第11話 僕の中へ

 遡ること数分前、純粋な眼差しで町の行き止まりにある狩人小屋に到着した。

 足元は白く、胴体に上がっていくにつれ、茶と灰が混じった毛となる体長130センチの狼。

 扉を前脚の爪で引っ掛け、自分が来たことを知らせる。


『ボクだよ! なんともない?』


 無邪気に呼びかける。

 内側から硬く床を叩く音に、狼は扉から2歩後ろに下がった。

 少し遅れて、扉がゆっくり、隙間から同じ琥珀の瞳と合う。


『あぁ良かった、どうぞ入って。赤ずきんは?』


 ボロ布に全身を包んだフーゴは、安堵した吐息で招く。

 リヒャルトは不安に支配された表情のままフーゴの傍に寄る。


『警察のところにいるよ、ワルフリードがいなかったから見に来たんだ』

『こっちには、来てない』

「多分母さんのところ。嫌いなピアノをやらせるために、2人して僕をイジメるんだ……もうこの町はヤダ、フーゴとなら僕どこでも行く」

『それは僕も同じだ。リヒャルトだけだよ』

『ふふーん、仲良しだねっ』


 ふさふさの尻尾を横に小さく振る。


『君だって、そうだろ?』

『うん! ボクも赤ずきんと仲良しだよ、えーと、愛してるんだっ』


 きょとん、と傾げたリヒャルトと、瞬きの間だけ置いて行かれたフーゴは、同時に綻ぶ。


『いい響きだね』

『でしょ、言葉にしなくても伝わるんだって』


 束の間の歓談を過ごしていると、尖った耳がピクリ、と動いた

 フーゴは急いでリヒャルトを覆い抱き、窓の下に屈む。


『誰か来た、でも赤ずきんじゃない、ニオイが全然違う』


 鼻から仕切りに息を出した狼は、扉の隙間から外の様子を見てみる。

 寡黙を貫く背広の男が、自動拳銃を片手に狩人小屋に向かって、じりじりと近づいていた。


『ワルフリードだよ。逃げなきゃ、裏口ってないの?』

『他はない。僕が隠れ家として使う時に、全部調べてある』

『そうなんだ……でもボクにまかせて。絶対に出てきちゃだめだよ』

「だけど」


 不安げなリヒャルトに対し明るい調子で、


『大丈夫、これでも赤ずきんと旅して色々学んでるもん』


 楽天的に答えた。

 鼻先で扉を押し開けると、ゆっくり姿をワルフリードの前に現した。


「パック、か」


 咄嗟に銃口を向け、渋い声で狼を見て呟く。


『ぱっく? なにそれ、ボクはボクだよ』

「調査隊が名付けた……坊や、貴重な狼を撃ち殺したくない、そこをどいてくれないか」


 後ろ脚に重心を寄せ、地面を踏みしめると、牙を剥き出しに威嚇。


「悪い子だな、坊や」


 グリップがギリギリと鳴る。

 ワルフリードの瞳は愛想すら浮かべられない。

 空に甲高く叩きつける破裂音が響き渡った。

 地面が抉れ、土煙が風に持ち去られる。


「……」


 ワルフリードの視界から狼の姿が消え、銃を構えたまま向きを変えた。

 どこにもいない。

 荒れ狂う吐息も、土を引っ掻く爪の音も聞こえない。

 気配すら感じ取れない静けさのなか、ワルフリードの肩に深く重い物が沈み込んだ。

 突然のことに痛みが遅れ、銃が離れていく。

 倒れ込んだあと、太い叫びを上げた。


『ペッ、不味い』


 血が流れる肩を押さえ、牙を赤く染めた狼を睨んでいる。

 鋭い琥珀の眼光と合う。


『ねぇおじさんがアーサーを殺したの?』 

「ぐ……くそ」

『ちゃんと答えてくれないと、噛み千切るよ』

「あぁ、そうだ」

『どうして、アーサーはとっても良い人なのに、どうしてフーゴに罪を着せたの?』

「軍が憎い、内戦のあの夜、軍人どもは婚約者をレイプしたうえ、無惨に。町に踏み込んできただけで反吐が出る。フーゴは誰だ」

『フーゴはフーゴだよ。おじさんが脅した』

「あぁ、あのヴォルフ……はぁ、どうでもいい。リヒャルトも邪魔だった」

『どうして?』

「彼女は、俺の女だ。子どもは邪魔だ、そう言い聞かせてきた」


 グルグルと唸るが、ワルフリードは口を閉ざす。


「狼クン!」

『あっ』


 純粋に染まった琥珀は、透き通った声に惹かれていく。

