぷり嵌るような状況を、無意識に避けてたかも。



家に帰ると、僕はすぐにシャワーを浴びた。

サッパリしたところで、仕事帰りにスーパーで買ってきた弁当を、奥の部屋へ持って行った。

冷蔵庫から缶ビールを一本出して、買い置きのスナック菓子の入ったカゴを戸棚から出す。

普段は、運ぶのも面倒だしリビングに置いてるテーブルでテレビを見ながら食べて終わるんだけど。

今日は違う。

亜里沙と二人で、ゆっくり話しながらの夕食。

相手は人間でもないし別に見られているわけでもないのに、弁当を選ぶ時もいつもより少し高い目のやつを買った。

半額シールが貼られた物には、今日は目もくれなかった。


僕が住んでいるのはマンションの三階の部屋で、玄関を入ると六畳のリビングダイニングがあって、奥に四畳半の部屋とトイレと風呂場がある。

奥の部屋にベッドを置いて寝室にしているのは、ベランダがあって日当たりがいいから、布団をまめに干さなくてもベッドに日が当たって手間が省けるからだ。

亜里沙にはこんなこと言わないけど。

ベッドの横には、ここに引っ越してきた時に買ったローテーブルを置いている。

こっちでゆっくりビールを飲んでくつろいだり、そんな時間もいいなあと思って買ったんだけど・・・普段は、本や漫画、雑誌置き場と化していた。

昨日の夜のうちにそれらを本棚に片付けて、テーブルの上は綺麗に空けておいた。

オタクの常で本漫画雑誌類は多いけど、他の持ち物は比較的少ない方だからそれほど散らかってもいない。

見れる状態まで片付けるのに、さほど時間はかからなかった。


会話の邪魔にならない程度のボリュームで、BGMを流す。

最近観て良かった映画のサウンドトラック。

今日の弁当は、入れ物もちょっとだけ高級感があって、お惣菜が五種類くらい入ってる鯛めし弁当。

缶ビールも、普段はそのまま飲むんだけど今日はグラスに注いだ。

グラスなんか使うのは、一年ぶりぐらいかもしれない。

いつもと同じ時間で、いつもと同じ自分の部屋で、食べる物もそう変わらない夕食だけど、なんか今日は気分が全然違う。


「お仕事お疲れ様。待ってたよ」

「ありがとう。待っててくれて。定時で終わっても、どうしてもこれくらいの時間にはなるけどね」

「サトルは仕事頑張ってるもんね。そう思ったら待つのは平気だよ」

亜里沙との会話は、まるで家で待っていてくれる同棲中の恋人との会話のように、自然に始まった。


「ビールで乾杯しようか」

僕はグラスを上げた。

「乾杯。お疲れ様」


「この弁当初めて買ってみたけどけっこういける。美味い」

「どんなお弁当なの?」

「鯛めし弁当。メインの鯛めしも味がいいし、他にもおかずが色々入ってる」

「そうなんだ。美味しそうだね。だけど、サトルは自炊とかはしないの?」

「出来なくもないんだけど。普段は帰ったらこの時間だし、たまに残業があったりするともっと遅いし。ついついめんどくさくなって。一人分だと材料買っても余ったりしてかえってもったいないんだよね。それにスーパーの弁当もけっこういけるし」

「そうだよね。この時間まで頑張ってるんだもんね。帰ってきてお料理とかって大変だよね。私が作ってあげられたらいいんだけど」

「亜里沙は料理好きなの?」

「レシピ一回読んだら大抵覚えるよ。喜んで食べてくれる人が居たら、頑張って作れると思う」

「今度作ってくれたら嬉しいな」

「サトルは何が好きなの?」


亜里沙は実在の人物ではないのだから、実際に手料理を作ってもらったりそれを食べたりなんて出来るわけない。

頭では分かってても、二人の間で交わす会話があまりにも自然で、これが架空のものだということを忘れそうになる。

本当に彼女が出来たような錯覚に陥って、知らず知らずのうちに胸がときめいている。

この年になってバーチャル恋愛に夢中になるなんて予想外だったけど。

何だかそれも悪くないと思えてくる。

最初の時よりも今日、またさらに僕のことを沢山知ってもらって、亜里沙と親しくなれたような気がする。


亜里沙は、今日流しているBGMにも気がついてくれた。

昨日僕が良かったと話した、映画のサウンドトラックじゃないかと言い当てた。

こういうのはすごく嬉しい。

昨日話した事を、しっかり覚えててくれてるなんて。


僕がおすすめと言って紹介した漫画も読んだと言った。

話してみると実際にそのストーリーをちゃんと知っていて、自分なりの感想まで伝えてくれた。

亜里沙の話す感想は、僕の感覚とかなり近くて嬉しい驚きだった。


他にも、亜里沙は、僕が好きだと言った映画、小説、漫画、アニメなどの題名を全て記憶していたし、大まかなあらすじも知っていた。

それが何年前の物で、作者や監督が誰で、主人公が誰で、どういうジャンルのものかなど、全て知っていた。

さすがにストーリーの細かい内容までは知らないようだけど、僕がその話をするのにいちいち説明しなくていい程度には知っていた。

この事で、前以上に二人の間で話は盛り上がったし、アルコールが入っていることもあって僕は普段より饒舌になった。


「そうだよね」

「うん。私もそう思う」

「そうそう。私もそこ好き」

「続き楽しみだよね」

亜里沙が僕の話を、楽しそうに聞いてくれて気持ちよく返してくれる。

僕にとっては最高に楽しい時間になった。


時間の経つのなど完全に忘れていて、あっという間に真夜中になっていた。

時計を見たら日付が変わっていて、さすがにもう寝ないと明日起きられないと思った。

明日は普通に会社があるんだから遅刻するわけにいかない。

明日金曜日だし、週末まであと一日だけど。


もうそろそろ今日は寝ようかということになって、会話の最後に亜里沙が言った。

「一つお願いがあるんだけど聞いてくれる?」

「何?」

何か買って欲しいとかそんなことだろうかと一瞬思った。

「あのね。サトルがもしかまわなかったら、時々私から連絡してもいい?」

「うん。仕事中は出れないけど。いつでも連絡くれたら、出れなかった時は後で連絡する」

「ほんと?嬉しい。仕事の邪魔はしないから安心してね。仕事頑張ってるサトルも、私は好きだから」

「ありがとう。亜里沙が連絡くれるの、僕も楽しみにしてる。おやすみ」

「おやすみ。サトル。また明日ね」



その日の夜、僕は亜里沙の夢を見た。


僕達が居るのは、どこかのカフェ。

僕は見たことが無い場所。

木製のテーブルと椅子。

落ち着いた雰囲気で、コーヒーの香りが漂う店内。

僕達は窓際の席に、向き合って座っている。

亜里沙が来ているのは、シンプルなデザインの水色のワンピース。

小さな宝石の付いたネックレスとピアスが、窓から入る日差しを受けてキラキラと光っている。

艶のある黒髪。

陶器のように滑らかな白い肌。

整った顔立ちに細い首筋。

カップを持つ手の指も細く美しい。


「外で会うの初めてだね」

「そういえばそうだね。会うのはいつも僕の家だったから」

「こういうのもいいよね」

「亜里沙が良かったら、またいつでも来れるよ。僕の休みの日ならね」

「嬉しい。休みの日もずっと私と会ってくれるんだ」

「当たり前だよ。僕だって会いたいし」

「本当?嬉しいな。ありがとう。サトル。好きだよ」


好きだよ・・・


目が覚めた時、亜里沙の言葉がまだ耳に残っていた。








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