第4話 ハロウィンでは言えてた③

「……………………」

「あれー?えっ、とわち、もしかして泣いてる!?ごめんごめんごめん、大丈夫?化粧室行く?案内したげるよ。ほら、こっち」

「結構よ」

ほっそりとした手首を取ろうとするジュリを西降さんは毅然と振り払った。

白くて綺麗な指先の描くラインが綺麗だ、なんて場違いな考えが一瞬頭をよぎる。すぐにもっと美しい顔の方へ視線が吸われる。彼女の目元に涙はなかった。

どころか、真っ赤な瞳は燃えるようにギラギラとしている。

「ところで、あなた誰だったかしら。人が名乗ったのに名乗りもしないで話を進めるなんて、礼儀を疑われても仕方ないわよね」

「は?……あー、そだねー。ごめん、アタシ結構顔広いから知られてるもんだと思ってたわ。うぬぼれだなー。あはは」

「そう。有名人になるのも考えものね。こんな恥をかくくらいならわたしは独りでいいかと思わされるわ」

「……久茂樹里くもじゅりってんだ、アタシ。よろしくね、とわち」

「よろしく。久茂さん」

剣呑な挨拶を交わす二人。よろしく、と言い合っても、二人の間で手が結ばれることはなかった。

「改めて一つ訊きたいことがあるんだけどいいかしら」

「なにー?言いたいことでもあるの?聞いたげるよー?」

それどころか。

決して立ち入ってはならない領域に踏み入る。


「久茂さん。あなたって人を見下して陰口を叩くのを生業にしているみたいだけど、それって何が目的なのかしら」


二人を取り囲むあたしたちの間にどよめきが走る。それは誰もが思っていたこと。だけどみんな、その陰口の先にある疎外やいじめの対象になるのを怖れて避けていたことだった。決して触れずに、自分だけは上手く立ち回って平穏に生きていこうと見ないふりをしていたこと。暗黙のルールであり公然の秘密。

西降永遠。吸血鬼の仮装をした彼女は、あたしたちの首筋に牙を突き立てた。

「えっなに、急に悪口?かなしー」

「否定しないのね。できないものね。この場のみんなが知ってることだから。みんなの前で嘘は言えないわよね。嘘つきソレはあなたが散々嗤ってきたになるから」

「ちょっとちょっと、どしたん?急に。探偵みたーい。コスに合ってないよ?」

「わたしがどう見えるかの話がしたいの?いいわよ。質問に答えてくれた後ならいくらでも付き合ってあげる。それともわたしが何を訊いてるのか忘れちゃったのかしら」

「いや、だからさ。何言ってんのか意味わかんないって言ってんだよね。わかんない?」

ジュリの声からだんだんと揶揄いの調子が消えて凍てついていく。威圧して、脅かして、震えさせようとする恐ろしい害意がにじみ出ている。青ざめていく仮装したクラスメイトたち。あたしも血の気が引いていくのを感じる。

それでも、吸血鬼は踏み荒らすのをやめない。

「空気の読めない振る舞い、ちょっとした失敗、一般的じゃない趣味、熱狂的な好意、あなたはそういう普通じゃないことを本人のいないところでいつも笑いものにしているわよね。教室で、廊下で、トイレで、きっとグループチャットやSNSでも。何のためにそんなことをしているのか不思議で気になるから教えてほしい。わたしはそう言っているのよ」

「へーえ。とわちにはアタシがそーんな極悪人に見えてたんだ。アタシこわー」

ジュリが片手を腰に当てて、西降さんを見下すように顎を上げる。

「でもそれってさあ、全部とわち一人が言ってることなんだよねー」

明かな侮蔑の口調。一切の容赦ない否定が浴びせられる。

「とわちはアタシたちのグループと付き合いないじゃん?だからアタシたちのノリがわかってないんだよねー。とわちにはなんか嘲笑?みたいな悪いことに聞こえてたのかもしれないけどさ、アタシたちの内輪ではそれがフツーのじゃれ合いなんよ。みんなの仲なの。って言ったらわかる?ん?」

西降さんが独りであること、味方がいないことを切り口にジュリは冷酷な反論を返した。

それは嘘ではない。確かにあたしたちの間ではそんなやりとりが日常となっている。誰かのやらかしをチクり合い、ないよねーと嗤い合い、場合によっては態度を改める。一緒に遊ばないようにしたり、頼みごとを断るようにしたり、二人で話さないようにしたりする。常に評価が変動し、カースト順位が移り変わる。

