第6話 ハロウィンでは言えてた⑤

「………………明日、学校休もうかな……」

とぼとぼ。そんな擬音が聞こえてきそうな、我ながら情けない足取りで駅への道を歩いていた。高級ホテルが並び立つような都会の一等地、夜道を照らす街灯は十分以上に明るい。

けれどわたしの明日は、反比例するように真っ暗に思えた。

久茂くもさんにあんなこと……みんなの和が……幸城ゆきしろさんに怒られた……う、うう……」

数分前までの行いの罪深さに押しつぶされそうだ。吐く。吐きそう。臓腑がひっくり返るかもしれない。思いっきり顔をしかめて皺だらけにしているが、人から見たらそれがどんなに気色悪いかを顧みている余裕はない。……つらい。

「なんで……なんでわたしは、いつもこう……」

中学のとき。毎年クラスが変わる度、話しかけてくれたクラスメイトに噛みついて一年間のぼっちを確定させた。

小学生のとき。健気に話しかけてくれる子を大嫌いなんて言ってしまって、卒業までの二年間その子のグループに口を利いてもらえなかった。

本当は、人と関り合いたいのに。たわいもない話で笑い合って、勉強の難しさに唸り合って、趣味とか恋とか浮ついたものの話で、一喜一憂を分かち合ってみたいのに。

いや、それすら必要ない。

ただ誰か、……そばにいてほしいだけなのに。

「…………帰りたくないな」

駅前に着いた。けれどこんな気持ちで、こんな顔つきで帰ったら、お父さんとお母さんは絶対に心配するだろう。

それはもう、天は裂け、地は砕け、人の絆は散り散りに、みたいな具合で……。

「時間を潰すしかない。けど、いつもの図書館は遠い……、いや、いっか。どうせ内容が頭に入る精神状態じゃないし……」


「にーーしーーふーーりーーさあーーんっ!」


聞き覚えのある声だった。親しみを覚える高さと安心感を与える芯のある声。

高校生になって初めて、わたしに話しかけてくれた声。


オオカミ風のコスプレをした大上おおかみさんが、人ごみの向こうからわたしを呼び止めた。



「ごめん……あたし馬鹿でさあ……、えぅ、駅の方に、帰るんだから行くって普通、わかるのに………、はぁ……あ゛あ……っ」

「聞き苦しいからさっさと落ち着いてくれない?」

駅のすぐそばの誰もいない公園。ところどころ落ち葉を被ったベンチに腰掛けるあたしに、冷たい言葉の少女はミネラルウォーターのボトルを差し出してくれた。

小休止。冷えた水をありがたく受け取ってごくごくと飲む。一息ついて、夜風の肌寒さも相まってなんとか落ち着いて、身体中の血の巡りを思考の巡りへと切り替えていく……。

「あ」

「っ……なに」

「お水ありがとう!あたし大上芽衣。あなたと同じ一年五組で、さっきのパーティーにもいたんだ」

「……そう」

「えと……ごめん、名乗ってないと誰かわからないかな、失礼で怖いかなーって思って」

「親切なのね。でももういいの。人に礼儀を求めるのは烏滸おこがましいことだと痛感したところよ」

「ぐ、そうなんだ……」

急いで失礼をカバーしようとしたら最初から礼儀知らず認定されてた。ああー失敗したー!

「……れに、……てたし……」

「へ?」

ううっ、また失敗、脳内の自分の悲鳴がうるさくて聞いてなかった……。

「あなた、わたしを追ってきたのよね。何の用?くだらないことだったら、蔑みくらいしか返せるものはないけれど」

「ああ!用件!えっと、それは……」

ど、どうしよう。「西降さんホントは呼ばれてなくてもパーティ来たかったんだよね、友達欲しかったの?」なんてド直球に聞いたら、返ってくるのは蔑みどころか平手打ちかもしれない。

手早く整理しよう。

西降さんはちゃんとした招待のないパーティーにガチガチに着飾って来た。

あたしは西降さんが誰かと親しげに話しているのを見た記憶がない。

多分友達がいない。だから友達を作りに来たんだと思う。

でもそんな恥ずかしい事実を大っぴらにできる性格ならとっくに友達ができてるはず。

今日の振る舞いから察するに、この子は気持ちを隠そうとキツい言い方をしてしまう反発の強い恥ずかしがり屋タイプ……。

それで人を遠ざけてきたんだろう。

あたしはそんな西降さんが今日つらい思い出と暗い未来だけ持ち帰ってしまうのが、どうにも堪えられなくて追ってきた……。

だから、つまり……。

「あれ、何を言えばいいんだ……?」

「何言ってるのあなた」

よくよく考えたら追いついてどうしようか完全にノープランだった。

いや、だってしょうがないじゃん。今まではみんなに合わせて流されて、自分の気持ちとか意見とかで行動したことなんて全然なかったんだから。突然今日感情のまま動き出して、初めてわかったんだもん。そんな衝動性が自分にあるってことが。