 赤いコートにボルトアクションライフルと45口径ダブルアクションリボルバーを携えた美しい女性、赤ずきん。

 状況を碧眼に映したあと、あぁ、と理解する。


「やり過ぎてない?」

『赤ずきんほどじゃないよ、加減してる』

「はは、とにかく君が無事でよかった」


 胸を撫で下ろす。


「ワルフリード!」


 遅れてやってきたギャロンは、血まみれの相棒のもとへ駆け寄る。


「本当に、お前がやったのか!? 俺達は警察だってのに」


 血まみれの肩に止血を施し、悔しさを噛み潰した声で絞り出す。


「ギャロン、すまない」

「クソ、否定ぐらいしやがれ!」


 赤ずきんは2人をその場に放置し、狩人小屋の扉を開ける。

 隠れているフーゴとリヒャルトはお互い安心に満ちた笑顔を浮かべた。


「さて、さっさと町から出た方がいいですよ。どのみち、ワルフリードさんは生きてますし、捕まってもいつかは出てきます」

『うん、うん』

「良かった、ホントに良かった。フーゴは捕まらないんだよね?」

「大丈夫ですよ、さぁ今のうちに」


 小屋を出た。

 リボルバーの銃口をギャロンとワルフリードに向ける。


「狼クン、彼らを外まで護衛してあげて。私はここで見張ってる」

『分かった!』


 狼は外へと導く。

 リヒャルトを胸に抱え、ボロ布で全身を包んだフーゴは進む。


『森に行こう、あそこならみんなが仲良く暮らしてる』

「森の奥の奥にあるって噂の町だね」

『ねぇねぇそこってどんなところなの?』

『それが、僕もよく知らないんだ。ただ僕と同じ奴がいて、共存してる。とにかくそこを目指すよ』


 外に出て、ようやく顔部分のボロ布を取り外す。

 黒い体毛に垂れた琥珀の目、突き出た大きな口と鼻、鋭い牙。


『気を付けてね、外じゃ人食いもいるし、甘い言葉で誘拐してくる奴らもいるんだ、他の人を簡単に信じちゃだめだよ』


 親切心を込めた忠告。


『うん、ありがとう、気を付ける。僕はリヒャルトだけを信じる』

「僕も、フーゴだけ」


 優しい笑みのあと、破裂音が響き渡った。

 フーゴの腕に重い衝撃が走る。

 貫く弾丸。


『えっ、えっ、なに?』


 狼は急いで振り返ると、疲れた顔の女性が立っていた。

 銃を両手にしゃがみ込み、静かに泣いている。


「あぁぁ、ぁあリヒャルト……ぁあごめんなさい、ごめんなさいぃ」


 胸から血が噴き出て、サスペンダーの服が真っ赤に染まっていく。


『リヒャルトがっ』

『そ、そんなぁ、そんな……リヒャルト! 嘘だ、嘘だ嘘だ!!』


 血まみれの腕で、顔を寄せ合う。

 遠い目をしたリヒャルトの、だらん、と抜けた体。

 銃の音を聞いた警察が駆けつけ、女性は捕らえられる。

 騒ぎのなか、赤ずきんがギャロンと共に戻ってきた。


「リヒャルトの母親? クソっ! こんな最悪なこと……」

「狼クン、何があったの?」

『な、何って、リヒャルトとフーゴが撃たれたんだ!』


 振り返ると、彼らは忽然と姿を消していた。


「いないよ、撃たれたの?」

『うん、ニオイだって……血も、こっちに続いてる!』


 狼は駆け出した。


「狼クン、急ぐと危ないよ」

『こっち!』


 赤ずきんを置き去りにする勢いで走り、ニオイと血痕を辿ると、町から離れた小さな森に辿り着いた。

 ニオイに集中しながら、どんどん中に入っていくと、生々しい肉が潰れる音が聞こえてきた。


『えっ』


 涙を流し、口を真っ赤にしたフーゴ。


『やぁ、君か……僕は気付いた、君が言っていた愛しているって言葉を、今さら。僕はリヒャルトを愛してるんだ……』


 気の抜けた、現実と妄想の狭間に置かれた声色。


『あ、ぅぅ』


 引き攣る狼は、後ずさる。


『君だってきっとそうするよ、これは本能だと思う。リヒャルト……僕も愛してる』

『…………』


 狼は、そっと森から離れた。

 追いかけてきた赤ずきんと途中で再会。

 狼は何も言えなかった。

 ボロボロと涙が零れ、足元に擦り寄っていく――。

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