水面下でそんな波乱万丈の戦いが繰り広げられているのがあたしたちのフツーだ。あたしたちはそれを当然のこととして受け取っている。何も悪いとは……思っていない。ジュリの答えに嘘はない。

けど、正しい答えでもなかった。

「ふふ、そうなの。わざわざ教えてくれてありがとう。でもわたしが知りたいのは、、なの。覚えられないなら紙に書いてあげましょうか?」

話を逸らすな、そう言いたげに、無敵の吸血鬼は攻撃をものともせず一貫した問いを投げ続けていた。

「陰口かじゃれ合いか、良いことか悪いことか。そんなこと、あなたの言った通り付き合いのないわたしにはどうでもいいことなの。最初から一度として訊いていないわ」

一歩、優勢を示すように吸血鬼の少女が前に出る。

「人を見下して、嗤って、貶めて。それであなた、何がしたいの?」

答えられないその問いでジュリをひたすらに殴打する。あたしたちはその様子を、どちらの味方をするでもなく、呼吸を忘れそうになりながら見ていた。

「何がしたいかって……。そんなんさあ……」

静まり返る観衆の輪の中。最初の質問に最初の答えが出される。


「あるわけないじゃん。目的とか。なに言ってんの?」


蔑みそのもののような声で。

「世の中の全部に理由とかあると思ってる系?とわち見た目かわいいのにちょっとイタすぎない?ご飯食べるときいつもわたしは生きるために食べている……とか考えてんの?ウケるわ~。ねえ?」

周りを巻き込んで。

「いちいちそんなこと考えて生きてるとか神経質すぎてちょーカワイソー」

ただただ見下した態度で。

「みんなもそう思うよね~。ねえ??」

集団の力で、賛同に値しない空虚な答えを押し通そうとする。


それを、

吸血鬼は許さない。



「嘘を言ったわね」



凛とした声が空気を裂いた。赤い瞳はまだ燃えている。

人形のようなかわいらしい顔に、狩人のような笑みが浮かんで。

誰もが見逃してきた秘密が月下に抉り出される。


幸城ゆきしろ姫子さんの陰口は一度も言ってないでしょう」

「………………。」


「そういえば、そうかも……!」

それは事実だった。いや、あくまであたしの知る限りだけど。

あたしは一度もジュリが姫子を悪く言うところに立ち会ったことがない。

思わず周りを見ると、あたしと同じことを考えるクラスメイトたちの困惑した顔と目が合う。「言われてみれば……」「たしかにそうだった」「そういえばなんで……」すぐにささやき声で批評が始まる。

「幸城さんと彼女以外とで何が違うの。財力?容姿?それとも性格?……もうそれさえ聞ければいいわ。それがほとんど答えみたいなものだろうから。勝手に納得してあげる」

コントロールを失って混沌を極める喧噪をよそに詰問は続く。

答えは返ってこない。人を殺しそうなほどの鋭い目つきと沈黙が、今のジュリにできる精一杯のことに見えた。

今西降さんが挙げた理由で姫子を特別扱いしていたとしたら、それは明日から彼女を「そういうノリ」で扱うのに絶好の話題になる。かといって「姫子の陰口も言っている」なんて否定をこんな公の場で証言したら袋叩きは免れない。そしてこれ以上話を逸らして逃げたなら、その怪しさが弱点になってしまう。

ジュリが……言い負かされた?

高校生活が始まって半年以上不動の二位だった彼女のカースト順位が降下を始めた。

さっきまでみんなを扇動する側だったのに、今はみんなから非難の目を向けられている。状況は一変して、彼女が握っていたルールは内側からめちゃくちゃに崩壊していく。

「あたしは」

ジュリはもう、一方的に裁きを与える裁判官じゃない。あたしたちと同じように裁かれる違反者だ。

……あたしは、もうジュリに怯えなくてよくなったんだ。

胸の中に浮かんだその言葉は、体中に巻き付いたしがらみの糸がちぎれて解けていくような、解放感のあるものだった。

…………………はあ。


──心地が良い。



うっとりと余韻に浸りたかったけど、甲高いノイズと大きな声で現実に引き戻される。

「そのくらいにしてもらえるかしら、西降さん」

会場に設置されたスピーカーから響く大音声。その優雅で余裕のある声はまさしく。


クラスカーストの頂点、幸城姫子のものだ。

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