「えと……そうだな……なにから話すべきかな……」

「………………」

西降さんは無言だが、愛想をつかせて帰ろうという素振りはない。

あたしが腰掛けたベンチの、その隣のベンチのあたしに近い方の端へ座った。微妙に距離感のある位置だが、会話には支障がない。

落ち着け。ゆっくり、考えながら言うんだ。

あたしは西降さんに悲しい気持ちのまま帰ってほしくなくて追いかけてきた。

そこははっきりしている。

だからあとは、それが伝わるようになんとか言葉を見つけていくだけ……!



「よし。決めた。まず言いたいことはこれ!」


無限かと思われた苦悶の沈黙を破って、大上さんはついに言葉をくれた。

よくもパーティーをめちゃくちゃにしてくれたな。お前をグループチャットに入れたあたしの責任にされたらどうしてくれる。

そんな断罪の罵声を浴びせられるかと不安になっていたわたしに、それはとても意外なものだった。


「今日、来てくれてありがとう!その吸血鬼のコスプレ、めっちゃ似合ってるよ。かっこいかわいい!」

「…………え?」


夢かと思った。

わたしの恥ずかしい妄想が、鼓膜に貼り付いて甘い言葉に塗り込めたのかと。

けれど初めての付け牙を舌で触れてみた違和感は、現実のそれに違いなくて。

続く言葉の夢心地に戸惑った。

「それにジュリのこと……えと、久茂くもさんね。も、ありがとう。バシっと言ってくれて。あたし嬉しかった」

「へ、えっ?」

「あたし、ジュリのことずっと怖かったんだよね。西降さんの言った通り、あの子気に入らない人とか事とかに陰で容赦なく愚痴って下げるからさ。ずーっと機嫌伺って、失敗を見せないよう立ち回ってきて、正直疲れてたんだ……。だからありがとう」

「……そう、なの」

動揺だ。動揺を感じる。呼吸が荒くなって、足がふわふわぐらついて、世界がブレて定まらない。

けれど、すごく軽くなった。

背負った巨大な十字架が、今はもう羽根のように軽く感じられた。

信じられない。信じるのが怖い。

こんな、わたしを、救うようなこと……。

「これできっと、ジュリとも対等な友達になれると思う。そしたらきっと、いつかは姫子とも。ああ見えて二人とも良いところはホンットに良い子なんだよ。ジュリは勉強教えてくれたり服選び上手かったり頼りになるし、姫子は人に不満とかやんわり伝えるのプロ並だし仲間想いで優しいし……」

「へえ、そう」

ほら、やっぱりあの人たちが大切なんだ。ありがとうなんて言うのは結局建前で、本音はきっとわたしを


「とわちも、そうじゃないかなって思う」

「は?とわち……え?」

え?

「かわいいあだ名だから、ヤな思い出で嫌いになってほしくないなって。上書き……的な?」

「あ、はー……」

ええっ??

「とわちはさ、ほんとは友達がほしいけど、ついつい口がキツいこと言っちゃうもんだからいつも一人になっちゃう……とか、経験ない?あたしは心当たりあるよ」

「あ、ああ、そ、の…………」

ある。ある!完全にわたしのことだ。

「ジュリや姫子もそんな感じなんだよきっと。ほんとはみんなで楽しくしていたいけど、ついつい思ってもない嫌味とか悪口言っちゃう。もしかしたらみんな、そんなもんなのかもしれないね」

「……それで、何が言いたいの。わたしとあの人たちが同じだったら、なんだっていうの。どうだっていうの」

つい強い言葉で急かしてしまう。

大上さんの艶のある唇の向こうにある、その先の言葉を。

強い予感がある。

わたしはその言葉を、ずっと、欲して……。



「はい!」

………………大上さんはスマートフォンの画面を差し出した。

そこには大小の正方形のパターンで形成された読み取り用の画像が大きく映し出されている。

「その、連絡先……交換しない?」

反対の手を振って、「いやあまりに綺麗なコスだから一緒に写真撮って共有したいなって」だのなんだのすぐに捲し立てる。


まあ、わかってはいたけれど。


大上さんは、わたしとの出会いを完全に忘れているようだった。



あたしと友達になってくれませんか、なんて。

まるで愛の告白だって思ったら、ついに言葉にならなくて。

ぼかして逸らして誤魔化して。

絞り出したその言葉では、響かないのは当然で。



「お断りするわ。二度と話しかけないで」



無慈悲に去っていくとわちの背中に、自分のダメさを痛感するのだった。

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今日も言えない私たち 龍田乃々介 @Nonosuke_Tatsuta

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