第7話 勉強会で言えない①

「とわち、何て言ってた?」

月曜よりもずっと憂鬱な火曜の朝。ぼやけていた意識が叩かれたように目覚めた。

とわち。それは、ハロウィンの夜わたしに与えられた、高校で初めてのあだ名だ。

教室の引き戸に隠れるように背を預けて、様子を窺う。

「謝った?あの子」

声の主は名付け親である久茂くもさん。残念ながら、彼女にとっては忌むべき名になってしまった。わたしがみんなの前で彼女が触れてほしくない話を突き付けたせいで。

「あれを謝らないのはちょっとさあ、人としてどうなのって感じじゃんね」

本当にそう。どうかしてる。早く謝った方がいい。

できるなら、とっくにしているけど。

「メイもそう思ってないと、おかしいよねえ?」

…………。

「メイ。アンタはおかしいと思わないのって訊いてんだけど」

……やめて。

大上おおかみさん。そんな質問、答えないで。

何も言わないで。お願い。お願い………………


「だ け ど !! そこが良いんだよねっ!!??」


「……へっ?」

思わず戸から顔を出して教室の中を覗いてしまう。

広がっていたのは、夢の続きだった。

数日前、ちょっと自分の理想から外れたからって……大上さんがわたしのことを覚えていなかったからって、自分で断ち切ってしまった甘い夢。

眠りの中に続きを求め、いっそメッセージを送るか本気で苦悩して諦めて、昨日挨拶を無視してしまい完全に終わったと思っていた。

もう永遠に見れないと思っていたその夢がわたしの目の前に広がっていた。

人が集まり出した朝の教室で、どちらかというと人の後ろに立って支える立場だったあの大上さんが、衆人環視のなか大演説を打っている。

わたしを……めちゃくちゃ肯定してくれている。

「わ……、え……、へぇ……?」

言葉にならない感情がわたしの中を跳ねて弾んで飛び交っている。

叫び出したくなるような疼きが胸から全身へ駆け巡る。

曇ってくすんでいた教室の景色に、華と光と色が溢れる。

わたしは、なにかが物凄い勢いで動いていくのを感じた。とてつもないスピードに加速して、真っ直ぐ、一点へ、落ちるように。


大上さんに向かっていくものを感じた。



おかしい。絶対おかしい。

西降にしふりさーん、お昼、一緒に……」

「大上さん、ちょっといいかしら?」

四限目の先生に呼び止められて、すっかり忘れて欠席してしまった美化委員会の話をされたり……。

「西降さん、よかったらお昼……」

「あーちょっとオカミン!日直、だよね?頼みたいことあるんだけど」

スポーツ系グループの子に頼まれて、五限の体育で使う卓球台の準備を手伝わされたり……。

「西降さん!お昼一緒に」

「オカミーン、お前だけ提出してない課題について話があるんだが」

担任に呼び止められて、提出ボタンの押し忘れでデータが飛んでいない課題があったことを注意されたり……。

そんなこんなで、西降さんをお昼に誘えないまま一週間が終わった。

「おかしい……絶対におかしい……神様のいじわるでしょこんなん……」

土曜の朝。フラッシュバックした失敗への愚痴を枕に顔を埋めて吐きだす。

ハロウィンの夜、友達のいない西降さんのいじらしさのような、強さのような、とにかく何か見ていて心地の良い魅力を感じたことから始まった、西降さんと友達になろう計画。その第一歩「お昼を一緒に食べてお近づきになろう作戦」は、この一週間一度として成功しなかった。

「まともに話しかけれたのは……ジュリと口喧嘩になったあの火曜日だけ……。それも本題を切り出す前に、西降さんが熱出してて保健室にーってなって……」

そのまま早退してしまったので話はできなかった。

「はあ…………」

いや、別に、こんなことでめげたりはしないけど。

姫子のグループからはいよいよ追放されて、西降さんには全然話しかけに行けなくて、毎日をほぼほぼぼっちになって送ってるとなんだか……すごく切ない。

もしも、ずっとこんな調子で卒業まで一人になってしまったら……どうしよう。

朝教室に来たらスマホを見て時間を潰して、休み時間もスマホ見て時間潰して、昼休みは教室の机でスマホ見ながらお昼食べて、放課後はどこに寄るでもなく家に帰ってスマホ……。あたしの青春がブルーライトで真っ青になる……。

「やだな…………あー!やだやだやだやだ!」

ダメだ!一人で考えてるとどんどん悪い方向に行っちゃう!相談……誰かに相談したい、誰か……

連絡アプリを開いて登録された友達の欄を上から下までスクロールする。今は姫子派閥の子には頼れないけど、付き合いの浅い子たちなら話くらいできるはず。なんなら中学の頃の友達に久しぶりに声を掛けるのも……。

なんて思いながら連なる友人の名前を端から端まで一読したところ、おかしいことが一つあるのに気づいた。

見間違い、かな?や行からあ行に戻ってもう一度見直す。あ、か、さ、た、な行の「に」から始まる友達の名前。

……あった。見間違いじゃない。


西降にしふり永遠とわ……さん?」

手に入れられなかったはずのあの子の連絡先があった。


その瞬間、脳内に鋭い電流が走った。

記憶とかを保管してる部分を刺激したそれは今年の春の一日を引っ張り上げる。入学式の翌日。オリエンテーションの日の朝。ホームルーム前のそわそわした喧噪の中。あたしは大人しそうな女の子の机の前にしゃがんで、彼女を見上げながら言ったんだ。

  「おはよ!あたし大上芽衣っていうの。よろしく!メイでいいから!実は昨日クラス用の連絡グループをあっちの子たちと作ってさ、ふふ、ちょっと早すぎん?って気もするけど。よかったら参加してほしいんだよね。招待するから、友達登録していい?グループだけ入ってくれたらあたしはブロックしてくれてもいいから!」

新生活で緊張と気合が張り詰めてて、やたら元気で早口だったあたし。経験上、あたしはこういうときの記憶力がとことん弱い。小学生の頃、誕生日会でもらったプレゼントが誰から貰った何だったのかとか、中学生の頃校外学習に行くときのバスでは誰が隣で何を話したかとか。イベントごとの時は変な力が入っちゃって、後になると大事なことでも忘れてしまうことがあった。

  「ほうほう、えーと……とわちゃん?」

  「……私の、名前」

  「合ってた?かわいい名前だね!でー、この名字の方は……にしふる?」

  「にしふり。にしふりとわ」

  「そっか!よろしくね、西降永遠ちゃん!招待送っとくね!じゃ、また!」

で、あたしはその後ろの席の子に節操なく声を掛けていって、先生が来るまでそんな招待活動を続けて……。いや、それはどうでもいい。

肝心なのは……。

「あたし、もう登録してるのすっかり忘れて、西降さんに友達申請を……?」


  「お断りするわ。二度と話しかけないで」


「あ、ああああ……ああ~~~~っ!!!!!!!!」

そりゃ、そうなるわ……!

そんなかんじで自分のダメさ加減に悶え苦しんでいたら、土曜も日曜もあっという間に終わってしまった。

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